第八話 新聞屋が来て嬉しがるのは、まだ新聞に痛い目を見せられたことのない奴だけだ
駒形座に新聞屋が来ると決まった朝、松之助はいつもより早く小屋に入った。
早く来たところで、劇場が急に立派になるわけではない。
舞台の板は相変わらずところどころ鳴り、楽屋の鏡は曇り、暖簾は少し色が褪せている。
けれど人間というものは、落ちかけた看板を見上げる時ほど、無意味に袖を払いたくなるものらしい。
松之助は客席の埃を叩き、銀次は昨日から洗っていない足袋を隠し、小鈴は鏡の前でいつもより念入りに紅を差した。
菊乃もまた、帯を選んでいた。
「こちらの方が品がございますかしら」
薄紫の帯を身体に当てる。
水無瀬家に残っていた古い品で、端の方にわずかな擦れがある。
だが遠目には分からない。
遠目にしか見ない者のために、女は時々、近くの破れを見ないふりをする。
小鈴が横目で言った。
「新聞に載るなら、派手な方がいいんじゃないですか」
「派手と下品は紙一重ですわ」
「菊乃さん、たまにその紙を破りますよね」
「小鈴さん」
「褒めてます」
「嘘がお下手ですこと」
銀次が舞台袖から顔を出した。
「菊乃さん、今日は華族様でいくんですか」
「華族様でいくのではありません。元から華族ですわ」
慎吾が机の方から言った。
「中身まで保証される制度じゃない」
「葉室さん」
「制度批判だ。お前個人への悪口ではない。まだな」
「まだ、とは何ですの」
「余地を残した」
「残さないでくださる?」
銀次が笑いかけたので、菊乃は扇を構えた。銀次は素早く引っ込む。
慎吾はいつもの机にいた。
昨日より少し早く来ている。
紙束を前に置き、赤鉛筆を転がして、ひどく退屈そうな顔をしていた。
「葉室さんは、あまり嬉しそうではありませんのね」
菊乃が言うと、慎吾は紙から目を離さずに答えた。
「新聞屋が来て嬉しがるのは、まだ新聞に痛い目を見せられたことのない奴だけだ」
「宣伝になるではありませんか」
「なる。料理人が腐った魚を上手に焼くのと同じ意味でな」
「何でも腐らせてから話すの、おやめになったら?」
「腐る前に持ってくれば考える」
昨日の小春の件で、駒形座には妙な噂が立っていた。
子役の借金騒動、没落しかけた華族家の娘の善行、口の悪い台本屋。
浅草には、誰かの涙を笑いに変える前に、まず噂にする性質がある。
それを聞きつけた新聞屋が、駒形座を取材したいと言ってきたのだった。
松之助は素直に喜んだ。
客が来るかもしれない。
看板になるかもしれない。
駒形座という名が、活字になるかもしれない。
活字というものは不思議である。
紙に刷られると、嘘でも少し本当らしくなる。
松之助が帳場の方から声を張った。
「葉室、今日は頼むから余計なことを言うなよ」
「俺から余計なことを取ったら、何が残る」
「少しは自覚があるんじゃねえか」
「残念ながらな」




