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第四話 だったらしてみますか、結婚 前編

 先輩がわたしの家にお泊まりをしてから、何日かが過ぎたころ。

 思い出したように、お父さんが。

「そういえば、山岸君にレンジのお礼はしたのか?」

「ううん、まだしていないけれど」

 次に打つ手が思いつかないから、何のアクションも起こせていないのよね。

「あれだけのものをいただいたんだ、食事でもごちそうしなさい」

「ごちそうって、お父さんが出してくれるの?」

「ああ、何でも好きなものを」

 ふうん、よっぽど先輩のことを気に入っているのね。




 そんなわけで、誘う口実とスポンサーを獲得したわたしは。

 今日は先輩を誘ってご飯を食べた後に、例のバーに来ているんだけれど。


「ふう……」

 先輩ったら、いきなり大きなため息をついちゃって。

「せっかく一緒にお酒を飲んでいるのに、ため息をつくなんて」

 そう言うと、これみよがしにちょっとふくれてみる。

「すまなかったな」

「ため息なんて珍しいですね、打ち合わせで何か問題でもあったんですか?」

 今日はベンダーさんへ行って、仕様書の最終確認をすると言っていたもの。

「そうじゃなくて、おまえがため息をついているのを見て俺もつられたんだ」

「わたしがため息を、ですか?」

「ああ、目の前のグラスが飛んでいきそうなため息をついていたぞ」

 良かった、お仕事の問題であんなため息をついていたんじゃなくて。

 しかも、わたしがわざとついたため息をちゃんと見てくれていたんだもの。

 それなら、滑り出しは上々ってことよね。


「どうしてため息なんかついていたんだ、おまえこそ何かあったのか?」

 先輩の性格を読み切った作戦どおり。

 適当に流さずに、きっちりと食いついてきたわ。

「実は、何日か前にお姉ちゃんから連絡があって」

「嫁にいった姉さんがいるって言っていたな、何て言ってきたんだ?」

「旦那さんが転勤するんで、東京に戻ってくるって言うんです」

「良かったじゃないか、両親もさぞかし喜んでいるだろ」

「両親は喜んでいるんですけれど、わたしは……」

「おまえは、喜んでいないのか?」

「もちろんわたしだって喜んでいますよ、でも少し複雑な事情があるんです」

「複雑な事情?」


「お姉ちゃん夫婦は、うちで同居するらしいんですけれど」

 これは、本当です。

「部屋はあるだろ、俺が泊まった部屋が」

「お姉ちゃん夫婦だけじゃなくて、小学一年生のめいがいるんです」

 これも、本当です。

「そのめいが、どうかしたのか?」

「お父さんから、わたしの部屋をめいに譲るように言われて」

 ここからは、本当ではありません。

「部屋を譲るって、おまえはどうするんだ」

「今はお父さんが書斎として使っている部屋に、移ることになりそうなの」

「世の常ってやつだな、あのおやじさんですら娘より孫がかわいいんだから」

「悔しいけれど、そうらしいですね」

「それにしても、部屋を移るなんて難儀な話だな」

 ここからが重要なところですからよく聞いてくださいね、先輩っ!

「しかも、いずれわたしは結婚をして出ていくんだからなんて言うんだもの」

「まあ、そうなるだろうが」

「だから、めいに広い部屋を譲ってやれって」

「それで、おまえはどうするんだ」

「部屋を移るぐらいなら、家を出て独り暮らしをするって言ったんです」

 わたしがそう言った途端、いきなり笑い出した先輩。

「何がおかしいんですか、人が真面目に話しているのに」

「おまえが独立するなんて、あのおやじさんが許すはずがないだろ」

「ですよね、結婚して出ていくならともかく独り暮らしは絶対にだめだって」

「だったら、結婚すればいいだろ」

 よしっ、これこそ望んでいた返しですよ。

「ひとごとだと思って、できるものならとっくにしていますよ」

「できないって、どうして」

「彼氏いない歴が二十五年なんですよ、結婚の見通しなんてこれっぽっちも」

「自慢げに言うことかよ」

「どこをどう聞いたら自慢げに聞こえるんですか、わたしは困っているのに」


 実は、ここまでの話のうち。

 本当なのは、お姉ちゃんたちと同居することになったってことや。

 めいがいるってところまで、なんです。

 お部屋のチェンジや、だったら独立をすると言ったことについては。

 すべて昨日の夜に思いついた、わたしの創作なの。

 独立をしたい切なる理由があると、先輩に認識させる必要があるから。


「他意はないと思って聞いてくれよ」

「何ですか?」

「おまえは、控えめに言ってもなかなかのルックスだろ」

 ええっ!

「スタイルだって、文句のつけようがないし」

 これはっ!

「いつも笑顔でいるし、ほんわかとした性格も相まって正統派の癒やし系だ」

 ものすごい褒め言葉の列挙ね。

「学生時代は当然として、今だって引く手あまただと思うんだが」

 わたしが結婚をできないのが不思議だってところに、たどり着きましたね。

 上出来ですよ、先輩。

「お料理が得意じゃないから、かな?」

「付き合う前から、どうやっておまえが料理を不得手だと知るんだよ」

「それもそうですね」

「しかも、おまえのスペックは料理ができないことを補っても余りあるだろ」

 やったあ、先輩はそう思ってくれているんですね。

 望外のご褒美を、ありがとうございます。

「じゃあ、大学までずっと女子校だったからかな」

「それにしても、友達からの紹介や合コンとか機会はいくらでもあっただろ」

「友達はうちの門限のことを知っていますから、誰も声をかけてきませんよ」

「そりゃそうか、門限が七時じゃな」

 先輩を、瞬時に納得させちゃうなんて。

 おそるべし、わたしの門限。




 意外と高評価だった、わたしに対する先輩の認識も聞けたことだし。

 ここからは、わたしが先輩に聞く番ね。

「先輩こそ、どうしてため息をついていたんです?」

「独り暮らしはどうだって、おふくろにしつこく聞かれて閉口しているんだ」

 そうか、先輩ってちょっと前から独り暮らしを始めたんだっけ。

「うっかり、掃除と洗濯が行き届かないかなってこぼしたら」

「先輩って、お掃除やお洗濯をしないんですか?」

「そんな時間がどこにあるんだよ、家には寝るために帰っているだけなのに」

「お休みの日にすればいいでしょ」

「休日出勤だらけだと知っているだろ、振替休日にさえ出社しているんだぞ」

 確かにそうね。

 先輩って掃除や洗濯どころか、いつ寝ているんだろうってイメージだもの。

「そろそろ身を固めたらどうかって話で、おふくろが勝手に盛り上がって」

 おおっ、願ったりかなったりの展開じゃない。

「いきなり結婚しろですか、それこそ難儀な話ですね」

「見合い結婚しろって言うのを無視していたら、ついに昨日は見合い写真を」

「お母さんが、お見合い写真を持ってきたんですか」

 これは、もたもたしていられないわね。

「しかも、これまでとは違ってかなりの本気モードだから困っているんだ」

「へえ」

「とりあえず見合いをすればいい、なんて雰囲気じゃなくなっていて」

「先輩には、結婚をする気はないんですか?」

「俺が仕事しているのを見ているだろ、どこに恋愛している暇があるんだ」

 ふうん。

 問題なのは暇がないことで、結婚する気がまったくないってわけじゃ。

「確かに、見事にどっぷりと仕事漬けですものね」

「笑いながら言うことかよ、ひとごとだと思って」

 そう言わないでください、わたしとしては笑いたくもなっちゃいますよ。

 だって、わたしの独立問題をそれとなく話した直後に。

 先輩が結婚問題で悩んでいる、なんてことを聞けたんですから。

 二つの問題を組み合わせればどうにかできそうね、なんて思ったんだもの。

 こんな千載一遇のチャンスに、自然と笑みがこぼれちゃったんです。


「とにかく、二人とも結婚が問題なんですね」

「ため息だけじゃなくて、悩みまで一緒とはな」

「わたしが結婚なんて、どうやったら……」

「俺の結婚が、何だっていうんだ……」

 わたしは演技で、先輩は本気で頭を抱えているけれど。

 さて、この先は話をどう進めたらいいかしらね。




「だったら、山ちゃんと真紀ちゃんが結婚すればいいじゃないか」

 そう言うのは、タバコを吸いながらわたしたちの話を聞いていたマスター。

「二人して困っているのに、笑えない冗談を言うなよ」

「さすがに俺だって、こんなことで冗談なんか言わないよ」

「冗談にしか聞こえないぞ、俺たちが結婚するなんて」

「でもさ、二人とも結婚さえすれば丸く収まるって状況なんだろ」

「まあ、そうだが」

「だから、二人が結婚すればいいのにと言っているんだよ」

「知っているだろ、俺が会社の子に手を出さないって公言しているのを」

「そんなにむきになるなよ、俺が勝手にそう思っただけなんだから」


 わたしと先輩が結婚するって、いいじゃないですか。

 もしかして、こんな冗談を突破口にすれば意外といけたりするんじゃない?

 だめでもともとなんだから、当たって砕けろよ。

 マスター、そのプランはありがたくちょうだいいたしますっ!


「この際だから結婚しちゃいませんか、マスターの言ったとおり」

 そのひと言を聞いた先輩は、あり得ないって顔をしてわたしを見ると。

「おまえまで、笑えない冗談を言うのか」

「冗談なんかじゃないですよ、だって結婚といっても」

「いっても、何だ」

「一緒に住むだけで夫婦生活とかは一切なしの、偽装結婚をするんですから」

「偽装結婚だって?」

「そもそも、わたしたちって年の差や今までの関係からしてもぴったりだし」

「何のためにするんだよ、偽装結婚なんて」

「もちろん、わたしと先輩のためですよ」


「少なくとも、わたしにとっては独立できるんだからメリットだらけですよ」

「だからって、いきなりそんな話をしてもおやじさんが許すとは思えないぞ」

「でも、相手が両親も知っている先輩なら結婚の許可は得られやすいですし」

 他のことはともかく、その点については間違いないと思いますよ。

「知っているといっても、俺とはついこの間に初めて会ったばかりなんだぞ」

「お父さんは先輩を気に入っているわよ、初めて会ったのに泊めるほど」

 今日だって、食事代を出してくれたし。

「たまたまあの日は、酒を飲む相手が欲しかっただけだろ」

「とにかく、結婚をしなければ独立できないわたしは家を出られますし」

「だったら、おまえだけでも結婚すればいいじゃないか」

「二十五年間も彼氏がいないと言っているのに、いきなり結婚なんて無理よ」


「それに、結婚しろと言われている先輩にとってもメリットは大きいですよ」

「俺に、どこが?」

「お母さんからのお見合い、どうすれば逃げられるか算段はついているの?」

 あっ、ちょっと反応した。

 痛いところを衝くのは、効果的なのかも。

「結婚しさえすれば、お母さんからのお見合い話からは解放されるんですよ」

 よしよし、改めて考え始めたって感じね。

「おうちの問題だって解決しますよ、お掃除とお洗濯はわたしがしますから」

 あっ、少し身を乗り出していない?

「偽装結婚なら、相手に気を使わなくていい上にメリットを享受し放題よ」

「うちはともかくおまえの両親が悲しむだろ、娘が偽装結婚なんかをしたら」

 自分のことじゃなく、わたしのことを持ち出しているわ。

 反論のネタが尽きかけているのね、いい兆候だわ。

「ばれなきゃただの結婚ですよ、むしろうちの両親にはおめでたいことです」

「でもなあ」

「結婚できないと嘆いていた娘がお婿さんを連れてくれば、大喜びしますよ」

 即座に断らないってことは、脈があるってことよね。

「このまま押しきられて、お見合い結婚することになってもいいんですか?」

 それは困るって顔をして、さらに迷っているわね。

「どうするんですか、答えてくださいっ!」

 ここはあとひと押しって感じね、強気で攻めるのみよ。

「まさに千載一遇、こんな絶好のチャンスをみすみす逃すつもりですかっ!」

「それじゃあ……、やってみるか」

 よしっ、思っていたよりもあっさりと陥落したわね。

「じゃあ、細かいことを決めるのは明日からにしましょう」


 まずは、最難関の偽装結婚をするってとこまでは確定したんですもの。

 あまり急いで、ことを仕損じたら何にもならないわよね。

 この先は、たとえ時間がかかったとしても一歩ずつ着実に前進しましょう。




Copyright 2026 後落 超


「千里の道も歩いてみれば」は、全二十四話。

 毎週、木曜日と金曜日の十六時五分に投稿予定です。


 投稿済の「くまさんの春から」「難ガール」と同様に、お楽しみいただければ幸いです。


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