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 ここだ、看板に『リコの酒場』と書いてある。

 ときおり聞こえる弾けるような笑い声、ぶつかるジョッキの乾いた音。中の喧騒(けんそう)は扉越しでも隠しきれていない。

 漂う煮込みの匂いに、腹の虫が反応してしまった。今日の夕食は決まりだな。さっそく入ってみよう。


「一人いけますか?」

「空いてるとこ勝手に座んな!」


 しわがれた声のおばちゃんに、いきなり怒鳴られてしまった。常連ばかりの居酒屋だと、こんなシステムの場所ってあるよな。

 俺は入り口近くの席に座る。丸テーブルには、冒険者らしき赤髪の青年と、緑髪のおじさん。むさ苦しい三人が集まった。

 煮込みと安い酒という曖昧(あいまい)な注文が通ったことに内心驚きながらしばし待つ。


「なあおっさん。あんたちょっと臭うぜ?」


 赤髪が開口一番、痛いところを突いてくる。

 もう三日も風呂に入ってないからな。指摘されて当然だ。

 テーブルに両手をついて、深々と頭を下げて謝罪する。


「本当に申し訳ない。金がなくて、ずっと公園のベンチで寝ている。昨日は森で木の葉を食い、今日はネズミを生(なま)で食べた。生きることに必死で、体臭について失念していた」

「……そうか、そうだよな。分かるぜおっさん。冒険者ってのは大変なんだよ! 臭(くせ)えくらいが丁度いいぜ! なあみんな!」


 赤髪は木製のジョッキを掲(かが)げて、周りを煽(あお)り始めた。

 客も客で盛り上がり、猛(たけ)り狂いながら叫ぶ。

 ここで、無言だったはずの緑髪おじさんまでもが立ち上がり、加わってしまう。


「こいつはな、汚ねえし生でネズミを食っちまう気持ち悪い野郎だ! なあみんな!」


 他の席の客が「うおおおぉ!」とか「そうだ、いいぞ!」とか言ってるけど、普通に悪口なんだわ。事実だし否定はできないけどさ。

 ノリが分からず、後頭部を掻きながらぺこぺこする俺の気持ちにもなってくれ。


『なにこれ?w』

『やっぱ臭いんだ……』

『なあみんなやめてw』

『同席してる人可哀想』

『香水の匂いきつい人とか嫌だしなぁ』


 俺も逆の立場なら顔を顰(しか)めるだろうな。

 初めて冒険者として稼いだ金で、仕事帰りに一杯をやりたかったんだ。自分本位ですまん。


「はい、お待ちどお」


 おばちゃんが料理と酒を運んでくれた。これでこっちに集中できる。

 まずは渇(かわ)いたノドを酒精で焼く。

 こりゃ強い。なんらかの蒸留酒を水で割ったものだろう。

 続いて煮込み。フゥと吹いて冷まし、大きめの肉を頬張(ほおば)る。

 口の中でゼラチン質の部分がとろりと濃厚にほぐれていく。

 シンプルな塩味だが、謎のスパイスが後から鼻を突く。この強烈さは癖になるな。

 酒が進む進む。

 ジョッキが空になってしまった。


「いい飲みっぷりだ不潔野郎! リコちゃん、俺のおごりであいつに同じの頼むわ!」

「あいよー」


 他の席から、イジメに近いあだ名とともに、素晴らしいタイミングで酒をご馳走になってしまった。これには感謝しかない。

 ちなみに、店名にもなっているリコちゃんとは、俺を怒鳴りつけて料理を運んでくれたあのおばちゃんだった。


「おう、これも食いな」

「どうも」


 緑髪のおじさんがパンをくれた。千切って煮込みのスープに浸し、口の中に放り込む。

 小麦の香りと甘さが相まって、これも素晴らしい組み合わせだ。

 新しい酒も到着。がつがつ食って、ぐいぐいとあおる。

 少し酔ってきたかもな。


「そんなボロっちい槍じゃ金もねえんだろ? ここの代金、払ってやっから好きに飲み食いしやがれドブネズミ!」


 また別の卓からありがたい声。俺はネズミじゃなくて猫のほうなんだが……まあ、どうでもいいか。


『どんどん不名誉なあだ名が増えていく』

『みんな気前がいい』

『底辺を見つけたから、マウント取りたいだけじゃねえの?』

『小根が腐った妖精もいます』


 たしかに、貧乏人に恵んで気持ちよくなっている可能性はある。しかし、後輩に奢る感覚かもしれない。

 ここは素直に好意として受け取っておく。その方がみんな幸せだ。


 無料(ただ)で好き放題やれるなんて素晴らしい。

 煮込みには野菜も肉もごろごろ入っているから、料理はこれだけで十分だ。また同じ酒を頼む。

 ぬるいし美味くはないけれど、不思議と気に入ってしまった。

 せっかく相席なのだから、赤髪に聞いてみるか。


「この酒は何から作られている?」

「森に蛇がとぐろ巻いたような木があんだろ? あの葉っぱだよ」


 なるほど、合点がいった。

 あれは美味かったからな。


「それなら昨日食べたぞ。俺は好きだった」

「ぎゃはははは、ほんとかよ! あんなもんどうやって食うのさ」

「珍しいスキルを持っているからな。葉っぱを消化するのは得意なんだ」

「面白れえなおっさん。ちょっと見せてくれや。おーいリコちゃーん、コイルナの葉っぱ持ってきてー!」


 あの木はコイルナというのか。

 人と会話をしていると、知識がどんどん増えていく。


「この分の料金も付けとくからね」


 リコちゃんが不機嫌そうな顔で、木の器を乱暴に置いた。裁断された細長い葉が山盛りだ。

 同時に届いた酒を一息で飲み干せば気合十分、準備完了!

 宴会芸で盛り上げてやろう。


「この葉っぱはな、こうやって食べるんだよ!」


 俺はテーブルの真ん中に飛び乗る。


「――チェンジ!」


 そして、スライムに変身した。


「なんじゃそりゃあああああああああ!」

「いいぞナメクジ野朗!」


 店内はどよめき、赤髪はアゴが外れそうなほど口を開いて驚いている。

 モンスター化は、いまこのときのために用意されたスキルだったのかもしれない。


 俺は皿ごと包み込んで、コイルナの葉だけを消化していく。シュワシュワとした清涼感が最高だ。

 ついでに煮込みもこの体で味わってみる。

 どうやら人間の舌よりも、スライムの消化液のほうが鋭敏に味を感じることができるらしい。半端じゃなく美味い。

 リコの酒場が笑い声と拍手でどっと沸いた。


『酔っ払って調子に乗ってるわw』

『こういうノリ好きよ私』

『おっさん大人気やんw』

『俺も今度の飲み会で草食おうかな?』

『空気が終わるからやめろw』


"――チェンジ"


 ふぅ、そろそろ俺も限界だ。人間に戻る。

 胃袋が一杯だし、これ以上飲んだら記憶が飛ぶ。

 俺は右手を挙げながらひらひらと揺らし、颯爽(さっそう)と店を出ていく。


「おっさん、楽しませてもらったぞー!」

「次は風呂入ってから来いよー!」

「臭かったぞー!」


 背中に受けるのは大声援……だよな?

 英雄になった気分。


「いい夢が見れそうだな」


 次に向かうのは、とある宿。たしか、『ペノンベンイン』だったか。

 ここからはそう遠くない。

 ふわふわとした脳みそで通りを歩く。

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