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夢の館  作者: 秋月瑛
2/13

マダム・ヴィー

 体を揺さぶられる。

「大丈夫でございますか?」

 女の声で目を覚ました若者は、息を呑み体を強張らせた。目の前には不気味なフェイスマスクがあったのだ。すぐに二号だとわかり気を取り直した。

「わからない……急に頭が痛くなって、僕は気を失っていたのか?」

 洗面台がすぐ近くにある。記憶が途切れる前にいた場所と同じ場所だ。

 若者は立ち上がろうとしたが、足に力が入らず倒れそうになり、二号の肩を借りてどうにか立ち上がることができた。

「ずっと寝たきりでしたから、まだ体が動かないのでしょう。あまり急な運動などなさらぬようにお気をつけください」貧血か何かで倒れたとでも二号は言いたいのだろう。だが、若者は急な運動など覚えなどない。『何か』があって急に頭が激しい痛みに襲われた。

 若者は背筋が冷たくなったのを感じた。

 『何か』とは何だったか。

 気を失う直前の記憶が失われていたのだ。

 漠然として『何か』があったということまでは思い出せるのだが、具体的に何があったのか思い出すことができない。

 二号が急かすように言う。「夕食のお時間です。皆様に失礼のないように、お着替えになって身なりを整えてください」

 マダム・ヴィーに会えるときがきた。これでいくつかの疑問は解消されることになるだろう。それとは別に気になる点があった。

「皆様と言ったが、マダム・ヴィー以外に夕食を共にする者がいるのか?」

「はい、この屋敷に滞在している客人が何人かおります」

 元より客人の出入りの多い屋敷なのか、それとも何かの集まりでもあるのか。その者たちは若者のことを知っているのだろうか?

 急かされるまま若者は着替えに取りかかる。すぐ傍でこちらを見つめながら二号が立っている。

「お手伝いいたしましょうか?」

「いや、少し後ろを向いていてくれないか?」

「かしこまりました」

 二号は背を向けて壁と向かい合った。忠実な召使いといった印象がした。おそらく着替えの手伝いなども、普段からしているのだろう。客人に尽くすように躾けられている。

 若者は何気なく選んだ服に着替えながら、こんなことを尋ねた。

「僕が目を覚まさなかった間、僕の体を洗っていたのは君か?」

「はい、すべてのお世話を任されておりましたから」

「ほかに何か僕にしたか?」

「ほかにと申しますと?」

 淡々として感情が読めない。この二号が動揺などをすると、すぐに察することができる。それを踏まえるなら、ほかに何もしていないと考えられる。

「いや、今の質問は忘れてくれ。特に意味はなかった」

 意味はあった。だが、こちらの思惑を悟られることはよくないと若者は考えた。多すぎる『疑惑たち』に疑念を抱いていることを知られることは、危険と直感的に判断した。

 失われた記憶、取り外された鏡、急に襲ってきた頭痛。

 それらがすべて仕組まれたことであるとするならば、変に探りを入れるよりも、道化を演じていたほうがよいと思ったのだ。

 着替えを済ませ、若者は二号に連れられて部屋を出た。

 長い廊下はこの屋敷の大きさを示していた。床には真紅の絨毯が敷き詰められており、とても印象に残るが、若者の記憶にはこの映像はなかった。

 おそらく屋敷の中心、巨大な階段が滝のように二階から一階へと伸びていた。階段を下りてそのまま進めば玄関がある。

 階段を下りる前、若者は玄関から見えるであろう階段を上った先にある壁を見て、階段を下りたあとに再び来た道を振り返って、その壁を見た。壁には汚れのような跡があった。直感的に巨大な額縁のような物があったのではないかと思った。

 玄関に入ってすぐ見える巨大な階段の先に見える壁にあった物。権力者が自らの威厳を誇示するために、玄関から入ってきた者を見下ろす位置にあったそれは、おそらく権力者の肖像か何かだろう。

「あの場所には絵か何かがあったのか?」

 若者は壁を指さしながら何気ないそぶりで尋ねてみた。

「はい。ですが、新しい絵を飾るためにお館さまが外させました」

「新しい絵?」

「お館さまの肖像でございます」

 その言葉が意味するところは、以前はマダム・ヴィー以外の絵だったということだろうか?

 疑問が残るがそれ以上の質問を若者は控えることにした。

 食堂に着くと、すでに二人の人物が席に着いていた。

 一人はおそらく若者で、紳士風の身なりをしているが、目元を隠すマスクの下にある形の良い唇は、どこか砕けた表情を浮かべている。

 もう一人もマスクで顔を隠しており、こちらはあまり年齢がはっきりしない女。肌の露出の多いドレスから覗く肉体は、若くては決して醸し出せない艶やかな色香を放っていた。

 この場に現れた新たな客人にいち早く気付いたのは、紳士風の若者だった。

 立ち上がった紳士は若者に握手を求めてきた。「はじめまして、君が噂の客人だね?」歌うような甘い声音。

 若者は握手に応じながら尋ねる。「噂のとはどういう意味ですか?」

「事故に遭われて、部屋で静養していたと聞いているが?」

「ええ、まあ。もう良くなりました」

 事故とはどのようなものか聞きたかったが、記憶を失っていることを伏せることにした為、疑問をぶつけることはしなかった。

 『はじめまして』と挨拶されたということは初対面。もう一人の女はどうだろう?

「あの」

 と、若者が声を掛けただけで、女は金切り声を上げた。

「話しかけないで!」

 女は苛々した様子で爪をかじっている。

 紳士がため息を落とした。

「彼女はいつも不機嫌らしくてね、あまり関わらない方が身のためさ。この屋敷はいつも来ても変わり者の客人ばかりで困るよ」

「いつ来てもということは、この屋敷にはよく来るのですか?」

「ボクは常連だね。申し遅れたが、ボクの名前はJという。もちろん、この屋敷での偽名だよ。そこの彼女はS、彼女も客人らしいけど、ボクと違ってこの屋敷に長く住んでいるみたいだね。もう一人、この屋敷に住んでいる客人にMという淑女がいてね、部屋にこもっていることの多いけど、そこの彼女と違って良い淑女だよ」

 爪を噛んでいたSがマスクから覗く二つの眼でJを睨み付けた。

「いつかその喉元を掻っ捌いて口を利けなくしてやる」

 呪詛のような言葉を吐き捨てられても、Jは口元で笑顔を浮かべていた。

「怖いことを言うね。いつキミに殺されるか楽しみだ。しかし、ボクを手に掛けるなら、せめてベッドで抱き合っているときにして欲しいな。それなら喜んで死ぬよ」

「お前のブツを切り取ってケツの穴に突っ込んでやろうか!」

 汚い言葉を吐きながらSは用意されていた食事用のナイフを握っていた。

 狂気を前にしてもJは平然としていた。

「生憎だけど、ケツに挿れられる趣味はないよ」

 そう言ってJは含み笑いをした。

 Sはフォークを握ってテーブルに力強く突き立てた。

「殺してやる! いつか絶対に殺してやるからな! キャハハハハハ!」

 ヒステリックなSは高笑いしながら立ち去ってしまった。

 静まりかえった部屋でJが「いつもこんな感じさ」と呑気に笑った。「彼女は口は悪いが、この通りボクはまだ生きている。ま、そういうことだよ」

 すぐに別に者が部屋に入ってきた。

「いやぁ〜、すれ違いざまにあの女に怒鳴られちまったよ。なんかあったんですかい?」

 小太りの男。やはり顔にはマスク、そして頭には中折れ帽子を被っている――室内だというのに。

 説明をしようとJが口を開く間もなく、小太りの男は眼を丸くして若者に駆け寄って来た。

「おおっ、やっと眼を覚ましたのか! 二人とも助かったなんて俺たちツイてるな」そう言いながら、小太りの男は中折れ帽子を取って、包帯が巻かれた痛々しい頭を見せた。「俺はこのとおり酷い怪我を負っちまったが、どうにか助かった。ほんとマダム様々だな」

 若者は理解に苦しんだ。この小太りの男は何を言っているのだろう?

 小太りの男は中折れ帽子を被り直して、なおもしゃべり続ける。

「俺はここではGってことになってるからよろしくな。本名を呼ばないように気をつけてくれよな」

 悩んでいた若者の前に一筋の道が現れた。

「僕のことを知っているのか?」

「おいおい、なに言い出すんだ。お前も頭打ったんじゃないだろうな?」

「いや……」口ごもった若者は、「あとで二人で話さないか?」

「お前どうしたんだ、なんか変だぞ?」

「まだ目を覚ましたばかりで……大丈夫。僕が寝てる間になにがあったか、あとで聞かせてくれよな、な?」

 最後は平静を装ったが、Gは不思議な顔をして若者を見つめている。そんな表情をしたいのは若者のほうだ。

 記憶がない。出会う人はすべて初対面だ。不思議や疑問ばかりが山積している。

 しかし、若者は目の前の小太りの男が自分の知り合いではないかと考えた。

 Gの言動を思い出してみる。

 ――二人とも助かった。

 一人は怪我をしたG本人のこと、もう一人は話しかけられている人物、つまり若者である。これから推測されることがらは、命の危険に晒されるような事故か何かがあり、Gは頭に大けがを負い、若者は三日もの間気を失っていた。そうなると、記憶を失ったのも、この事故の為だと思われる。

 ――本名を呼ばないように。

 この台詞が決定的な証拠となる。若者がGの本名を知っていることを前提にされた言葉であり、二人が知り合いであることを明確にしている。この屋敷の決め事を破っていないのであれば、屋敷の外でなければ本名を知り得ない。

 失われた記憶を取り戻す鍵をGは握っている。

 あとで二人で話そうと誘ったが、本当は今すぐにでもいろいろと話を聞きたい。はやる気持ちを抑えることは難しい。

 ……しかし。

 急に空気が変った。糸を張り詰めたような緊張。

 Jが恭しくお辞儀をして、Gも慌てて中折れ帽子を取って頭を垂れた。

 薄布の赤いドレスを着た車椅子の女。

 二号と同じ格好をした別の召使いに車椅子を押され、ベールで顔を隠した女が現れた。

 隠された顔でただ一箇所、露わにされている艶やかな――ルージュ。

 女は松葉杖を受け取り立ち上がった。

 靡くドレスの裾。女には片足が無かった。腿の辺りから先が無く、風を受けたドレスが揺れる。

「ご機嫌よう皆さん。そして、はじめまして新たな客人。我が屋敷にようこそ、歓迎いたしますわ」

 マダム・ヴィー。

 お館さまと呼ばれるその女。

 張り詰めた空気、畏怖する召使いたち、威圧感を放つその姿はさながら女帝のようだ。

 優雅な身のこなしでマダム・ヴィーは手袋を外し、若者に手の甲を差し出した。

 その行動の意味がわからずに立ち尽くす若者にJがそっと耳打ちをする。「彼女は男をかしずかせるのが好きなのさ。跪いて手の甲に接吻をしてあげたまえ。ぐずぐずしていると機嫌を損ねてしまうぞ」

 少しぎもちないながらも若者はマダム・ヴィーの前で跪いた。細く長く伸びる指先は、真っ赤に爪化粧され、その指を軽く手に取った若者は、息を殺して青白い血管が浮かぶ甲に接吻をした。

 ベールの下で艶笑するルージュ。優悦に浸っているようにも見える。

 顔を隠していても、その視線はベールの下から強く感じられる。どこか熱っぽいその視線に若者は汗を握りながら、ルージュの唇を見上げた。

「お目にかかれて光栄ですマダム・ヴィー。事故に遭った私と友人を助けていただいたようで、なんとお礼を言ったらいいのか……」

 そんな記憶などなかったが、間違ってはいない筈だ。

「当然のことをしたまでよ。ご友人共々傷が癒えるまで何日でも我が屋敷に居ればいいわ。この屋敷で骨を埋めてもらってわたくしは構いませんことよ」

「お気持ちは大変有り難いのですが、私にも生活がありますので、何日もお世話になるわけには……」

 生活? 自分で言っていて若者は心の底で苦笑した。そんなもの覚えていないというのに――。

 突然、Gが若者の肩を叩いた。「そう固いこと言うなよ。マダム様のお言葉に甘えさせていただこうぜ。俺の傷の具合もまだ良くならんし、もともと長い休暇の予定だったんだ。この屋敷で静養してもいいだろう?」

「あ、ああ」流れのまま若者は頷いてしまった。

 話にJが割り込んでくる。「マダム・ヴィーに立ち話をさせては悪いだろう。お腹も空いたし料理も冷めてしまう。話は食事をしながらでもできるだろう。ねえ、マダム・ヴィー?」愛嬌のある仕草で首を傾げている。

「そうね、お食事にいたしましょう」マダム・ヴィーは速やかに背の後ろに用意された車椅子に腰掛け、食事の席に着いた。

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