第六話 だったらしてみますか、結婚 後編
「結婚したらどこに住むの、新しくお部屋を借りるんですか?」
「おまえが俺のマンションに来ればいいよ、使っていない部屋はあるから」
「どうして、使っていない部屋が必要なの?」
「決まっているだろ、おまえの寝室にするんだよ」
「えっ、先輩はわたしとは別に寝るつもりなんですか?」
「何を驚いているんだ、夫婦生活はなしの偽装結婚と言ったのはおまえだろ」
余計なことを言っちゃったかな。
でも、こんなことでもめるのは得策じゃないわ。
どうせ一緒に住むんだから、わたしの魅力で先輩に言わせればいいだけよ。
やっぱり一緒に寝よう、ってね。
「公共料金なんかはどうするんです、割り勘に?」
「おまえが出す必要はないよ、自分の携帯電話の料金だけ払っていろ」
「家賃も光熱費もかからない独立か、もうかっちゃうわね」
「お気楽で羨ましいよ、俺はさっきからずっと頭が痛いのに」
「食事はどうしましょうか、昨日も言ったけれどわたしは作れませんよ」
「料理は女性がするべきなんて、俺は思っちゃいないけれど」
「けれど、何です?」
「未来の夫のために、料理を勉強しておこうとは思わなかったのか?」
「わたしだって何度もチャレンジしましたが、壊滅的に才能がないみたいで」
「うまいかどうかは別にして、相手が食べてくれればうれしいものじゃ?」
「だめなものは潔く諦めて、得意なお掃除やお洗濯で貢献するタイプなの」
「自慢することじゃないだろ」
「で、どうするんです?」
「外食すればいいんじゃないか、どうせ俺は帰りが遅いんだし」
「そうじゃなくて、相談をしたのはわたしのご飯をどうするのかってことよ」
「自分でどうにかしろよ、買ってくるとか帰りに食べてくるとか」
ふんだ、つれない返事ね。
「毎日は無理でも、週に二日は早く帰ってきてもらって一緒に食べたいのに」
「定刻に帰るおまえと八時から会議を始める俺が、どうやったら一緒に」
「だって、この十日間で三日もわたしと夜を過ごしているでしょ」
「紛らわしい言い方をするなよ、それに今は緊急事態だからだろ」
「新婚なのに今までと同じ生活じゃ、新妻を放っているって言われちゃうわ」
「誰も言わないだろ、会社のやつなら俺のことを知っているから」
それこそ、胸を張って言うことではないでしょ。
「よく聞くでしょ、結婚して人が変わったとか付き合いが悪くなったとか」
「そりゃ、そうだか」
ここは、万能の言葉を使っておきますか。
「先輩が生活を変えないと、会社のみんなから怪しまれちゃいますよ」
「しょうがないな、早く帰るのは週に二回が限界だからな」
よしっ、効果はてきめんね。
「わたしのお仕事はどうしましょう、やっぱり寿退職することになるかな?」
「何をどうしたら、いきなりそんな話になるんだ」
「だって、先輩と結婚するんだもの」
「結婚をしたから仕事を辞めます、なんて時代じゃないだろ」
「でも、会社のみんなは先輩の収入をおおよそ知っているもの」
「俺の収入を知っているから、何だ」
「わたしが専業主婦になるだろうって、会社のみんなは当然のように思うわ」
何せ、あの額だものね。
「だとしても、だめだ」
多少の反対は予想をしたけれど、それを上回るきっぱりとした反対表明ね。
「偽装結婚なんだぞ、おまえが会社を辞めるなんてだめに決まっているだろ」
そうね、わたしも一般的な寿退職なら喜ぶけれど。
実態は、ここで会社を辞めたらただのプータローだし。
「じゃあ、どうするんですか?」
「おまえが言えば済むことだろ、仕事は好きだからこれからも続けますって」
「でも、不審に思われたら?」
「だったら、子供ができるまでは共働きするってことにして仕事を続ければ」
よくもまあ、間髪を入れずに次から次へと的確な答えを返してくるものね。
「しかも、俺たちに子供はできないからずっと共働きのままでいられるしな」
子供ができない、ですって?
それはどうかしらね、半年もすれば……。
これから先はより踏み込んだ話をするから、先輩の反発も予想されるし。
今まで以上に、気を引き締めて臨むのよ。
「わたしの住民票は移すとして、婚姻届はどうします?」
「そんなものを出したら、おまえの戸籍を汚すことになるだろ」
「わたしは構いませんから出しちゃいましょうよ、婚姻届を」
「言っていることを分かっているのか、婚姻届まで出したら普通の結婚だぞ」
だからこそ言っているんでしょ、鈍いわねっ!
「でも、名字を変更しておかないとばれちゃいますよ」
「どうして」
「親が、戸籍謄本をとったりしたときに」
「そんなケースが、どれだけあると思っているんだ」
「会社でも、年金や健康保険の手続きがあるでしょ」
給与事務の担当者はわたしだから、実際には問題にはならないけれど。
「すぐ離婚するカップルも多いから、婚姻届は一年たったら出すって言うか」
「わたしたちって、交際二か月で結婚しちゃう熱愛カップルなんですよ」
「それが?」
「結婚する前から離婚のことを考えている、なんて言ったらおかしいでしょ」
「婚姻届まで出したら、おまえが後悔するんじゃないかと」
「わたしは後悔なんてしません、ですから婚姻届は出すってことで」
これで、偽装結婚とはいえ法律上の妻になれるのね。
「お式と披露宴はどうします?」
「偽装結婚だし、式はともかくとして披露宴で祝儀なんか受け取れないだろ」
確かに、そこまでは……。
「わたしの希望としては、両親に娘の花嫁姿を見せてあげたいんですけれど」
「偽装結婚なのに?」
「この先に見せてあげられるかどうか分からないし、せめてもの親孝行です」
嫌とは言えないでしょ、ここまで言われたんじゃ。
「なら、親族を呼んでどこか避暑地でこぢんまりと式だけ挙げるのはどうだ」
「どうして避暑地で?」
「遠くで式を挙げれば、会社の同僚や友人を招待しない口実になるからだよ」
「じゃあ、避暑地にあって結婚式ができるホテルを探しておきますね」
「で、新婚旅行はどうする?」
「それこそ、行かないとみんなから怪しまれますよ」
「だよな」
「定番のハワイとかは、どう?」
「俺は一週間も会社を休めないよ、せいぜい国内で二泊三日ってところだな」
「つまらないの、それじゃただの旅行じゃない」
「行くって言っているだけましだろ、忘れているようだが偽装結婚なんだぞ」
ふた言目にはそれだもの、先輩にも万能の言葉があったのね。
「次は、親へのあいさつです」
「俺の親は結婚するって聞いただけで喜ぶだろうから、普通に話せば」
「問題は、わたしの両親へのあいさつね」
「厳しい門限に加え、彼氏に間違えた俺を説教しようとしたおやじさんだぞ」
「父親ですもの、年頃の娘のことが心配なだけよ」
「彼氏どころか、結婚をさせてくれなんて言ったら激怒するんじゃないか?」
「先輩も聞いたでしょ、両親がぼやいていたのを」
「早く結婚相手を連れてこいって、さんざん言っていたな」
「だから、結婚そのものには反対しないと思うの」
「いざその場になってみれば、違うんじゃないか?」
心配性ね、きっと大丈夫よ。
「しかも、おまえとは仕事以外の関係はないと言い切ったばかりだぞ」
「初対面だから緊張して本当のことが言えなかった、ってことにするのは?」
「あれだけフランクに酒を飲んでいたのに、緊張って」
「じゃあ、他に名案でもあるんですか?」
「ないよ、それでいこう」
「で、うちの親には何て言うつもりですか?」
「小細工をせずに、ストレートに結婚させてくださいって言うしかないだろ」
「すごく楽しみ、せっかくだから録画しておこうかな」
「気楽でいいな、おまえは」
先輩からはそう見えていたとしても、それほど気楽ではないんです。
始まりが、偽装結婚ってことは。
いつまで待っても、わたしが先輩からプロポーズをされることはないから。
せめて、親へのあいさつの思い出ぐらいは映像として残しておきたいのよ。
「後は会社ですけれど、結婚の報告をする前に入念な下地作りが必要です」
「何だそりゃ」
「いきなりの結婚でも、ちゃんとした下地さえあれば真実味が増すからです」
「例えば?」
「会社の近くでデートをして、わざと目撃させてうわさを広めてもらうのよ」
さっき、ちらっと話したでしょ。
「デート、しかも会社の近くで」
この程度でその反応ですか、だったら。
「食堂の隅でこっそりキスしているのを誰かに見られる、でもいいんですよ」
「デートを目撃される方が、まだましだな」
「社内での結婚についての報告って、普通はどうするんですか?」
「それぞれの上司に報告する、かな」
「二人そろって?」
「それじゃ、課のやつらに見られるだろ」
「こそこそと報告してもすぐにばれるんだし、ば~っとやった方が気楽です」
「それにしたって」
「他に名案でも?」
「ないよ、ちくしょう」
「これで、大体は決まったのか?」
「まだです、肝心なことを決めていないもの」
「肝心なことって、何だよ?」
「いつ、結婚をするかですよ」
「おふくろがうるさいのは結婚するって言えば収まるから、俺は急がないが」
「先輩はともかく、わたしには……」
「そうか、おまえにはお尻があるんだったな」
「お義兄さんの転勤は十月一日付けなのよ、九月末には引っ越してくるわね」
「九月末だったらあと二か月か、結婚の発表ですら一か月先だっていうのに」
「わたしとしては、すぐに結婚してもいいんですよ」
「発表してから一か月で結婚をしたんじゃ、いくらなんでも急ぎすぎでは?」
「そんなことはありませんよ、時は金なりって言うでしょ」
「こんなときに使うことわざじゃないだろ」
「他人は呼ばないんだし披露宴もしないから、あとは親族の都合だけでしょ」
「だからって」
「そんなに、発表をしてから一か月後に結婚をするのが嫌なら」
「何か、名案でもあるのか?」
「結婚を認めてもらえたら、一緒に住んじゃいましょうか」
「同棲までするぐらいなら、一か月後に結婚するんでいいよ」
「親に聞かれたら、何て言いましょうか」
「何を聞かれるんだよ」
「認めてもらってから、たった一か月で結婚をしたいと言っている理由です」
「そうだなあ……」
「できちゃった婚って言うのはどう、おなかが目立つ前に式を挙げたいって」
「そんなの、すくにばれるだろ」
「だったら、ストレートにすぐにでも結婚したいって言いましょう」
「まあ、それしかないか」
「じゃあ、結婚の発表は一か月後で結婚はさらに一か月後ってことで決定ね」
「思ったよりも決めることが多いのね、結婚するって大変なんだ」
「当たり前だ、普通なら交際期間を経て関係を築いてから結婚するんだから」
「関係どころか、お互いの性格や趣味や食べ物の好みすら知らないものね」
「あのなあ、唐揚げをつまみ口の周りをべたべたにしながら言うせりふかよ」
「それでも楽しかったわ、自分の人生を決める相談なんて初めてだもの」
「俺にとっては、相談というよりは悪の密談って感じだったがな」
「密談か……、じゃあ甘~い密談ってことにしておきましょ」
笑っていた先輩が真顔になったと思ったら、真剣な口調で。
「最後に、重要なことを決めておこうか」
「なあに?」
「俺はともかくとして、おまえに好きな人ができたらどうするかだ」
「急に偽装結婚を解消する、ってわけにもいかないわよね」
「だから聞いているんだよ」
「じゃあ、二年間は恋愛禁止にしましょうか」
「どうして、二年間なんだ?」
「だって、二年もたてば普通の離婚ですもの」
正しくは二年もあれば何とかしちゃいますから、なんですけれど。
真紀の独り言
お姉ちゃんの家族との同居話から思いついた、この作戦。
先輩のお見合い話とマスターのひと言を発端にして、一気に偽装結婚まで。
偽装だろうが何だろうが婚姻届も出すんだし、結婚は結婚ですからね。
千里の道も、二歩目どころか五十里は進んだかな。
これは、予想外の前進ね。
今までは、自分のお仕事で先輩のお手伝いをするのがうれしかったけれど。
これからは、妻として先輩の人生のお手伝いをしてあげられるんだもの。
でも、やっとスタートラインに立てただけでゴールはここじゃないわ。
だって、わたしは。
この偽装結婚をステップにして、先輩と本当に結婚するつもりなんだもの。
Copyright 2026 後落 超
「千里の道も歩いてみれば」は、全二十四話。
毎週、木曜日と金曜日の十六時五分に投稿予定です。
投稿済の「くまさんの春から」「難ガール」と同様に、お楽しみいただければ幸いです。




