第二話 始まりは、恥○ 中編
背後から聞こえた突然の大声に、驚いた先輩が振り向くのと同時に。
何が起きているのか想像に難くないわたしも、思わず大声を出しちゃった。
「お父さん、お母さんもっ!」
時刻は、そろそろ十時。
タクシーで送ってもらった男の人と、おうちの前で話をしている。
そんなところに、両親と鉢合わせしたんですもの。
これが世に聞く、しびれるシチュエーションってやつなのね。
わたしが大声を出したのも、当然といえば当然でしょ。
「聞こえないのかね、君は誰だと聞いているんだ!」
「はあ?」
先輩ったらのんきな返事をしているわね、こんなシチュエーションなのに。
「人の娘をこんな時間まで連れ回した上に、自宅に入ろうとするなんてっ!」
お父さんたら、先輩の姿がちゃんと見えていないのかしら。
それとも、見えているのに理解していないの?
わたしの後を、レンジの大きな箱を抱えて階段を上がろうとしているのよ。
どこから見ても、ただの荷物持ちにしか見えないでしょ。
いきなり怒鳴っているお父さんを見かねたのか、お母さんが。
「お父さんったら、そんな怒鳴り声じゃご近所にまる聞こえですよ」
「それが、どうしたっ!」
ちょっと、お父さんたらお母さんにまで当たっているわ。
「お話なら、中に入ってからしてください」
そんなお母さんのひと言から、戦場をうちの前からうちの中に移すことに。
この場の雰囲気をようやく察知したのか、先輩が小声で。
「なあ、おふくろさんがあんなことを言い出しているが」
「あんなことって?」
「俺を連れて、家の中に入れとか」
「だって、この夜中にあれだけの大声を出していたらご近所に迷惑ですもの」
「そういう問題じゃないだろ、おまえがどうにかしろよ」
「無理ですよ、そんなことを言われたって」
「どうして、俺がおまえの家へ引っ張り込まれて説教をされなきゃ」
う~ん。
「おそらくですけれど、なりゆきなのでは?」
「どうにかする気はないってことかよ」
「だって、この状況でわたしにどうにかできると思います?」
仁王立ちのまま、階段の途中でお父さんがにらんでいて。
先輩とわたしが上がってくるのを、待っているのよ。
ようやく諦めたのか、聞こえるような舌打ちの後に。
「とにかく、これでタクシーの支払いをしておけ」
そう言ってわたしにお財布を手渡した先輩は、ぶつぶつと。
「こんな夜中に住宅街でタクシーをリリースさせられて、どうやって帰れと」
絵に描いたような、災難なのではないかと思いますよ。
ここは素直に諦めましょう、先輩。
誰も口を開かず、とっても気まずいまま階段を三階まで上って。
最後におうちに入ったわたしは、先輩の靴をそろえてからリビングへ。
そこには、すでにお父さんの前で正座をさせられている先輩が。
どうして俺がこんな目に、なんて顔をして入ってきたわたしを見ているわ。
「それで、君は誰なんだ?」
「わたしは、山岸といいます」
「うちの真紀とは、いったいどんな関係なのかね?」
「関係と言われましても、仕事以外では何の関係もありませんが」
何よ、味も素っ気けもない答えね。
「お嬢さんとは会社の同僚で、ただの仕事仲間ですから」
確かに、それ以上でもそれ以下でもないけれど。
「ただの仕事仲間が、どうしてこんな時間に真紀を家まで送ってくるんだね」
「山岸さんは会社の先輩なんだから、失礼なことを言わないで」
わたしがそう言っているのに、お父さんたらまだ先輩をにらんでいるわ。
そんな状況にもめげずに、先輩はわたしに耳打ちをしてくるの。
「さっきから、こんな時間っておやじさんが何度も言っているが」
「それが、何か」
「まだ、十時だよな」
「すみません、うちの門限って九時半なんです」
「門限を過ぎたから、両親が外で待っていたのか」
「待っていたんじゃなくて、探していたんだと思います」
駅への道を見ていたらうちの前でタクシーが止まったから、こんなことに。
「それにしても早すぎるだろ、社会人の門限が九時半って」
あきれたような顔をしないでください、先輩。
「これでも、ずっとましになったんですよ」
「九時半で、ましって」
「高校では六時でしたし、大学でも七時だったんですから」
「会社の飲み会のときは、どうしているんだ?」
「事前に申請すれば、一時間だけ延長に」
「で、どうして君はうちの娘をこんな時間まで」
「一人では荷物が運べないと、お嬢さんに言われまして」
「荷物?」
「あれよ、お父さん」
ソファーの横に置かれたレンジの箱を、じろりと見たお父さん。
「先輩がビンゴで当てた賞品のレンジを、わたしにくれたの」
お父さんたら、そこまで聞いても先輩をにらんでいるわ。
「タクシーで送ってくれた上に、重くて持てないレンジを運んでくれようと」
ここで、ようやく納得したって顔になったお父さん。
「そもそも、余計な心配はしなくていいのよ」
「どうしてだ」
「先輩は、会社の子には手を出さないって公言しているから」
「ほう」
それを聞いて、ようやく先輩をにらむのを止めたお父さん。
そんな状況の好転を察知してか、先輩はまたぶつぶつと。
「俺は自発的に運ぼうとしたんじゃなくて、おまえに運ばされたんだろ」
「どっちだっていいでしょ、やっと収まりかけているんだから」
「荷物があるからタクシーで送り、三階まで運んでくれようとしたのか」
「そうよ、感謝こそすれ怒鳴るなんて」
「わたしの勘違いだったようだね、済まなかった」
先輩に頭を下げているお父さんに。
「お気になさらずに、ご両親としてはお嬢さんが心配なのでしょうから」
疑念も晴れたようなので、さっきとは打って変わって寛容な態度の先輩。
「それでは、わたしはこれで……」
とっとと帰るつもりで立ち上がろうとする先輩に、お父さんが。
「山岸君といったか、君はいける口かね?」
ちょっとお父さん、何を言い出すのよ。
「まあ……」
普通に答えているけれど。
お酒に関しては、先輩はいけるどころじゃないわ。
うちの社内では、誰もが知る定説になっているもの。
先輩は大ざるだから、酔わせようとして飲ませてもお酒のむだだって。
「じゃあ、これから一杯どうだね」
「もう十時を過ぎていますから、そろそろおいとまを……」
「明日は土曜日だし、うちに泊まっていけばいいじゃないか」
「はあ?」
「空いている部屋もあるし」
それを聞いて、わたしとの長い耳打ちタイム。
「いったい何を考えているんだ、おまえのおやじさんはっ!」
口調が、さっきまでと違うじゃない。
「初対面の、しかもさっきまで説教していた俺とこんな時間から飲むなんて」
「さっき言ったでしょ、まだ十時だって」
「冗談じゃないぞ、おまえから何とか言って説得をしてくれよ」
「何とかって?」
「今から酒を飲むだけじゃなくて泊まっていけなんて、俺に迷惑だとでも」
「ひとつだけ、分かっていることがありますよ」
「何だよ、もったいぶらずに早く言ってくれ」
「お父さんに先輩を帰す気はないみたい、ってことです」
「そんなことは分かっているから、頼んでいるんだろっ!」
わたしに頼まれても、ねえ。
「いいじゃないですか、レンジのお礼もしたいし」
「礼なんていらないよ、そもそも俺は金を出していないんだから」
「でも、それじゃあ悪いわ」
「何が悪いだ、酒を飲めとか泊まれとか言う方がよっぽと悪いだろ」
「それに、礼ならさっきの店でしてもらったから」
「お父さんがうちに男の人を上げてお酒を飲むなんて、久しぶりなのに」
「ひょっとして、親子で俺を帰す気がないのか?」
「わたしは、別に」
「明日は仕事だと言っただろ、こんなところに泊まっていられないのに」
こんなところって、失礼ね。
「適当に付き合ったら抜け出して、駅前のビジネスホテルにでも泊まるから」
「そうは、うまくいかないと思いますよ」
「どうしてだ」
「駅前に、ビジネスホテルなんてありませんから」
「えっ!」
「タクシーは帰しちゃったし、諦めて今夜はうちに泊まるんですね」
「だったら、配車アプリで」
「往生際が悪いわね」
お母さんが用意してくれたおつまみを、リビングに運んでいくと。
わたしの心配をよそに、お父さんと先輩はもう飲み始めているじゃない。
ついさっきまで怒っていたくせに、すっかりご機嫌なお父さんは先輩に。
「うちの真紀は、会社ではどうですか?」
先輩が、耳打ちではなく独り言を。
「容姿を褒めるのが手っ取り早いんだが、父親にそんなことを言うのもなあ」
どうぞ、そんなことはお気になさらずに。
気前よく、容姿をど~んと褒めていただいていいんですよ。
この際ですから、先輩にはわたしがどう見えているのか聞いてみたいもの。
「とりあえず、仕事ぶりでも褒めておくか」
そんなあ、先輩がわたしのことをどう見ているのかを聞いておきたいのに。
ここで仕事ぶりなんか褒められても、ちっともうれしくないんですけれど。
仕事の話なんてどうでもいいから、ぜひとも容姿の方向でお願いしますっ!
「明るくてはきはきとしていますし、仕事も立派に勤めているかと思います」
何よ、容姿を褒めるどころか当たり障りのない話をしちゃって。
「会社のみなさんとは、仲良くやっていますか?」
「気立てが良くていつも笑顔ですから、社内でも人気があるかと思います」
だから、わたしが聞きたいのはそんなことではないんですけれど。
「止めてください先輩、そんな話を親の前で」
奥ゆかしさってものもあるし、とりあえず恥ずかしがってみせたけれど。
「本当のことだからいいじゃないか、ご両親も聞きたいと言っているんだし」
明るくてはきはきとしていて気立てが良くていつも笑顔、か。
わたしの理想とは、方向性が微妙に違っていてがっかりだけれど。
それでも、ここまで褒められるとさすがに悪い気はしないわね。
「ところで、山岸君の仕事は?」
せっかくの話題を変えるなんて、お父さんたら余計なことを。
ここでまた、耳打ちタイム。
「おい、まるで父親が娘の彼氏にする質問みたいじゃないか?」
「そんなこと、わたしに言われても」
「この状況で、おまえ以外の誰に言えるんだよ」
「そういえば、容姿については褒めてくれなかったですね」
「おやじさんが聞きたいのは、仕事ぶりや同僚とうまくやっているかだろ」
「だからって、少しは……」
「やっぱり親子なんだな、わけの分からないことを言い出すのはそっくりだ」
大きなため息をついた先輩は。
「システム部という部署で、コンピューターに関わる仕事をしています」
「コンピューター?」
「社内で使うシステムを設計したり、プログラムを作ったり」
「わたしの任されているお仕事も、先輩が作ったシステムを使っているのよ」
先輩の印象を良くするために、わたしからも必死にフォローしなくちゃ。
「そのシステムを使うための、パソコンや機器の設置や管理もしています」
「先輩って、とっても仕事ができるんだから」
「ほう」
お父さんたら、まるで理解しているような口調だけれど。
ここまで言ったら、持ち上げ過ぎかしら?
まあいいか、さっきは先輩もわたしを持ち上げてくれたものね。
「さっき君は、会社の子に手を出さないと言っていたが?」
帰ってきた、耳打ちタイム。
「ますます、娘の彼氏にする質問みたいになってきたぞ」
「だから、わたしに言われても」
先輩は、言葉をひとつひとつ慎重に選びながら。
「うちの会社は社内恋愛、ひいては社内結婚が多いんです」
まるで、オブラートに包んだような言い方ね。
多いどころか、まるで推奨でもされているかのごとく横行しているわよ。
「うまくいっているときは、これといった問題もないんでしょうが」
そりゃそうでしょ、ラブラブなんだから。
「けんかをしたり別れたときに、立場が弱いのはいつでも女性ですから」
ふうん、意外と分かっているじゃない。
「そんなことで会社を辞めることにでもなったら、かわいそうですし」
へえ、先輩ってそこまで考えていたんだ。
「しかも、社員を育てるのにどれだけ手間と費用がかかるか知っていますし」
そんなに真面目な理由だったんだ、先輩って大人なのね。
予想以上にしっかりとした答えを聞いたお父さんも、感心しているみたい。
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