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【完結】鏡合わせのミロワール  作者: 知己
第9章 鉄道攻防戦

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第71話 大海の小舟

 居合の構えを取ったタスクが眼を閉じたのを見て、槍使いの『鏡人(ミロワール)』・グレゴリーは奇異の念を(いだ)いた。

 

(————戦闘の最中に眼を閉じるとは正気か……⁉︎ やはり勝負を捨てたのか……⁉︎)

 

 あまりに無防備であるが故に逆に警戒心を強めたグレゴリーがジリジリとにじり寄ると、槍の間合いに入る目前でタスクの眼が開かれた。

 

「…………!」

 

 眼を合わせたグレゴリーの全身に言い知れぬ緊張が走る。

 

 その漆黒の瞳には諦観の色もなければ、闘争心や焦りといった感情が皆無だったのである。命を懸けた闘いの最中であるにも関わらず。

 

(……この期に及んで、何故そんな穏やかな眼をしていられる……⁉︎)

 

 動揺で脚の止まったグレゴリーに対し、一切の(りき)みなく悠然と待ち構えるタスク。共に静止した状態であるが、その精神の持ち様の差は歴然であった。

 

 極限の緊張感がグレゴリーを襲う中、不意にタスクの右肩がピクリと動いた。その挙動に思わず反応してしまったグレゴリーの槍が突き出された瞬間————、

 

(ッ⁉︎)

 

 列車(トラン)が大きく揺れ、バランスを崩したグレゴリーの突きは先ほどまで見せていたそれとは力の込め具合(パワー)速度(スピード)共に雲泥の出来であった。

 

 一拍遅れてタスクの刃が抜き放たれ、美しくも恐るべき斬撃がグレゴリーの左手(・・)に襲い掛かる————。

 

(————狙いは前方に突き出している左の持ち手かッ‼︎)

 

 全身に冷や汗を浮かべたグレゴリーは槍を握る左手を動かす指令を脳へ送った。脳へ届いた指令が電気信号となって左手へと伝わり、切っ先の届く寸前で左の指が槍を離れた。

 

(やはりな! 向かい風の影響で斬撃に鋭さがなかったぞ‼︎)

 

 すんでのところで左腕を動かしタスクの居合を外したグレゴリーだったが、そのせいで再び大きくバランスを崩してしまった。その隙を見逃さないタスクは刀を振り切った勢いのままに飛び込み体当たりを敢行した。

 

「…………?」

 

 それはなんのこともない軽い衝突であったが、グレゴリーは全身から力が抜けていく感覚を覚えた。いくら指令を飛ばしても何故か上手く身体を動かすことが出来ず、肉体の一部とも言える槍がガランと音を立てて列車の屋根に転がった。

 

「…………貴様、いったい……何を、した……⁉︎」

 

 呂律(ろれつ)の回らぬ口で問い掛けると、左手に小さなナイフを握ったタスクの姿が眼に映った。逆手に握られたそのナイフは根元まで鮮血がしたたっており、その事実に気付いたと同時にグレゴリーの胸が強烈な熱さを帯びる。震える手で胸を押さえるとぬるりとした感触があり、掌は真っ赤に染まっていた。

 

「…………な……⁉︎」

 

 取り返しのつかない負傷を認識した瞬間、心臓から多量の鮮血が溢れ出しグレゴリーはその場に崩れ落ちた。

 

 対手が倒れ込んだのを見届けたタスクは刀と匕首(あいくち)(短刀)を収めてフウッと息をついた。その表情には多大な消耗が見られ、今の戦闘が彼にとっても極度の緊張を強いるものであったことが窺えた。

 

「……く、槍を突き出したと同時に列車が揺れるとは……なんという不運……‼︎」

「————運ではない」

「……虚勢を張るな……! 貴様が、俺に勝てたのはあくまでも————」

「地の利を得ていたのは俺の方だった」

「…………何……⁉︎」

 

 長らく口を閉ざしていたタスクの言葉に、グレゴリーは信じられぬといった表情で訊き返す。

 

「進行方向を背にしていたお前には列車が大きく曲がる時機が読めなかったことだろう」

「…………! そうか……、列車がカーブに差し掛かるタイミングでフェイントを入れ、俺を誘ったのか……! だが……、何故、貴様はバランスを崩さずに……⁉︎」

「大海に浮かぶ小舟の上で修練することで養われた平衡感覚だ。亡き父の教えによって俺は生かされている」

「…………‼︎」

 

 その言葉に眼を見開いたグレゴリーだったが、やがて乾いた笑みを浮かべた。

 

「————フ、ハハハ……列車に、飛び移ったことで詰んでいたのは、俺の方だったということか……‼︎」

「……馬上での闘いならばお前に分があったはずだ。『(あるじ)』の(めい)に縛られたことが(あだ)となったな」

「…………『主』……申し訳、ありま——…………」

 

 言葉が途切れるとグレゴリーの眼から光が失われ、やがてその身体は人のものから鏡面仕立てへと変わっていった。

 

「…………」

 

 タスクは『鏡人(グレゴリー)』の元となったグレゴリーの武への研鑽に敬意を表するように遺骸へ一礼した。

 

 

      ◇

 

 

 ————“列車強盗“の脅威が去ったことを運転士に伝えたタスクは列車のスピードが落ちたところで途中下車した。

 

 線路脇に生えている樹の根元にグレゴリーの遺骸を埋め遺品の大槍を墓標としてやると、大きな馬のいななきが聞こえてきた。

 

『————タスク‼︎』

 

 次いで耳に届いた重なる女の声に振り返ると、笑みを浮かべたミロワとリンファが駆けて来る姿が見えた。

 

「タスク、大丈夫⁉︎」

「服に血が付いとるがな‼︎」

 

 我が身を自分のことのように心配してくれる二人にタスクの表情も柔和なものへ変わった。

 

「大事ない。浅手だ。出血ももう止まっている」

「そう……。良かった……!」

「ホンマじゃ……! 『鏡人(ミロワール)』は倒せたんじゃな?」

 

 タスクの足元にある真新しい墓を眼にしたリンファが問う。

 

「ああ、手強い相手だった。お前たちの方は————」

「馬型『晄石獣(ジェムート)』どもなら、ウチとヘイワンの大活躍で全部片付けちゃったわ!」

「シュウも頑張ってくれたわ」

 

 ミロワの言葉に顔を上げると、一羽のハヤブサが悠然と風に舞っていた。

 

 頼りになる仲間たちへタスクが再び笑みを見せた時、軽やかな(ひづめ)の音が響いてきた。

 

「————ツユリ!」

 

 追いかけてきてくれた栗毛馬を優しく迎えたタスクは艶やかな(たてがみ)を撫でながら語り掛ける。

 

「みんな本当によくやってくれた……! しっかりと休息を取って先に進もう」

 

 

     ◇ ◇

 

 

 ————(こう)の焚かれた薄暗い室内で重なり合う二つの影。

 

 

 一つは大きく角ばった硬質的なもの。そして、もう一つはしなやかで丸みを帯びたものであった。

 

「……神州(しんしゅう)では女は『(イン)』、男は『(ヤン)』に属するとされている」

「…………」

「太極に位置する二つが交わり合い、体内の『真氣』を循環させることで傷ついた肉体の再生を促す」

「…………すまぬ」

「お前のためではないと言ったはずだ。我らが『(あるじ)』の(めい)を果たすためにも、傷を癒すことに集中しろ」

「……そうだな……すでに三体の同志が葬られてしまった」

「我らは我らのなすべきことを————」



  ———— 第10章に続く ————

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