14 月夜
――冷たい。ひどく冷たい。
全身が、凍りついた湖の側で佇んでいたかのように冷えていた。
その冷たさに、私は目を覚ます。目を開けた瞬間、瞳に写ったのは、自分の部屋ではなくて。その刹那、私が今居る場所と、自分の置かれている状況を思い出した。
王が帰ったあと、私は寝てしまったようだ。自分で寝台の中に入って眠ったはずなのに、全く記憶がない。
寝具をきつく体に巻きつけながら、私は体を起こして、外を見る。何があるかと期待した訳ではない。何故か体が勝手に動いていた。
窓の外に浮かんでいたのは、静かに光る月であった。それを見た途端、先ほどまで体を蝕んでいた寒さが嘘のように消え去る。
その月は、遠い昔に見た月と同じだった。レイが戦いに行く前の夜に二人で見た月と、レイが死んでしまった後に、独りで泣きながら見た月と。どちらのものとも、憎らしいほど同じで、それでも憎みきれないそれは、私を柔らかな光で照らしている。
「……レイ。私は、正しいのかな」
答えてくれるはずがないのに、思わずつぶやく。これから私がしようとしていることは、間違っていることだと思う。もしもレイがこの場にいたのなら、血相を変えてやめろと怒鳴るのだろう。けれど、私にだって伝えたい思いがある。レイが守りたいものの為に戦い、その為に死んだように、私にだって守りたいものがあって、それを守るために、その為に死ぬことも許されるはずだ。
伝えたい。孤独な王に。若き騎士に。
この世界の美しさを、儚さを。
私と違って、一瞬の時を生きる彼らに伝えたい。
彼らなら、きっと、私の思いを分かってくれるはずだ。
――私はそう、信じている。
* * *
「……」
次の日の朝、私は兵に引き立てられ、すこぶる機嫌の悪い王の前に引き出された。
「気分はどうだ」
私を一瞥して、王は問いかけの形をした言葉を吐き出す。問いになっていない言葉を無視して、私は前を見据えた。これで気分が良い訳もないだろう。王は昨日の晩のことを思い出しているのか、何も言わずに私を見つめている。その視線さえも無視をして、私は口を開いた。
「……一晩のうちに、凄い数の兵ね」
私の眼下には、おびただしい数の兵が城を囲んでいる。昨日、私がここに連れて来られたときには、いなかったはずだ。一晩でこの人数が集まるということは、前々から計画されていたに違いない。ここから見える範囲では、皆形の違う鎧を着ており、正規の軍とは言えないようだった。王に反抗する義勇兵といったところだろうか。この兵達の要求は一つ。私の目の前にいる王の退位と処刑だろう。
「あぁ。泳がせていたリベリア地方の者たちが一斉に蜂起したようだ。俺の見立てでは、あと数日は猶予があるはずだったんだがな。……計画変更だ。お前の刑は今日の正午に執り行う。それまでは、好きにして良い。逃げようなんて気は起こすな」
「死刑囚に対して、随分寛容な御処置ですこと」
私の言葉に、王は鼻を鳴らす。
「あんたは従順な死刑囚だからな。まさか、俺の言葉に素直に頷くとは思わなかった」
「私には、私なりの考えがあるわ。それに、それが私が生まれた理由なら、そうするしかないじゃない。……正午まで、貴方と一緒にいていいかしら?」
今まで不機嫌な表情を崩さなかった王が、初めて驚きの表情を浮かべる。
「なぜそんなに驚くの?」
「どこの世界に、王と親しくする死刑囚がいる」
「いいじゃない。あなたと、イシアの話が聞きたい」
「……イシアに会わなくて良いのか?」
「イシアとは会えないわ。私が今からしようとしていることは、きっと彼には理解出来ないことだと思うから 」
「結果だけ聞いたとしても、あいつは、きっと納得しない」
「そんなの、分かってる。でも、こうするしかない。……ねぇ。話して」
「俺もそこまで暇ではない。だが……。魔女殿と話すのもこれが最後だ。最期の望みぐらい叶えてやろう」
王はそう言ったあと、私の望み通り、王やイシアの生い立ちや、イシアの母であり、レイの子孫でたったベルタという人物の話もしてくれた。昨日の夜、確かに王は感情などないと言った。けれど、彼女やイシアのことを話す王の瞳は、ひどく辛そうだった。
「……あなたは、甘えても良かったのよ。イシアもあなたもきっと、ただ誰かと悲しみを分かち合いたいだけだった。復讐なんて考えなくても、あなたは幸せになれたのに」
「……幸せなど、ない。俺は、ずっと独りだ。俺に寄り添ってくれた母はもういない」
「人間は、独りでも生きていけるわ。誰かを失って、もう二度と笑うことが出来ないって思っても、何かの拍子で思いがけずに微笑んだり出来るものなの。たまに誰かと出会ったりして、誰かと笑ったりすることもある。そうしたら、それはとても幸せなことよ」
「……魔女殿は、復讐したいと思わなかったのか?」
「私は、そう思えるほど強くなかったから。ただひたすら悲しんでばかりで、気づいたら春だった」
私はそう言ってから、空を見上げた。そこにあるのは鈍色をした雲だけ。それでも、私はあの、春の日の空を思い出せる。
「……魔女殿。あと半刻で正午だ」
しばらくして、王は静かに言った。まだこの王と話したい気持ちはあった。きっと、私とこの王は良く似ているから。だからこそ二人とも、イシアに惹かれたのかもしれない。
「ありがとう。最期にお話が出来て、嬉しかった」
「そう……だな」
それだけ言って、王は口をつぐむ。
「私の処刑、考え直す気になった?」
「それは出来ない。俺はもう、後戻りは出来ない」
苦い顔をして、彼は言う。
「冗談よ。そんな顔しなくても良いじゃない」
「陛下。処刑の準備が出来ました」
兵が、私の身柄を求める。王が頷くと同時に、私は手錠をかけられる。ひどく冷たかった。王に背を向け、そして歩き出したその瞬間に、王が問うた。
「……魔女殿。名は何という?」
その問いに、私はただ背を向けたまま、答える。
「リーゼ」
これが、彼との最期の会話になると理解していた。これ以上ここにいたら、彼に縋りそうになる。私を、殺さないでと。そうなる前に私は、自らの力で歩き出した。私の後ろを、慌てた兵がついてくる。
「リーゼ。あんたは、独りじゃなかった」
私は彼から離れたから。だから、そんな言葉が聞こえたのも気のせいに違いない。ただ、瞳からこぼれてくる涙は誤魔化すことが出来なくて。
「……あなたも、独りじゃないわ」
泣きじゃくりながら、彼に向かって、もう届かない言葉を吐いた。




