第一話 始まりは、恥○ 前編
お昼に食堂のテレビから梅雨明けのニュースが流れた、七月半ばの金曜日。
夏の始まりだけあって、夜になっても外はまだ蒸し暑いけれど。
冷房がしっかり効いているホテルのロビーにいる分には、とっても快適ね。
とはいっても。
快適なのはあくまでも周囲の環境だけで、気分は快適とまでは言えないの。
その原因は、足元に置かれている大きな箱なんです。
わたしは、問題の箱を見下ろしながら。
「それで、これってどうするつもりなんですか?」
「どうするもこうするも、まいったな……」
そんな漠然とした質問をしているわたしは、塔野真紀と申します。
都内にある専門商社の総務課でお仕事をしている、入社四年目の二十五歳。
とはいっても、もうすぐ誕生日がきたら二十六歳になりますけれど。
ちなみに、華の独身ですよ。
疑問、その一。
どうしてわたしが、ホテルのロビーにいるのか?
このホテルの宴会場で、とあるパーティーに出席しているからです。
会社のパーティーかって?
いいえ、違います。
うちの会社がシステム開発を委託している、ベンダーさんのパーティーに。
毎年行われる、創立記念のパーティーなんですって。
疑問、その二。
どうして総務課のわたしが、ベンダーさんのパーティーに出席しているか?
それは、一週間ほど前のある出来事が発端なんです。
システム部長から、今夜のパーティーの招待券を二枚渡された先輩ですが。
例年なら、部長と先輩が二人で出席するのが慣例なのに。
部長から、外せない所用があるので今年は参加できないと言われた結果。
先輩は、誰かを連れていくことになったんだけれど。
普段から、休日出勤が珍しくないシステム部だけに。
久しぶりに完全オフの週末を控えた金曜日に、部下を誘うのは気が引ける。
かといって、先輩が一人で行くわけにもいかないし。
困り果てた末に同行を頼まれたのが、わたしだったの。
疑問、その三。
どうして先輩は、総務課員のわたしに声をかけたのか?
先輩が担当している、このベンダーさんが開発したシステムの中で。
総務課用のシステムの実務担当者が、このわたしだから。
話を、少し整理しますと。
うちの会社が発注元で、先輩が設計者。
ベンダーさんが開発者で、わたしが利用者。
という関係、なんですって。
疑問、その四。
先ほどからわたしが先輩と呼んでいるのは、いったい誰なのか?
その先輩とは、山岸健人さん。
確か三十歳の独身、だったわよね。
わたしがした質問に答えていた人で、システム部の係長なんです。
今はシステム部の課長が空席だから、実質的には課長みたいなもので。
とにかく、会社でのわたしの先輩にあたる人なのです。
疑問、その五。
わたしに声がかかったのは、わたしと先輩がそれなりの仲だからでは?
そんな心配はご無用、ただの同僚ですから。
お仕事でのお付き合いは、それなりに長いんですけれど。
先輩に初めて会ったのは、四年前。
新入社員の研修会で講師をしていた先輩と、新入社員としてです。
入社一年目から先輩のシステムを利用する、サブ担当者になって。
それから、一緒にお仕事をするように。
前任者が退職して、わたしが専任の担当者になってからでも三年近くか。
疑問、その六。
どうしてわたしが、先輩にさきほどの質問をしていたのか?
六時から始まったパーティーの中盤で、余興の第一弾として行われたのが。
豪華な賞品を争う、盛大なビンゴゲーム。
普段のビンゴゲームならかすりもしない先輩が、二等賞を当てちゃったの。
見るからに高そうな、最新型の高級スチームオーブンレンジを。
賞品を受け取ってからパーティーを抜け出して、ロビーで休憩をしながら。
レンジの処遇について、質問をしていたんです。
「俺の家のレンジは、新品同様だから必要ないし」
「それはさっきも聞きましたよ、レンジは二台もいらないって」
「これなら、三等賞のサイクロン掃除機の方がよっぽど良かったな」
ぜいたくを言っちゃって。
「そういえば、うちのレンジはそろそろ買い替えようかって言っていたかな」
わたしがそう言うのを聞いた先輩は、地獄で仏に会ったような顔で。
「だったら、おまえが持って帰っていいよ」
「えっ、わたしがもらっていいんですか?」
「いいどころか助かるよ、俺には無用の長物だからな」
「でも、こんな大きな箱をどうやって持って帰ればいいかしら」
「何か問題でも?」
「最寄り駅から家までは、徒歩で十分かかるんです」
しかも、途中からは上り坂なのよね。
「それに、家に着いても玄関までは階段があるんですよ」
「だから?」
「女の子に、こんなにかさばって重いものを一人で持って帰れと言うの?」
「だったら、おまえの家までタクシーで送ってやるよ」
「えっ、本当ですか?」
宅配便で送るしかないかなって思っていたのに、ラッキー!
「ああ、少し飲み足りないからもう一軒寄ってからで良ければの話だが」
「じゃあ次のお店はわたしがごちそうします、レンジのお礼に」
ただし、ちょっとした問題があるのよね。
「でも……、十時までには家に帰っていたいんですけれど」
「今は七時半か、だったらパーティーを引き上げればいいさ」
「いいんですか、招待されているんでしょ?」
「顔は出したんだから構わないよ、帰るって伝えておけば」
「何だか、勝ち逃げみたいね」
話がまとまったんで、ホテルを出ようとしたとき。
「わたしを見ながら笑うなんて、何がそんなにおかしいんですか?」
「だって、おまえのそれ」
そう言うと、また笑い出した先輩が指差しているのは。
わたしが抱えている、ビンゴで当てた八等賞の真っ赤なビニールの袋。
さっき二人で袋を開けたとき、わたしも思わず苦笑いをしちゃったけれど。
袋の中身は、サンタクロースのコスプレ衣装。
しかも、肩はフル露出で膝上二十五センチメートルの超ミニスカートなの。
「もう少しましなものがなかったのかな、着る機会が年に一回しかないだろ」
「いいんですよ、クリスマスにはちゃんと着ますから」
「超ミニスカートのお色気サンタクロースか、さぞかし似合うだろうな」
そう言うと、また笑い出した先輩。
「ふんだ、写真を撮って先輩にも見せてあげますから」
「楽しみにしておくよ」
「せいぜい、鼻の下を長くして待っているのね」
でも、超ミニスカートのサンタクロース姿の写真は。
とある複雑な事情により、先輩に見せることはなかったの。
写真は、ね。
ホテルを後にしてから、連れていってくれたお店は。
少し歩いたところにある、先輩が行き付けにしているバー。
でも、ここって?
「このお店って、前にも先輩に連れてきてもらったことがありますよね」
「良く覚えているな」
「確か、あのときって……」
「何年前だったか、おまえが担当者になったときに連れてきた店だよ」
「やっぱり、確かベンダーさんへ打ち合わせに行った帰りでしたよね」
今日は、そのベンダーさんのパーティーに出席した後だもの。
これも何かの縁かしらね。
レンジの箱が足元に置けて、しかも周囲の邪魔にならない場所がいいと。
お店の一番奥、カウンターの左端の席に座ることにした先輩とわたし。
先輩から、マスターと呼ばれた人が。
「珍しいね、いつもの席じゃないなんて」
「今日は、荷物があるからな」
「で、何にする?」
「俺はいつものやつで、こいつには上海レモネードを」
聞いたことがない名前ね。
「何ですか、上海レモネードって?」
「紹興酒とレモンジュースを使ったカクテルだよ」
「ふうん」
「なあ山ちゃん、この子って前に連れてきたことがあるだろ」
へえ、先輩はこのお店では山ちゃんって呼ばれているんだ。
「ああ、会社の後輩だよ」
「塔野真紀といいます」
「真紀ちゃんか、よろしくね」
「はい、お世話になります」
「前に来たときは、さもOLさんって感じの装いだったけれど」
よく覚えているわね、当人のわたしが覚えていないのに。
「今日はお嬢様って感じのワンピースだね、良く似合っているよ」
「さっきまで、俺と二人でベンダーのパーティーに出ていたからな」
「なるほどね、それで真紀ちゃんはおしゃれを」
そういえば、いつも先輩が会社で見ているわたしは制服姿なのよね。
だったら、今日のワンピース姿は好印象かしら。
「マスターって大変ですね、一度来ただけのお客の顔を覚えているなんて」
「気に入った女性客の顔だけだよ、マスターが覚えているのは」
「わたしが来たのって、三年以上も前の一度きりですよ」
「珍しかったからだよ、いやでも覚えるさ」
「何が珍しいんですか?」
「山ちゃんが女の子をこの店に連れてくるなんて、初めてだったから」
「へえ、そうなんですか?」
「ああ、それで今日が二度目だもの」
じゃあ、先輩がここに連れてくる女の人はわたしだけってことか。
「何、真紀ちゃんは山ちゃんの女性問題が気になるの?」
「そりゃあ」
「へえ、どうして気になるんだい?」
「だって、この先輩って私生活がまったく見えない人ですから」
ちょっとした、わたしだけしか知らない秘密を入手したって感じ。
「上目遣いで人を見てにやにやと、しかもグラスをなめながら言うことかよ」
先輩がお代わりを重ねる間に、わたしも上海レモネードをもう一杯。
九時近くにはお店を出て、タクシーでおうちへ。
高速道路を走るタクシーの車内では、先輩とこんな会話を。
「わたしを送ってから東京に戻るんじゃ、先輩の帰りが遅くなっちゃうわね」
「構わないさ、この分なら十二時までには家に着けるだろうから」
「どうして時間を気にするの、明日は何か予定が入っているんですか?」
「予定ってほどのものじゃないよ、会社で仕事をするだけだから」
「土曜日なのに、会社でお仕事ですか」
「お盆休みに、名古屋営業所でパソコンを入れ替えるからセッティングを」
「まだ一か月も先なのに、それに後輩がいるんだから任せればいいでしょ」
「普段はそうするが、明日は俺だけで」
「どうして?」
「二週間続けて、週末は仕事だったからだよ」
先輩だって同じように仕事だったのに、一人だけ今週末も?
「パソコンって、納入されてすぐには使えないんですか?」
「社内のシステムを使えるように、セッティングをする必要があるんだよ」
「週末にもお仕事をするなんて、先輩っていつ休んでいるんですか?」
「平日に振替休日を取ったり、出張や仕事が入っていない週末には休むよ」
そんなことを話しながら、おうちに着いたのは十時ちょっと前。
「早かったですね、これなら帰りもスムーズかしら」
「金曜日のこの時間なら、渋滞もないからな」
時間がたつのが早いと感じたのは、ずっとおしゃべりをしていたからよね。
「そこです、わたしの家」
家の手前でタクシーを止めてもらい、降りると。
「立派な建物だな、三階建てか」
「父が工務店をやっていて、この建物は職場と住居を兼ねているんです」
「ふうん」
「一階が資材倉庫で二階が事務所、自宅は三階なんですよ」
「おまえって、お嬢様だったんだな」
タクシーのトランクを開けてもらい、レンジの箱を降ろした先輩ったら。
再び、タクシーに乗り込もうとしているじゃない。
「それじゃあ、俺はこれで……」
「えっ、ここで?」
「約束どおりに家の前まで送ってやっただろ、何が不満なんだ」
「だって、自宅の玄関は三階なんですよ」
「それが?」
「わたしに、一人でこれを持って三階まで階段を上がれと言うんですか?」
「そうだが」
さらっと言っちゃって。
「こんなに重そうなのに、せめて玄関まで先輩が持っていってください」
「早く帰りたいのに、どれだけご奉仕プレイをさせれば満足するんだよ」
そんな文句を言いながらも。
タクシーの運転手さんに、待っているように伝えた先輩は。
「おまえが先に行けよ、そのコスプレの袋が俺から見えないようにな」
「あら、お色気コスプレはお気に入りなのでは?」
「まさか、うっかりそれを見て笑いでもしたら力が入らないからだよ」
レンジの箱を抱え、わたしの後から階段を上がろうとしている先輩ですが。
その背後から、いきなり聞こえてきたのは。
「おいっ、いったい君は誰なんだっ!」
Copyright 2026 後落 超
「千里の道も歩いてみれば」は、全二十四話。
毎週、木曜日と金曜日の十六時五分に投稿予定です。
投稿済の「くまさんの春から」「難ガール」と同様に、お楽しみいただければ幸いです。




