第86話 スレットの娘
————病室の最奥のベッドの上で青白い顔のミロワが静かに横たわっている。
ゴクリと息を飲んだタスクは震える手を動かし、指をミロワの鼻の下にそっと伸ばした。
「…………!」
微弱だが確かな呼吸の反応が指先に感じられ、安堵感と同時に強烈な脱力感がタスクの全身を覆い尽くした。
「…………良かった……‼︎」
うつむいて額に手をやったタスクは改めて眠っているミロワに顔を向けた。
落ち着いて見てみると、ミロワの左腕には柔らかな管が取り付けられており、ベッド脇に立て掛けられたポールに吊られた何かの液体が入った袋と繋がっていた。
「……これは、何かの薬品か……?」
続いて再びミロワへと視線を戻すと、血や土埃で汚れていた身体は綺麗に清められており、一番の重傷である胸の傷は元よりわずかな切り傷なども丁寧に処置がなされていることに気が付いた。
「……ゆっくり休んでくれ、ミロワ」
悔恨の表情を浮かべたタスクは小さく声を掛けて病室を後にした。
「————誠に申し訳ない……‼︎」
リビングに戻って来るなり土下座するタスクにリンファたち三人は眼を丸くさせる。
「急にどうしたん、タスク⁉︎」
「そうよ、とりあえず立ちなさい」
リンファとスレットが相次いで声を掛けるが、タスクはなおも床に額を擦り付けたまま続ける。
「愚かにも俺はあなた方を疑ってしまっていた……‼︎ こんなことで許されるはずがないことはわかっているが……ッ‼︎」
「……いったい何のことか分からんが、説明してくれないか?」
パトリスの言葉にタスクは顔を上げて答える。
「……それでは————」
◇
「————なるほど……、それは大変だったな……!」
「ホントねえ、過激な環境保護団体と対立するなんて怖いわ……!」
「……いえ」
パトリスとスレットに対する疑いの気持ちはほぼほぼ晴れていたけれども、何の関わりもない一般人に全てを正直に話す訳にもいかず、タスクは仇討ちや『鏡人』に『地母神』など核心に触れる部分は言葉が上手く話せない様子で隠して伝えていた。
そんなタスクの様子を察したリンファが話を合わせるように口を開く。
「そうなんじゃ、タスクははるばる東の扶桑から誘拐された妹を探してコッチにやって来ただけなのに、変なヤツらに絡まれてしもうたんじゃ」
リンファはここまで話すと、いまだひざまずいたままのタスクに寄り添って諭すように語り掛ける。
「でも、タスクもいけんで。こんな親切な人らーを疑うのは。何でそう思うたん?」
「……返す言葉もない……!」
善磨の夢によるものだとは言えず、またしても深く頭を下げるタスクの肩をスレットが優しく触れた。
「しょうがないわ。遠い異国の地で大変な目に遭って気持ちが少し荒んでしまったのね……。でも、きっと妹さんも眼を覚ましてくれるはずよ……!」
「スレット殿……!」
「さあ、もう立つんだ。すっかり冷めてしまったが、食事を続けようじゃないか」
「はい……!」
パトリスに促されたタスクは小さく返事をしてようやく立ち上がった。
————再び席に着いたタスクだったが、食事に手をつける前にまず口を開く。
「……重ね重ね失礼だが、お二人は何故俺たちにここまでよくしてくれるのですか……?」
「え?」
「武器を携えた異国人に手厚い治療を施し、あまつさえ食事を馳走するなど、あまりに人が良すぎると言うか警戒心が薄すぎると言うべきか……」
『…………』
タスクの言葉にパトリスとスレットは無言で顔を見合わせた。
「言っただろう、仕事だと。しっかりと治療費と入院費は支払ってもらうから安心しろ」
「……ふふ、パトリスったら素直じゃないんだから」
口元に手を当てたスレットは不意に真顔になり、ミロワの眠っている病室の方へ顔を向けた。
「————私にも娘がいるの」
「え……?」
問い掛けるタスクにスレットは病室の方を向いたまま答える。
「……生まれながらに障害がある娘でね……、大切に育てていたのだけど、私の育て方に問題があったのかある時、反抗して私の元を飛び出してしまったの……」
『…………‼︎』
思いも寄らぬスレットの告白にタスクとリンファは眼を見開いた。
「歳の頃で言えばミロワさんと同じくらいだから、娘と彼女を重ねてしまったのかも知れないわね……ッ」
うつむいて顔を覆ったスレットに感情移入させたリンファの眼から大粒の涙が溢れ落ちる。
「……うう……ッ、ウチ、こういうのに弱いんじゃ……! スレットのおばちゃん……ッ‼︎」
「スレット殿、よければ失踪した娘御を捜すことを手伝わせていただきたい……!」
「…………ありがとう、タスクさん。でも、もういいの……」
「————良くはない! 俺もミロワと再会出来たんだ! 諦めず信じていれば必ずまた会えるッ‼︎」
「…………」
立ち上がり声を上げたタスクにもスレットは何も答えない。それでも引き下がろうとするタスクをパトリスが手で制した。
「気持ちはありがたいが、家族の問題だ。そっとしておいてくれないか」
「…………」
パトリスは妻の肩を優しく抱いて続ける。
「……さあ、食べよう」
「……はい……」
腰を下ろしたタスクは冷め切ったキッシュに手を伸ばしてゆっくりと咀嚼した。
「————美味い……!」
————食事を終えたタスクとリンファの姿はミロワの眠る病室にあった。
「タスク、これからどうするん……?」
「……まず、ミロワが目覚めないことには動けない。パトリス殿たちには申し訳ないが、それまで厄介になるしかないだろうな」
「シュウもじゃな!」
「勿論だ。……それで一つ相談なんだが、パトリス殿はああ言っていたが、やはり二人の娘御を捜す手伝いをしたいと思っている。リンファも力を貸してもらえないだろうか?」
「…………!」
その言葉にリンファの表情がパッと明るくなった。
「そんなん水くさいわ。ウチもタスクとおんなじ気持ちじゃ……!」
「すまない、ありがとう……!」
◇ ◇
————5日後、朝食を終えたリンファは街の外にいるヘイワンたちの様子を見に行き、タスクは今も眠っているミロワの脇に控えていた。
コンコンとノックの音が響き、開いたドアの隙間からスレットが顔を覗かせる。
「タスクさん、今日は遠方からお客様が来られるから二人で迎えに行ってくるわね。留守をお願い出来るかしら?」
「それは構わないが、患者が来た場合は……」
「今日は元々休みだし、少しの間なら大丈夫だと思うの。すぐに戻るから」
「承知した」
「ありがとう」
「————スレット殿」
礼を言ってドアを閉めようとするスレットをタスクが呼び止めた。
「この数日、顔色が優れぬようだが、もしや体調を崩されているのでは……?」
スレットは少し驚いたような表情を浮かべたが、すぐに柔和な笑みを見せて答える。
「心配してくれてありがとう。でも大丈夫よ」
今度こそドアが閉められ、家に残っているのはタスクとミロワのみとなった。
「…………」
タスクが無言で椅子に腰を下ろすと、ベッドの上のミロワが身動ぎを見せた。
「…………ん……」
「————ミロワ‼︎」
かすかに声を上げたミロワにタスクが顔を近付ける。
「ミロワ! 俺の声が聞こえるか⁉︎」
「…………タスク……」
わずかに眼を開けたミロワの手をタスクが力強く握り締める。
「……ミロワ……、本当に良かった……‼︎」
「…………タスク……、私————ッ‼︎」
言葉の途中で眼を見開いたミロワは患部ではない頭を押さえて苦しみ出した。
「どうした、ミロワ⁉︎ 頭が痛むのか⁉︎」
「…………ミ、『鏡人』が……‼︎」




