11 弟 4
夜は温泉旅館に泊まり、兄さんだけは別室だけど、夕飯は一緒にとる。
早めに旅館に着いて、母さんと姉ちゃんは二人で温泉にゆっくり入るとかで、男と女で別れて行動した。
男三人で、露天風呂につかる。ぼくは周囲に人がいないのを見計らって、父さんと兄さんに質問した。
「兄さんは、ずっと母さんの親友なの?」
ぼくは、他人に聞かれることはもちろん、ぼくの考えが間違っていたとしても、どうとでも意味をとれるよう、曖昧なききかたをした。
それに、ぼくにまだ話したくないなら、父さんも兄さんも、言葉通りの答えを返すことができる。
二人とも、沈黙している。
周囲の様子をもう一度確認した。内風呂にも、まだ人が来ていない。
ぼくはもう一歩踏み出した。
「去年、気づいたけれど、まだ教えてもらえない?」
ぼくは念のため小声でいう。
注ぎ口から絶えず流れてくるお湯の水音でかき消され、ぼくの声は二人にしか届かない。
父さんが、ため息をついた。
「大人になったと、自分で思うか?」
「わからない。」
ぼくは正直に答えた。
「何がどうなれば大人といえるのか、わからないから。」
父さんはぼくの正面に移動し、ぼくの目をまっすぐに見た。
「この場合、視野を広くもち、他者を許す寛容な気持ちを持っていれば、僕は大人と見做す。」
ぼくは自分について過信していない。
「ぼくは、そういう大人になっていたい。」
ぼくも父さんをまっすぐ見る。
「母さんの心を信じるか?」
ぼくはこの家のタブーを聞きだそうとしている。
「母さんは、ぼくの母さんだから、信じるよ。」
ぼくの決意が伝わったのだろう。父さんは兄さんの方を向いて、「部屋を借りていいか?」ときいた。兄さんは頷いた。
ぼくたちは風呂から上がり、旅館の浴衣を着て、水を飲み、兄さんが泊まる部屋に向かった。
父さんは、簡潔に教えてくれた。
「母さんの親友は、親友だけど、内縁の夫だ。」
ぼくは頭の中で、父さんが言ったことを繰り返した。一度では理解できなかったのでもう一度繰り返したが、やはり理解できなかった。
親友と内縁の夫、どちらに比重がある?
内縁の夫??
事実婚の夫ということ? 母さんと、兄さんが? 事実婚?
兄さんが一緒に住んでいたとき、父さんもいたはず。いつから母さんと、そういう関係になった?
予想外のことに、ぼくの頭は追いつかない。
浮気や不倫ではなく、親友で、内縁の夫?
ぼくは兄さんを見た。
「質問に答えるよ。」
兄さんは真面目な顔でぼくを見ている。
ききたいことはたくさんある。でも、一番知らないといけないことはこのことだった。
「兄さんにとって母さんは、何?」
兄さんは目を伏せて、今まで感じたことのない、侵しがたい雰囲気を出した。兄さんは綺麗な大人の男だけれど、今の兄さんには触れられない。触れてはいけない存在のような気がする。
「私の、半分。」
兄さんがぼくではない何かを見て軽く微笑み、夢を見るような、柔らかい表情になる。
「君のお母さんは、私にとって、全てよ。」
兄さんは男だ。でも、今の兄さんは男でも女でもない。そういう性別の区別がない存在に見えた。
ぼくはわからなくなり、父さんを見た。
父さんが頷いた。父さんが、兄さんの在り方を認めている。
父さんは、間違いのない人だ。父さんが認めるなら、ぼくも認めるしかない。
「姉ちゃんは、このことを知っているの?」
「まだ、話していない。女の子こそ、母親に厳しいだろうから。」
父さんが答えた。
父さんは母さんのことを気にしていた。
こんなに父さんが母さんを思っているのに、母さんは兄さんに心を向けている。
ぼくは母さんの心を理解できなかったし、それを許容する父さんのことも、一緒に居ようとする兄さんのことも、理解できなかった。
「無理に理解しなくていい。そういうこともあるのだと、知っていればいい。」
父さんにはぼくの気持ちがわかっていた。
「知って、自分が受け入れられないからと、拒絶しなければそれでいい。」
ぼくは全然大人ではなかった。経済的なことや経験的、身体的なことは中学生だから仕方がなくても、精神的にもっと大人でいたかった。
ぼくが俯いていると、父さんがぼくの肩に手を乗せた。
「母さんの親友は母さんのものであると同時に、僕たちの家族だ。」
ぼくは父さんを見てから、ゆっくりと兄さんに視線を移した。
兄さんはさっきの侵害しがたい雰囲気を消して、いつもの気安い兄さんになっていた。
「私が嫌いになった?」
兄さんは、少し悲しそうな表情をしている。
ぼくの知らない母さんと兄さん。ぼくの知らない大人たち。
広い視野と寛容な心。
受け入れられないからと、拒絶しなければそれでいい。
我が家は、大人たちが作り、護ってきた家庭だった。
精神的にもまだ未熟なぼくがこの家庭を壊すのは、さすがに幼すぎる行動だ。ぼくは大人ではないけれど、そこまで子供でもない。
「驚いただけ。嫌いにならないよ。」
ぼくの言葉で、兄さんが安心したように笑顔になった。
ぼくは兄さんが去年言っていたことを思い出した。
「本当に、この家族は特別なんだ。
不安になることは、何一つない。」
大人たちによる、視野の広い、寛容な世界。
ここでなら、ぼくのことも許してもらい、何か解決策をもらえそうな気がした。
「ぼくの問題を、一緒に考えてください。」
ぼくは二人向かってお願いした。




