メモリーループ番外編 第二章 二神の王女と一神の王妃
ある神は言った。
神生はジェットコースターのようなものだと。あ、ジェットコースターというのは人間界における遊具で、うんぬん。
ある神は言った。
一寸先は闇。
ある神は言った。
行き当たりばったりの神生、サイコー!!
とりあえず、色々と突っ込みたい事はあるが――。
「ちょっと待てえぇぇぇっ!」
今はそんな所じゃないっ!!
「まあぁぁてぇぇぇぇっ!」
逃げる少女二神を追い掛け爆走中。
いつも利潤を追いかけ回していた自分の足の速さをナメるな!!
紫蘭の雄叫びも、大晦日で賑わう街の喧騒にかき消されその一部となった。
★
「はぁはぁ……あなた達、もう逃げられない、わよっ?!」
小路に追い詰めた紫蘭は、魔王の如き威圧感でもって彼女達をその場に縫い止めた。
一歩たりとも行かせない、逃がさない。
利潤すら圧倒した気迫を向ければ、彼女達は指一本動かすことすら出来なくなっていた。
「というか、なんで逃げるの」
かなり馬鹿な質問なのは分かっている。
とりあえず、紫蘭に刃を当てた少女の方は最初から外に出たがっていた。
そして途中で荷台に入り込んできた少女の方は、お忍びと言っていた。
つまり、どちらも外に出るのが目的だったのだ。
なのに紫蘭が追い掛けてくる、つまり連れ戻される――となれば、逃げ出しもするだろう。
しかし――。
お忍びといった少女はともかく、紫蘭を刃で脅した方は今の時点で捨て置くことなど出来ない。
彼女は、紫蘭も知るかの国の王女なのだから。
そう――あの舞台で、共に『豊楽の舞』を舞った相手。
目深くフードを被ってはいるが、絶対に見間違える事は無い。
声だって、聞いている。
「どうして、あなた様が此処にいらっしゃるのですか?」
「……」
相手も紫蘭に正体を知られているのは分かっているのだろう。
黙秘を貫くその姿勢に全てが現われている。
そして断固帰らないと、全身で訴えていた。
これはかなり手こずる。
拗ねた利潤並の手強さだ。
利潤もそうだった。
元々頑固な気質ではあったが、こうと言い出せば譲らない。
王としてはそうではないのに、一度私事になればもう手が付けられなかった。
なんだあの二面性。
王としては他者の諫言を素直に聞き入れるというのに、どうしてただの利潤になるとあそこまで神の話を聞かないのか。
『だからそうじゃないでしょう!!』
そう言って、何度利潤と言い合いになったか分からない。
その時の疲労を思い出せば、どっと体のだるみを覚える。
と、そんな紫蘭の視界の隅で、少女達がそろりそろりと抜けだそうとするのが見えた。
「何、してるんですか?」
「っ!」
「きゃっ!」
何処の泥棒だと突っ込みたいぐらいの忍び足をする二神に、紫蘭は再び威圧感を発する。
幸いな事に、この小路には他に神は居ない。
いや、もしかしたらこの騒動を察知してわざと近づかないだけかもしれないが。
とにかく、今はこの二神である。
「そこの貴方様は――国の姫君だった筈。それがどうして、ここに?」
「え?!そうなの?!」
そんな言葉を発するもう一神の少女に、紫蘭は更に言葉を続けた。
「そして貴方様はどちらの令嬢で?」
「え?」
ここで突然矛先が代わり、標的となった少女がたじろいだ。
「どちらの令嬢で?」
「え、えっと」
慌てた少女が後ずさる。
けれど、後ろにあったでっぱりに気づかなかったのが彼女の不幸。
そのままでっぱりに足を取られ、彼女はひっくり返った。
「ちょっ!」
後ろに勢いよくひっくり返った。
その時に、首からそれがこぼれ落ちた。
その鎖の先にあるのは。
「っ!!」
まさか、なんて事だ――。
というか、どうしてそう身分の証になるようなものを持ち歩いているのか。
お忍びだからこそ、そういう身分の証は普段は他神の目に触れないようにしなければ。
どこに悪い輩が潜んでいるとも限らないというのに――。
「まさか、あなた様は星界の」
正確に自国の名を告げる相手に、少女は慌てた。
「な、なんでっ!」
「そのネックレスです」
見事にロケットの表面に紋章が刻まれていた。
その国の国家の紋章が。
それを刻んだ装飾品を身につけられるのは、王族のみ。
「せめて外してくるべきでしたね」
「無理!だってこれお母様から貰った大切なものなんだものっ」
別に置いてこいとは言ってないが、少女は涙目で紫蘭を睨付けた。
よほど大事なものなのだろう。
ならばそんな風に目に入る所にかけておくな。
見た所、あのロケットネックレスはかなり良い代物だ。
素材は純銀で、蓋の表部分には美しい青い宝石が填まっている。
そしてそこに浮かぶ紋章は紛れもない、彼女の身分を表すもの。
「とにかく仕舞ってください。首からそんな高価な物をぶら下げてたら、首ごと持ってかれます」
それでなければ、かの国の王女として神身売買の格好の獲物として襲われる。
「というか、どうしてあなた様がここに」
「も、もちろんお忍び」
何がもちろんだ。
もちろんじゃないだろう、どう考えても。
「お二神は、これがもたらす事の意味を分かっているんですか?!」
もちろん自分だって他神の事は言えないが、少なくとも王宮の外に出るつもりは無かった。
もし外に出て、何かあれば凪国に迷惑がかかる。
他国で何かの事件に巻き込まれるという事は、そういう事だ。
それは身分や地位に関係なく、他国の者はその事を考えて行動しなければならない。
それが他国の者を受け入れてくれるその国への最低限の果たすべき義務なのだから。
特に、自分の我が儘で引き起こす騒動などもっての他だ。
それも義務と責任のある一国の姫が、共一神連れず隠れるように外に出るなんて。
この様子では、当然ながらそれぞれの国の者達は気づいて居ないだろう。
バレたら、大変な事になる。
当然、それは紫蘭も同じだ。
紫蘭の身を案じ匿ってくれる形の凪国。
もし紫蘭に何かあれば、凪国は浩国から責められるだろう。
たとえ悪いのは紫蘭だと言っても、浩国王妃という立場がそれを赦さない。
一国の王妃を粗略に扱われたとして、危機に晒したとして、浩国は非難せざるを得ないし、凪国はそれに甘んじなければならない。
紫蘭の行動一つで、言葉一つで、多くの者達が巻き込まれるのだ。
だから――よく物語であるような、『お忍び』なんてしてはならないのだ。
「王都が見たいのでしたら、周りの者に言って改めて来るのが筋です」
と言いつつ、それも現実には厳しい事は熟知していた。
自国で、前々から計画していたならまだしも、異国で、しかも突然そんな事を言い出して叶えられる訳がない。
警備その他と周囲に強いる負担は凄まじい物となるはずだ。
逆に言えば、それほどの価値を彼女達も自分も持っているという事である。
紫蘭などは王妃として相応しくないと言われ続けてはいるものの、それでも王妃である限りは最低限の価値はある。
切り捨てるにしたって、それなりの理由がなければ「あそこの国は簡単に正式な王妃を切り捨てる国だ」と周囲から非難されかねない。
そう――王妃の地位から正式な手順を持って降りない限りは、この身は使い方一つでとんでもない騒動を引き起こす。
だから……帰らなくては。
自分も、彼女達も。
紫蘭の訴えに、星界の方の姫君は躊躇を見せた。
しかし、もう片方の――炎水界にあるかの国の姫の方は駄目だった。
「私は帰りません」
もう覚悟を決めたとばかりに、彼女は紫蘭の訴えを聞き捨てる。
一番最悪なパターンだ。
また、星界の姫の方も。
「た、確かにあなたの言う事は最もだわ。でも、私にはもう時間がないの」
もう一神の姫君の空気に感化されたように、彼女は言う。
「私は今までずっと後宮で暮らしてきた。そこから一歩も出られずに。そして結婚するまでずっと……いいえ、結婚したところで私はずっと籠の鳥。今回こんな遠くまで来られたのも……たぶん、一度ぐらいは外の世界を見て来いって事だと思う」
「……」
「戻れば、また私は結婚するまで後宮から出して貰えない。だから、せめて一度ぐらい外に出てみたいの」
その一度が時として大きな過ちとなりかねない。
しかし、心を鬼にして拒否しようとする紫蘭の手を取り、彼女は更に懇願する。
一度だけで。
一度だけお願いだと。
凪国王都なら治安も良いと聞くし、こんな機会はもう二度と無いのだと。
「我が儘な事を言ってるのは分かってる!でも、これだけは諦めきれないのっ」
涙目で頼み込む彼女に、紫蘭は言葉に詰まる。
心を鬼にしようとしても、その先からぐらぐらと揺らいでしまう。
ふと、黙ったままのもう一神の少女に気づき紫蘭は視線をそちらへと向けた。
「……貴方様も、そうなの?」
「――え?」
「だから、一度だけ外に出たいって」
紫蘭が迷っているのが分かったのか、少女がこちらをジッと見る。
まるでその迷いを見透かすような、見定めるような視線に、先程まで彼女達よりも優位に立っていた紫蘭はまるで立場が逆転してしまったかの様な感覚を覚えた。
「……外に行きたかった」
少女は一言だけポツリと告げた。
「……」
「お願い!今回だけだから!」
未だに紫蘭の手を掴む少女が更に懇願する。
「今しかないの!」
「でも、それでもし貴方様達に何かあれば、貴方達の国に混乱が生まれます。それに、凪国で他国の王女が傷つけられたとなれば」
「そこは気をつける!」
気をつける?
先入観かもしれないが、話を聞けば今まで一度もまともに外を歩いた事もない王女達がいくら気をつけた所でどうにもならない部分が出てくるだろう。
特に、良からぬ事を考える者達は酷く鼻が利く。
すぐに世間知らず、良い所の令嬢だと知られてしまうだろう。
安全を考えれば、強引に彼女達を王宮に連れ戻すべきだ。
それに今頃は彼女達の不在に気づいて王宮は大騒ぎになっているかもしれない。
しかし、今まで一度も外に出られず、たった一回の外出をこれほど懇願する彼女達を切り捨てる心の強さを紫蘭はどうしても持てなかった。
似た様な者達を知っているから。
紫蘭は王妃としては、比較的自由に外に出て行けた。
非公式――お忍びだが、他国への訪問も可能だった。
けれど、そうでない者達も沢山居た。
特に、産まれながらの王女ともなれば、そう簡単に外には出られない。
貴族の令嬢や豪族の子女とてそうだ。
大戦以前、大戦最中に比べれば圧倒的にその傾向は減ってはいるが、それでも流石に王族ともなればそうも行かない。
紫蘭は自分の境遇の幸運を思う。
同時に、産まれながら後宮から殆ど出られない目の前の少女達を思う。
外に出られないという不自由さ。
もちろん、その不自由さと引き替えに、彼女達は産まれながらにあらゆる特権を持っている。
保証された衣食住はその最たるものだろう。
飢える事もなく、住む場所に困る事もなく、着る物も容易に手に入る。
最高の教育が与えられ、王女として多くの者達に傅かれる。
それは全て、彼女達が国の為に生きるから。
国と民を守る為に、国の力に守られ、民達の血税で生活してきた彼女達は我が身を捧げる。
その最たる例として、結婚だ。
彼女達にはその自由は無い。
また自由な結婚をするとしても、必ずやそこには「国の利益」、「民の利益」が付きまとう。
そう――だからこそ、彼女達は『自由と義務』と引き替えに、多くの物を得る。
王女として生き、その身を価値ある物として。
だからこそ、政略結婚の駒となり得る。
結婚しても、それは同じ。
価値ある存在として、大切に大切に宮殿の奧で囲われる。
あらゆる物を手にしながら、自由だけは得られずに。
その一挙一挙が、祖国を代表するものとして。
常に周囲の視線に晒され、日々を過ごす。
こんな風に、自由に外に出る事なんて出来ない。
普通の少女のように、外に遊びに行く事なんて出来ない。
今を逃せば――。
王妃の、いや、ただの紫蘭にとって、彼女達を王宮に帰す事が正解だった。
でも――同時に彼女達の思いが紫蘭を揺らがせた。
ただ一度、訪れた好機。
自国では叶わず、もちろん他国だからといってそれをして良いわけはない。
それでも……。
それでも、彼女達の必死な願いに飲み込まれる。
「私は……」
駄目だと言えばいい。
貴方達は王女なのだと。
一国を背負う身なのだと。
その行動、発言一つで国を巻き込みかねないのだと。
場合によっては、王に非情なる選択をさせなければならなくなるのだと。
どうか、このまま戻って欲しいと。
けれどそれは、彼女達の思いの犠牲の上に成り立つ事。
それは彼女達が王女として産まれ、育つ上では当然の事だ。
なのに……紫蘭は言えなかった。
普通の少女のように、街を歩きたい。
普通の少女であれば、誰しもが当然のように赦された行為。
もちろん彼女達は普通の少女では無い。
だから必ずしもそれには当てはまらない。
でも……でも……。
紫蘭は苦しい時、辛い時はいつもまだ『ただの紫蘭』で居られた時の事を思い出す。
王妃としてではなく、ただの少女として。
利潤も王でなく、上層部も上層部ではなくて……普通に、気安く接する事が赦された時間。
あの時は……確かに幸せだった。
その時の事を思い出して、辛い日々を乗り越えてきた。
でも、彼女達にはそれが無い。
後宮で飼われる日々が嫌だったから、こんな行動を起こしたのだろう。
そしてもし、今唯一の機会を潰したとして、彼女達はもう二度とこんな事をしないと言えるだろうか?
抑圧され、積もり積もった思い。
どんなに抑えていても、許容量を超えればいつか爆発する。
そうなれば、もっともっと酷い事になるかもしれない。
それを考えれば、今、ある程度発散させてしまう方が良いかもしれない。
そして一つでも楽しい思い出があれば、この先どんなに辛くても、頑張れるかもしれない。
ただ、こんな事は彼女達の周囲には受け入れられないだろう。
たとえ受け入れられたとしても、それ相応の準備が必要だし、その前にきっと自国に戻る日が来てしまう。
かといって、自国に戻ってそれが可能かと言えば……。
最も簡単なのは、彼女達の願いを封殺してしまう事だ。
無かった事にしてしまう。
それが一番楽なのだ。
そしてその可能性が一番高い。
『貴方様は王女なのですよ』
そう言われて。
それに外に出す気なら、今の今まで外に出さずに育てたりはしないだろう。
もしかしたらこの先出す予定があるかもしれないが……期待は出来ない。
それらを合わせて考えて見ても、今が、最大の機会。
そう――たった一度の、最後の機会。
「……本当に、今回だけですね?」
「もちろんよ!」
紫蘭の様子に、星界のとある大国の王女が頷く。
その目の輝きを見れば、何が何でも帰らないという決意が見て取れてしまう。
きっとどんなに止めた所で、止まる筈が無かったのだと思わせられる。
「ただし、色々と約束は守ってもらいます」
「約束?」
「ええ。私から条件を出します。それが守れないのでしたら、私が全力を挙げて阻止します」
「わ、分かったわ」
「貴方様もそれで良いですね?」
もう一神の王女にも問えば、彼女は静かに頷いた。
「では条件です。その一、私も同行します」
「え?でも、そんな事をしたらバレた時に貴方も」
怒られるのでは?と暗に心配する彼女に紫蘭は苦笑した。
そんなのは今更だ。
こうして共に抜け出してしまった時点で、紫蘭にも何らかのお咎めがあるだろう。
下手したら、紫蘭がそそのかしたと思われるかもしれない。
それを覚悟した上での事なのだ。
ただ、祖国に迷惑がかからないようにしなければならないが。
「貴方達二神だけを外に出す方が心配です。まだ私の方が外歩きの経験はありますし」
大戦時代にあちこちを旅した経験は遠い過去の物になりつつあるが、それでも一度も外に出た事の無い彼女達に比べればいくらかはマシである。
それに――。
「お二神は当然ですがお金は持ってますよね?」
……………。
……………。
反応は無かった。
「お金?」
「お金って、金銭ですか?」
不安が一気に増した。
下手すれば無銭飲食を引き起こしかねなかったかもしれない事実に、紫蘭は目眩を覚えた。
ってか、無銭飲食で捕まる王女達って!!
とんだスキャンダルである。
お忍びよりも多大な恥だ。
いや、それよりも――。
野放しに出来ない、この二神をっ!
もちろん一緒に行くつもりではあったが、これは絶対に目が離せない。
と――そこで紫蘭は自分自身がお金を持っていたっけ?と不安を覚えたものの、紅葉に耳飾りを届ける際に持ってきた巾着袋にお金が入っていた事を思い出した。
――って、耳飾り!!
紫蘭は巾着袋を握りしめた。
元々はそれが目的だった筈なのに、いつの間にかこんな外にまで来てしまった。
今頃紅葉はどうしているだろう?
もしかしたら、あそこに落とした事に気づいて探しに来ているかも……。
これなら、最初から部屋に留まっていれば良かった。
けれどそうすれば、この二神の王女は無銭飲食で……果たして、どちらが良かったのか。
もうこうなれば、一刻も早く二神に満足して貰って王宮に戻るしか無い。
そうして……王女二神に王妃一神という奇妙なお忍びが始まったのだった。