第三話 始まりは、恥○ 後編
「寝ちゃいましたね、お父さん」
うとうとしていたと思ったら、とうとうテーブルに突っ伏して寝ているわ。
「仕方がないだろ、俺と同じペースで一時間半も飲んでいればこうなるさ」
先輩ったら、あからさまに肩の荷が下りたって顔をしちゃって。
「ごめんなさい、先輩」
「何に対して謝っているんだ?」
とりあえず言ってみただけなのに、そんな真顔で聞かれても……。
「説教された後に酒に付き合わされた上、泊まれとまで言われているんだぞ」
「まあ、それを含めていろいろと」
「とにかく、俺はこれで帰らせてもらうからな」
「帰るって、こんな時間なのに?」
「配車アプリで、タクシーを呼ぶよ」
「だから、駅前にホテルはないんですよ」
「いいよ、そのまま自宅に帰るから」
「これからタクシーで東京へ帰るなら、うちに泊まっていけばいいじゃない」
「おまえの家に泊まったなんて、会社でばれたら何を言われるか」
「ばれないでしょ、わたしが言わなければ」
「どこに寝ろって言うんだ、このリビングか?」
「空いているお部屋があるって、お父さんが言っていたでしょ」
「いちいち覚えていないよ、そんなこと」
「姉が結婚するまで使っていたお部屋が空いていますから、どうぞ使って」
そんな攻防をしていると、お姉ちゃんの部屋を用意していたお母さんが。
「お部屋の用意は終わったから、山岸さんをご案内してあげなさい」
深いため息をついた先輩が。
「何てこった、今日は厄日かよ」
「諦めが肝心ですよ、観念して行った行った」
「お早うございます、もう朝ですよっ!」
まるで夫を起こす新妻にでもなったみたい、意外と萌えるかもしれないわ。
「起き抜けの鼻先に、どうしておまえがいるんだっ!」
「それはね、優しく起こしてあげていたからです」
「起こすなら、ドアの外から声をかけりゃいいだろ」
「声なら外からかけたし、部屋に入ってからだって二回も」
「本当か?」
「ぐっすり寝ていて声をかけたくらいじゃ起きないから、揺さぶったんです」
かわいかったですよ、先輩の寝顔。
「先輩って、初めて泊まった女の子の家でもぐっすり眠れる人なんですね」
「寝坊できる機会なんて何年もなかったから、つい爆睡したんだろ」
「へえ、そうですか」
「それにしても、どうしておまえはパジャマのままでここに」
あっ、先輩ったら照れているわ。
「自宅ですもの、朝にパジャマ姿でいるのは不自然ではないと思うけれど」
「胸を張って言うことかよ」
パジャマ姿でど~ん胸を張り、わざと強調してみせたのに気がついたわね。
「そんな姿で起こしてもらうような仲じゃないだろ、俺は異性なんだぞっ!」
つまり、先輩はわたしのことを異性として認識しているってことね。
「先輩だって、パンツ一丁のくせに」
「置いてあったパジャマはおやじさんのだろ、小さくて着られなかったんだ」
「だからって」
「とにかく、早く部屋を出ていってくれ」
「どうしてよ」
「おやじさんに見られたらまずいからだろ、せっかく誤解がとけたのに」
「そんなことより、もう朝ご飯よ」
先輩のことだから、朝一番で帰ろうと思っていたんでしょうけれど。
うちの両親は先手を打って、朝ご飯で足止めをするつもりみたいですよ。
さっき見たら、ダイニングじゃなくてリビングに用意してあったし。
お酒だって並んでいたから、飲ませようって気が満々なのよね。
「起き抜けだし、普段は朝飯を食わないんだが」
「せっかく用意をしたんだから、文句を言わないで」
用意をしたといっても、わたしがではないけれど。
「新しい歯ブラシを用意してあるから、顔を洗ってきてね」
うわあ、このせりふって新妻っぽくない?
歯磨きと洗顔をしている先輩にタオルを渡そうと、洗面所に行くと。
「こんなところに来るなよ、本当におやじさんに見られるぞ」
「お父さんならリビングにいるわ、先輩とお酒を飲むつもりでそわそわして」
「寝坊した土曜日の朝に酒を飲むのも悪くはないが、時と場合ってものが」
へえ、お酒を飲むこと自体は受け入れているのね。
「今は、違うっていうの?」
「あくまでも、普通の状況だったらって話だよ」
「じゃあ、今って普通じゃないんだ」
「初めて会ったおやじさんと朝からおまえの家で飲む、これのどこが普通だ」
「文句を言っても逃げられないんだから、はいタオル」
こんな会話をしながらタオルを渡すなんて、新妻モードが全開って感じね。
想像をしていたよりも、ずっとドキドキしちゃった。
リビングに入ろうとした先輩が、テーブルの上に目をやるなり。
「朝から何なんだよ、下手な旅館の夕食より豪華じゃないか」
「でしょ、わたしも驚いちゃった」
「本気で飲ませるつもりなのが、ひしひしと伝わってくるテーブルだな」
あっ、それってわたしと同じ感想です。
「とにかく、行きましょ」
「おいっ、手なんか握るなよ」
「つい、うっかり」
「何をどうやったら、うっかりで手を握ることに」
決まっているでしょ、半分はうっかりで残りの半分は意図的によ。
わたしと先輩が座ると、朝ご飯という名の飲み会が始まっちゃった。
それにしても、彼氏を連れてきた娘の父親なんてこんなものなのかしら。
昨日の夜に続いて、いつの間にかわたしの話になっているし。
「とにかく、真紀には彼氏の影も浮いた話もないので親としては心配で」
「早くこの子がすてきな人と巡り合ってくれれば、安心できるんですけれど」
お父さんとお母さんたら、朝から何の話をしているのよ。
いくらなんでも、初めて会った娘の先輩に言うこととは思えないわ。
そもそも、あんなに厳しい門限を設定したのはお父さんじゃない。
あれじゃ、恋愛も何もあったものじゃないでしょ。
「心配しなくても、すぐに結婚させてくれと言ってくる相手が現れますよ」
先輩ったら、適当なことを言っちゃって。
この場を早く切り上げて、とっとと帰ろうとしているのが見え見えですよ。
「そうだといいんですが」
「本当に、ねえ」
お父さんとお母さんも、先輩の言葉にうなずいちゃって。
「すぐにでもくるんじゃないですか、ご両親が慌てることになる日が」
もう会うこともないと思い、そんな空手形を切っているんでしょうけれど。
また会うことになったら、どうするんです。
先輩は、責任を取れるんですか?
「お嬢さんは優しくていつでも笑っていてくれる、すてきな娘さんですから」
あれ、そうなの?
先輩はわたしのことをそう思ってくれている、ってことでいいの?
「ご両親は、お嬢さんを見守ってあげるだけでいいと思います」
お昼前になって、ようやく解放された先輩。
「じゃあ、俺は帰るから」
さも疲れたって顔をしているのは、お酒のせいではないわよね。
「一人で大丈夫ですか、駅がどこだか知らないでしょ」
「地図アプリがあるから、何とかなるだろ」
「駅まで案内しますよ、携帯電話を見ながら歩いていたら危ないでしょ」
そんなことを言って、強引に一緒に来ちゃった。
駅までの道を、並んで歩きながら。
「昨日の夜から、重ねがさねごめんなさい」
「いまさら謝られるぐらいなら、昨日のうちに何とかしてほしかったな」
わたしとしては、十分な成果を得られたから満足していますけれど。
「それにしても、娘ってのは大変なんだな」
「どうして?」
「あれだけ、親から心配されているんじゃ」
「心配って?」
「厳しい門限や、いい人に巡り合えればいいのにと何度も言っていただろ」
「娘からすれば、ただうるさいだけなんですけれど」
「男の俺は、そんな心配をされたことなんか……」
急に、先輩の言葉が途切れたんで。
「どうしたんですか、話を途中で止めて」
「何でもないよ、あそこを曲がれば駅だろ」
いつの間にか、駅前にあるロータリーまで来ちゃった。
「どうせここまで来たんですから、駅まで送りますよ」
「おまえには厳しい門限があるんだろ、早く帰った方がいいぞ」
「もう、まだお昼過ぎですよ」
「そんなことより、俺がおまえの家に泊まったなんて会社で言いふらすなよ」
ふうん、別れ際にくぎを刺しておこうってことか。
「そんなことは言いませんよ、人を何だと思っているんですか」
「だったらいいよ、それじゃあ気をつけて帰れ」
「やっぱり行くんですか、会社へ?」
げんなりとした顔で、首を振った先輩は。
「朝からならともかく昼過ぎだそ、酒も飲んでいるから会社には行かないよ」
そりゃ、そうよね。
「じゃあ、気をつけて帰ってください」
「ああ、おまえもな」
そう言った先輩は、改札口に消えていったのでした。
ふう、疲れた。
わたしがこれだけ疲れているんだから、先輩はもっと疲れているわよね。
なんて考えていると、もう後ろ姿が見えなくなっちゃった。
昨日からのごたごたから解放されたからかしら、軽い足取りだったわね。
知らぬうちに、人生を左右するような事態に巻き込まれ始めているのにね。
月曜日は、朝から総務課の隅にあるサーバールームで先輩とお仕事を。
総務課は、扱っているデータや仕事の性質上。
本社の全部署が使うサーバーとは別に、単独でサーバーを使っているの。
わたしが担当している人事給与のお仕事は、さらに守秘性が高いので。
サーバールームにこもって、仕事をすることが多いんです。
先輩がいるのは、今月から稼働したプログラムをチェックしているから。
「こうして二人っきりでいると、この間の続きをしているみたいね」
「思い出すだけで疲れるから勘弁してくれ、それよりレンジはどうだった?」
「土曜日の夜から使っています、両親もとても喜んでいましたよ」
「そりゃ、良かったな」
「本当に良かったですね、元手をかけずに人を幸せにできて」
「どこがだよ、元手なら十分にかかっているだろ」
「だって、ビンゴで当てたレンジじゃない」
「おまえの家のレンジにするために、俺はあの試練に立ち向かわされたんだ」
試練って……。
「元手なら、十分すぎるほど払っていると思うが」
「そうだ、お父さんがまた遊びに来なさいって言っていました」
「勘弁してくれよ、そもそも自宅に遊びに行くような関係じゃないんだから」
「うちに来て、お泊まりだってしちゃう関係なのに?」
「あ、あれはおまえの親が強引にだな」
「だったら、わたしのパジャマ姿に照れちゃう関係かな?」
「照れてはいなかっただろ、目を伏せただけだ」
「そうは見えなかったけれど」
「後輩のパジャマ姿なんて、直視するものじゃないだろ」
「じゃあ、裸で寝ているのをわたしに見られちゃう関係?」
「おやじさんのパジャマが小さくなけりゃ、着ていたよ」
「だったら、わたしに起こされてまんざらでもないって顔をする関係?」
「そんな顔はしていないし、誰かに聞かれたら誤解されるだろ」
「部外者立ち入り禁止のサーバールームになんか、誰も入ってきませんよ」
「とにかく、俺はだな……」
「そうか、洗面所でわたしにタオルを渡されてうれしそうにしている関係ね」
「誰がうれしそうにしていたって?」
「先輩がですよ、こ~んな顔をしちゃって」
「おい、さっきから顔が近すぎるんだよっ!」
たったの何日かで、先輩と共有している秘密がいっぱいできたわね。
まずは上々、っと。
真紀の独り言
レンジを運ぶお手伝いをしてもらうため、先輩がうちまで来るって聞いて。
とっさに思いついた作戦を実行したにしては、われながら上出来だったわ。
バーではわざとお酒をゆっくり飲んで、時間を調整して。
両親が迎えに出ているころを狙って、タクシーでおうちに到着。
お母さんのひと言から、先輩がおうちに上がることになって。
お父さんのひと言から、お酒を飲むことに。
ひいては、お泊まりまで。
先輩と両親の顔合わせ、それ以上にお互いを知ることにも成功しちゃった。
朝になったら起こしてあげて、かいがいしく洗面のお手伝いを。
帰りには、駅でお見送りも。
どうして、わたしがこんな思い切ったことをしたのか?
入社以来、先輩のことがずっと好きだったからです。
ゴールに向かう千里の道の、まずは記念すべき一歩目を踏み出したのよね。
でも、大変なのはこの先か。
次の一手には何をどうしたらいいのか、皆目見当がつかないし。
はてさて、どうしたものやら……。
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「千里の道も歩いてみれば」は、全二十四話。
毎週、木曜日と金曜日の十六時五分に投稿予定です。
投稿済の「くまさんの春から」「難ガール」と同様に、お楽しみいただければ幸いです。




