第63話 親友との別れ
————まるで墨をこぼしたような漆黒の空に刃の如き三日月が浮かんでいる。
一方、プールほどもあるジゼル宅の池のほとりでは、月光を浴びて輝く白刃を手に座する黒髪の男が一人。
男は武士の魂と言われる刀と己を同調させるように長い間見つめていたが、不意に鞘を手に取り刃を収めた。
「————スゲえな。俺も気配ってヤツを消したつもりなんだけどよ」
「……足音を消していても『念』が漏れていた。修行が足りていないな」
刀を脇に置いて振り返ったタスクの視線の先には、イタズラな笑みを浮かべたジャンの姿があった。
「ちぇっ、背後から近付いて一本決めてやろうと思ってたのによ」
「それが『念』というものだ。いや、『邪念』というべきか」
珍しく歯を見せたタスクの正面に移動したジャンは兄貴分の姿勢を真似して座り込んだ。
「この座り方、膝とか痛くなんねえの?」
「正座というものだ。最初はつらいかも知れないが、習慣とすることで身体に染み込ませることが出来る」
「これも修行ってことか……」
ジャンは慣れない正座に耐えながらタスクの眼をじっと見つめた。
「なんだ? 俺の顔に何か付いているか?」
「いや、逆に付いてたモンが落ちたような表情になったと思ってよ」
「……そう見えるか」
「ああ。出会ったばっかのアンタは誰彼構わず斬り殺しそうなギラついた眼をしてたけど、現在はなんつーか……澄んだ眼ってヤツをしてる気がする」
「…………」
指摘を受けたタスクは天上に浮かぶ三日月を見上げて答える。
「度を越した怒りの感情は剣筋を鈍らせる————かつて父上に教わったことはやはり正しかった。復讐の念に縛られていた俺の剣が奴に届かなかったのも当然だ」
「そんじゃあ、次は勝てるってことだな……!」
「そのつもりで精進する」
天を見上げて話すタスクとは対照的にジャンはうつむいてつぶやく。
「————怖くねえのかよ。神サマ相手にケンカ売るなんてよ……」
「……勿論、恐ろしい」
「だったら————」
「だが、ここで逃げ出せば突如命を奪われた父上や母上、里の皆、そして善磨殿たちの魂は浮かばれない。あの時、姉上に生かされた俺は己の復讐のためではなく、今度こそ亡くなった彼らのためにこの剣を振るいたい……‼︎」
「…………!」
かつての復讐に濁ったものとは違う澄み切った清流の如き双眸に見据えられ、ジャンはまたしても視線を落とした。
「…………やっぱ、アンタは強えよ」
「ジャン……?」
「……イテテ、足が痺れてきやがった。やっぱ慣れねえことはするモンじゃねえな。俺、そろそろ寝るわ。おやすみー」
「ああ……」
力ない足取りで屋敷へと戻っていくジャンの背中をタスクはいつまでも眼で追っていた。
◇
————翌朝、朝食を終えた四人を『鏡人』の研究で徹夜明けのジゼルが見送ることとなった。
「それじゃあ、キミたちの幸運を祈っているよ。また近くに来たら寄ってくれたまえ。キミたちならいつでも歓迎しよう」
「ジゼル殿には色々と世話になった。本当に感謝する……!」
タスクは一礼した後、スッと右手を伸ばした。
「フフフ、別れの握手か。こちらの文化を尊重してくれるとは嬉しいね」
笑みを浮かべたジゼルは両手を合わせて頭を下げた後、タスクと固い握手を交わした。
「本当にお世話になりました、ジゼルさん……! どうかお元気で」
「短え間じゃったけど、なかなか面白かったわ。またな」
続いてミロワとリンファと握手を交わしたが、最後のジャンはうつむいたまま手をだらんと下げたままであった。
「ジャンくん?」
「…………悪い。俺、一緒に行けねえ」
「ジャン……⁉︎」
「急にどうしたんじゃ⁉︎ 腹の調子でも悪いんか⁉︎」
「ピッ⁉︎」
突然の告白に女性陣とミロワの肩に止まったシュウが驚きの声を上げたが、タスクは予期していたように深くうなずいた。
「そうか……」
「アンタは驚かねえんだな……」
「……そんな気がしていた」
「そっか……。アンタとは付き合いが一番なげえモンな」
「理由は……?」
タスクの問いにジャンは苦笑いを浮かべて答える。
「…………アンタらと違って俺はフツーの人間だ。ザコ『晄石獣』相手になんとか小金を稼いでた俺が地球相手にケンカ売るなんて現実味がなさすぎんよ。……怖えんだよ、神サマとケンカすんのが……‼︎」
『…………』
肩を震わせて心中を吐露するジャンに誰も声を掛けることが出来ない。そんな重苦しい雰囲気の中、タスクが右手を伸ばした。
「何も恥じることはない。お前は己を知っている強い人間だ。お前が出した答えなら俺はそれを尊重する」
「アニキ……‼︎」
握手を交わしたジャンをタスクはグッと引き寄せ、耳元で感謝の言葉を口にする。
「たとえ離れることになっても、お前はこの大陸で出会った俺の唯一の親友だ。今までありがとう……‼︎」
「…………ッ」
「達者でな」
涙を流すジャンの背中をポンポンと叩いてタスクは身を離した。
「————行こう、二人とも」
「……ええ。あなたと過ごした日々のこと忘れないわ、ジャン……!」
「ジャン……、変なモン食うたらいけんで……」
「ピピィ……」
振り返ることなく歩みを進めるタスクに、後ろ髪を引かれる思いのミロワとリンファが続いていく。
ジャンはその場にひざまずいて、去りゆくタスクたちの背に見事な座礼を見せた。
(……すまねえ、みんな……! すまねえ、アニキ……‼︎)
やがて三人の姿が見えなくなると、気落ちした様子のジャンにジゼルが声を掛ける。
「まだ『晄石狩り』を続けるのかね?」
「……分かんねえ」
「ふむ。行くところがないのなら、ここに居ればいいさ。部屋はいくらでも空いている」
「ハカセ……!」
感激したジャンの肩にジゼルはそっと手を添えた。
「私は『鏡人』の研究で忙しくなるから、家事をしてくれるととても助かるよ」
「……ハカセ……」
どこまでもブレないジゼルにジャンの涙は一気に乾いていった。
———— 第9章に続く ————




