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【完結】鏡合わせのミロワール  作者: 知己
第11章 映りゆく世界

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第85話 恐ろしい疑念

 スレットに続いてタスクが二階の部屋を出ると、一階から漂ってくる食欲を掻き立てる匂いによってその鼻腔がくすぐられた。

 

 空腹状態の肉体は貪欲に食物を求めているものの、脳内に浮かぶある疑念が一階に向かう脚をこれ以上もなく重くさせる。

 

 

 

 ————今の俺の心根は、犬畜生にも劣る卑しいものだ……。

 

 

 

 (おのれ)の下卑た想像に表情は固く強張(こわば)り、心臓の鼓動がうるさいくらいに激しく鳴り響く。

 

 それでも、胸中に生まれた恐ろしい疑念を払拭するべく重い脚を引きずって一階へと(くだ)る階段に差し掛かった時、階下から仲睦まじい団欒(だんらん)の声が聞こえてきた。

 

 その声を耳にしたタスクは意を決して一段、一段と階段を踏み締めていった。

 

 長い時間を掛けて降りた階段の先に見える暖かな光。その光に近付くほどに楽しげな会話の声は大きくなる。

 

 タスクが恐る恐る戸口から顔を覗かせると、共に苦難を乗り越えて来た仲間が一組の夫婦と食卓を囲んでいる姿が眼に入った。

 

「————タスク!」

 

 タスクの姿に気付いたリンファが嬉しそうに手を上げた。輝くような笑顔を向けられたタスクもぎこちない笑みを浮かべて応える。

 

「あ、ああ……、戻っていたのか……」

「うん! 戻ってからウチも寝かさせてもろうとったんじゃけど、さっき起きて先にご馳走になっとるわ!」

「そうか……」

 

 相槌を打ちつつタスクはリンファの向かいに座っているパトリスとスレットへ視線を送った。

 

「タスクさん。どうぞ、掛けて」

「スレットの作ったキッシュは格別だぞ。冷めないうちに食べてくれ」

「……どうも」

 

 親しげに声を掛けてくれた二人におざなりな返事をして、タスクはリンファの隣の席に着いた。

 

 

 

 ————恩あるこの人たちを、あろうことか俺は疑っている……!

 

 

 

 勧められた料理に手を付ける代わりにゴクリと生唾を飲み込んだタスクは隣のリンファに声を掛ける。

 

「……リンファ、ヘイワンたちの様子はどうだった……?」

「それが聞いてえや、タスク! ヘイワンのヤツ、ツユリとネージュに囲まれて鼻の下をでえれえ(なご)うさせとった!」

「そうか……」

「リンファちゃん、ヘイワンって?」

「ヘイワンはウチの愛馬じゃ! 真っ黒うてカッコええんじゃ!」

「ほお、馬か。私も若い頃に何度か乗ったものだ。懐かしいな」

「パトリスのおっちゃんならヘイワンに乗せちゃってもええよ!」

 

 上機嫌で会話を続ける三人とは対照的に、タスクの表情は浮かない。

 

 

 

 ————この人たちが人間の姿を写し取った『鏡人(ミロワール)』ではないかと……‼︎

 

 

 

 一度、脳裏に刻まれた疑念は時が経つほどに肥大化していく。

 

(……今にして思えば、武器を携えた異国人に対しわずかな警戒心を見せただけで宿を勧め食卓を囲むなど、普通の者であればあり得ないのではないか……⁉︎)

 

 タスクは改めて疑いの眼を正面に座る二人に向けた。

 

 パトリスとスレットは表情豊かに談笑しながら美味しそうに食事を続けている。

 

(……今まで俺が対峙して来た『鏡人(ミロワール)』たちは人の姿をしていながら、どこか無機質な人形のような印象が拭えなかった。だが、この二人からはそのような様子が微塵も感じられない……)

 

 ここまで考えが及ぶと、タスクの心臓が平静を取り戻し始める。

 

(……俺の考え過ぎだったのか……⁉︎ もし彼らが『鏡人(ミロワール)』だとして、その狙いはなんだ……? 騙し討ちをするつもりならば、ミロワの治療を行う必要などな————ッ‼︎)

 

 あることに思い至ったタスクは思考を止めて立ち上がった。突然の挙動にリンファとパトリス、スレットが眼を丸くさせる。

 

「ど、どうしたん、タスク?」

「どうかしたのか?」

 

 リンファとパトリスに相次いで尋ねられたタスクは虚空を見つめたまま口を開く。

 

「————手……」

「え?」

「……眼が覚めてから手と顔を清めるのを失念していた……」

「あらあら、起きたばかりでうっかりしていたのかしら? 料理が冷めないうちに洗ってらっしゃい」

「……かたじけない」

 

 礼を述べてリビングを出たタスクは洗面所ではなく、手術後ミロワが移された病室へ足早に歩き出した。

 

(————うつけめ! 術後、俺はミロワの姿を確認していないッ‼︎)

 

 パトリスとスレットに翌朝まで面会は遠慮するよう言われたタスクはなんの疑いもなく、その言葉に従ってしまっていた。

 

(ミロワ! 無事でいてくれ‼︎)

 

 己の浅はかさを悔いたタスクは血が滲むほどに唇を噛みしめ、病室のドアを押し開いた。

 

(…………‼︎)

 

 

 ————病室の最奥のベッドの上には、青白い顔で静かに横たわるミロワの姿があった————。

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