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第五話 だったらしてみますか、結婚 中編

 翌日、先輩はベンダーさんとの打ち合わせで午後から外出しているんです。

 昨日の打ち合わせで、トラブルがゼロだったわけではなかったみたい。




 待ち合わせをしている例のバーで、カウンターに陣取ったものの。

 一人で待っているのに退屈したわたしは、マスターに。

「先輩って、このお店に通うようになって長いんですか?」

「山ちゃんが来るようになってから、五年くらいたつかな」

「へえ、五年もですか」

 ってことは。

 先輩とマスターの付き合いって、先輩とわたしよりも長いのね。

「どれくらいの頻度で来るんですか?」

「週に三回は顔を出しているよ」

「忙しいのにここに来る時間は作るんですね、よっぽど気に入っているんだ」

「わざわざ、時間を作ってまで来ているわけじゃないと思うよ」

「どうして?」

「山ちゃんが来るのは、仕事を終えた十一時ごろだから」

 その時間だったら、退社をしてから夕ご飯を兼ねて飲みに来ているんだわ。

「でも、そんなに遅くに来たんじゃ落ち着いて飲んでいられませんね」

「そうでもないよ、遅く来ても一時の閉店までいるから」

「一時に帰るんじゃ、電車はもう動いていないですよね」

「どうせタクシーで帰るから、山ちゃんは時間を気にしないんだよ」

「いつもタクシーで帰るんですか、不経済ねえ」

「仕事を終えた十一時から飲み出すんだから、仕方がないと言っていたっけ」

 意味が分からないわ、どんな理屈よ。

「どうせその時間から飲むんだったら、おうちに帰って飲めばいいのに」

「そうはいかないのが、男ってものだよ」

「へえ、そうなんですか?」

「そんなものだよ、これからは真紀ちゃんも勉強が必要だね」


「今日の待ち合わせって七時なんだろ、山ちゃんにしてはえらく早いね」

「わたしには門限がありますから、先輩が早上がりをしてくれるんです」

「あの山ちゃんも、真紀ちゃんには気を使っているんだ」

 そうなのかしら、だったらうれしいな。

「先輩は、いつも一人で来るんですか?」

「ごくたまに、会社の後輩を連れてくることがあるけれど」

 へえ、誰を連れてくるのかしら?

「心配をしなくても、女の子を連れてくるのは真紀ちゃんだけだよ」

 この間も聞いたけれど、やっぱり女性の影はなしか。

「むしろ、真紀ちゃんだけは連れてくるって感じに見えるけれど」

 そう言われても、ねえ。

 何年か前にわたしを連れてきたのは、たまたまでしょうし。

 この何日か、特に今日については止むに止まれぬ事情があったからだもの。

「どうして、うちの店で待ち合わせを?」

 わたしの家に近いお店なら、門限のギリギリまで話せると先輩に言ったら。

 何かの拍子でまたうちに泊まる、そんなことだけは避けたいから嫌だって。

 まあ、先輩が帰ることを考えると大変だしね。

 そうなると、会社の近くってことになるけれど。

 会社に近すぎて誰かと顔を合わせるのは、今はまずいし。

 相談をする内容から、そばに人がいない静かなお店なのも必須の条件。

 そこまでをマスターに話して。

「つまり、必然的にこのお店を選んだんですよ」


「それにしても、真紀ちゃんは意外と度胸があるんだね」

「何がですか?」

「だって、本当に山ちゃんと偽装結婚しちゃうんだろ?」

 欲望のままに偽装結婚の提案なんかして、恥ずかしくないのか。

 わたしって、そう思われているのかしら?

「もちろん、恥ずかしいです」

「そうなの?」

「男性と、お付き合いをしたことすらないんですよ」

 いくら、一緒に住むだけで夫婦生活とかは一切なしと言ってあるとはいえ。

 大人の男女が、同居をするんですから。

 いつどんなきっかけでそんなことになっても、おかしくはないでしょ。

 わたしとしては、それはそれで本望なんですけれど。

「そうは見えないけれど、真紀ちゃんって今どきの子なんだ」

 他に、いい作戦を思いつかなかっただけです。

 そもそも、この話ってマスターが言い出したことですよね。




 ここで、やけに疲れた顔をした先輩がお店に到着して。

「待ったか?」

 申し訳なさそうにそう言うけれど、七時三分前だから遅刻はしていないわ。

「少しだけ、でもマスターとお話をしていましたから」


 わたしの横に座った途端に、ため息をついちゃって。

「どうしたんです、疲れているみたい」

「普段なら九時に終える会議を六時半に終わらせてきたんだ、疲れもするさ」

 文句ならわたしにではなく、厳しい門限を設定したお父さんに言ってね。


「どうしていつも先輩が先方へ行くの、うちの会社に来てもらえはいいのに」

「俺が担当しているサブシステムは四つ、つまりサブリーダーも四人だ」

「だから?」

「四人に来させるより、俺が行った方が時間のロスが少ないからだよ」

「自分一人の時間より、四人の時間を大事にしているの?」

「移動する時間を開発にかけられるだろ、時間をむだにしたくないだけだよ」

 先輩の時間の方が貴重な気もするけれど。

「それに、会社にいたんじゃこんな時間には退社できないからな」

 なるほどね、その理由には納得。


「じゃあ決めましょうか、これからのことを」

「あのなあ、それってメニューを見てつまみを選びながらするような話かよ」

「落ち着かないでしょ、頼むものを頼んでからでないと」

 っていうより、おなかがペコペコなのよ。

「やけにうれしそうだな、俺はうそだらけの偽装結婚に気が引けているのに」

 たったひと晩で、しかもまだ何もしていないのに気が引けているんですか。

「大変なのはこれからなのに、最初からそんな弱気なことを言っていたら」

「弱気にもなるさ、うそなんだから」

「こんなときのうそなんて、ちょっとした接着剤みたいなものですよ」

「接着剤?」

「数少ない本当のことを、つなぎ合わせる役目をするんですから」

「よく、そこまで言えるな」

「それに、常に肝に銘じておいてください」

「何をだよ」

「わたしたちにとっては偽装結婚でも、対外的には普通の結婚だってことを」

「分かっているよ」

「むしろ、偽装結婚の方が決めなきゃならないことは多いと思いますよ」

「たとえば?」

「そんなに急がなくてもいいですよ、まずは注文をしましょ」




「それで、何から決めるんだ?」

 ふんだ、いかにも気が乗らないって顔をしちゃって。

 いくら偽装だとはいえ、自分の結婚でもあるんですよ。

「まずは、結婚してからお互いのことを何て呼ぶかです」

「そんなことから?」

「どこで誰に聞かれているのか分からないんですよ、呼び方だって重要です」

「そんなものかね」

「普段からそれらしく呼びあっていなくちゃ、すぐにばれちゃいますよ」

 ふん、鼻で笑っちゃって。

「わたしは健人さんって呼びますから、先輩は真紀って呼んでください」

「気恥ずかしいな、明らかに二人だけのときはおまえって呼んでもいいだろ」

「いいでしょ、そんなときはわたしも先輩って呼ぶこともあるでしょうから」

「会社ではどうするんだ?」

「わたしは、社内では周りから山岸さんって呼んでもらうつもりですけれど」

「違うよ、周りからじゃなくてお互いのことをどう呼び合うかだ」

「さすがに職場で、健人さんに真紀ってわけにもいかないわね」

「だから聞いているんだろ」

「それこそ、今までどおりに先輩とおまえでいいんじゃないかしら」

「助かるよ、これ以上にややこしくならなくて」

 おあいにくさま、ややこしくなるのはここからよ。


「次は、結婚までのいきさつね」

「そんなことまで決めるのか?」

「当然です、もっとも重要と言ってもいいでしょう」

「そんなもの、なのか?」

「親や会社のみんなとか、友人からは必ず聞かれますからね」

「具体的には、何を?」

「もちろん二人のなれそめとかを、です」

「そんなことを聞きたがるのか、みんな暇なんだな」

 暇だから聞きたいわけではないのよ。

「どうやって知り合いどう恋愛して、何が決め手で結婚をするのかって」

「まるで、レポーターに追い回される芸能人みたいだな」

「先輩も立派な当事者なんですから、ひとごとみたいに言わないでください」

「すまん、どうも現実味がなくて」

「現実味を持たせるためにも、しっかりと話し合わなくちゃ」

「そう言われても」

「ちゃんと答えられなかったり、二人の話が食い違っていたらばれますから」

「それも、そうだな」

 ばれますからは、今の先輩にとっては万能の言葉ね。

「特に問題なのは、会社のみんなからの質問です」

「どうして?」

「先輩とわたし、ふたりから別々に話を聞いて比較される可能性があるから」

「確かに、それはありえるな」

「しかも、人によって何を聞いてくるかが分からないから厄介なんです」

「聞かれたとしても、話すことなんてこれっぽっちもないのに」

 そりゃそうでしょ、本当に奇麗さっぱり何もないんだもの。

「だから、こうやって打ち合わせをしているんでしょ」

「ああ……、そういうことか」

 理解が早くて助かりますよ、先輩。

「仕事柄、サーバールームで一緒にいることも多い二人が結婚するんだもの」

「本当に、仕事だけだっただろ」

「それでも好都合です、そんなことは周りの人は知りませんから」


「最初は仕事仲間でも、そこから火がつくカップルはいくらでもいますし」

「俺たちは周囲からそう見られるってことか、やれやれ」

「とにかく、興味本位で根掘り葉掘り重箱の隅をつつくように聞かれますよ」

「出会いについては同僚だからってことでいいとして、その先はどうする?」

「仕事を通じて徐々に親しくなっていた、とかはどうかしら」

「それは絶対にだめだ、会社の子に手を出さないって公言していたんだから」

 どうせ結婚しちゃうのに、今さら手を出す出さないなんて言っても。

「あのパーティーの後、急に仲良くなったってことにするのはどうだ?」

「以前から好意があって、あの夜に燃え上がりそういう関係になったとか?」

「もっとソフトにだよ、あの後に自然と付き合うようになったとかでいこう」

 そうは問屋が卸さないわよ。

「だめですよ、それじゃあ著しく説得力に欠けますから」

「どうして?」

「たったの一週間しかたっていないのに、結婚しちゃうなんて」

「あり得ないな、俺もそう思うよ」

「だったら、もう少し本気になって考えてください」

「でも、おまえはあの日の後もきっちり門限を守っていたんだろ?」

「ええ、先輩と会った昨日以外はたいした寄り道もしないで帰っていました」

「俺と会っていた形跡もないのに、どうやって恋愛をしていたと言うんだ?」

 確かに、そう言われてみれば。


「親や会社に結婚をするって宣言するのは、一か月ほど先にしましょう」

「わざわざ一か月も先にするのは、何のためだ?」

「一か月を有効に使い、デートをする体で状況証拠を積み重ねていくんです」

「何だその、状況証拠ってのは?」

「わたしたちが結婚すると言っても、おかしいと思われないための証拠です」

 ピンとこないって顔をしているわね、ここはもっと具体的に。

「仮にも結婚間近の恋人なんですから、それっぽい雰囲気を醸し出すんです」

「だから、どうやって」

「平日は週に二回はこうして会うんです、それと土日のどちらか一日にもね」

「おまえと、週に三回も?」

 何よ、その不満そうな顔は。

「ただ会うだけじゃなくて、わざと周囲に悟らせるようにするんです」

「悟らせるって、たとえばおまえの両親に対しては何をどうするんだ?」

「頻繁に門限を破ってみせたり、お泊まりをしたりするんです」

「おっ、お泊まりだあ!」

「親には女友達と一緒だと言って、先輩とお泊まり旅行をするとか」

「デートのふりをして会うだけでも精一杯なんだぞ、旅行なんて」

「いい歳をした男女が清い交際のままで結婚をするなんて、不自然でしょ」

「だからって、本当に旅行をしなくても」

 夢のお泊まり旅行をするチャンスなのよ、逃してなるものですか。

「男の影をちらつかせるのが目的なら、おまえが一人でそれらしく外泊を」

「わたしに一人で外泊させる気ですか、絶対に嫌です」

「しょうがないな、会社のみんなにはどうするんだ?」

「会社の近くで腕を組んで歩いていたり、デートしているのを目撃させたり」

「わざわざ、会社のやつらに見せるのか」

「状況証拠を積み重ねるのが目的です、見られていなきゃ意味がないでしょ」




Copyright 2026 後落 超


「千里の道も歩いてみれば」は、全二十四話。

 毎週、木曜日と金曜日の十六時五分に投稿予定です。


 投稿済の「くまさんの春から」「難ガール」と同様に、お楽しみいただければ幸いです。


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