第22話 『ミロワ』
翌朝、タスクが顔を洗うためホテルの部屋を出ると、同じく起床してきたジャンと廊下でばったり会った。
「……おはようさん」
「……ああ、おはよう」
昨夜の言い争いで気まずいのか、二人はボソッと挨拶を交わすと共同の流し台へ歩を進める。
「…………」
「…………」
並んで顔を洗った二人は無言のまま顔を拭く。
「……あのネエちゃんは……?」
先に口を開いたのはジャンだった。
「……まだ眠っている」
「そうかい……」
相槌を打ったジャンにタスクは顔を向ける。
「……昨日はすまなかった。言葉が過ぎた……」
「……いや、俺も悪かったよ。アンタの気持ちも考えねえで……」
頭を下げたタスクにジャンも続いた。
数秒後、ジャンは勢いよく頭を上げると、二人の間に漂っていたわだかまりを打ち払うようにパンッと手を打った。
「————さて! そんじゃあ俺は朝メシを買って来てやっから、その間にアンタはあのネエちゃんを風呂に入れといてくれよ!」
「……何……⁉︎」
突然の話に理解が追いつかないタスクが訊き返した。
「だってあのネエちゃん、薄汚れてっし、正直チョイにおうぜ。保護した野良ネコを洗うみてえなモンだよ」
「し、しかし、洗うとなると身体を見ない訳には……」
「そんなの当たり前だろ。姉弟だったら別にヘンな気とかは起きないんじゃね? 知らんけど」
「い、いや、だが……」
「だったら俺がやってやろうか? 俺は一向に構わねえぜ? いや、むしろやらせてくれ」
「————させられるものか!」
タスクが一喝すると、ジャンはニヤついた顔のまま口を開く。
「じゃあ最初に言った通り、俺は買い出しに行ってくっからヨロシクな。アニキ!」
愉快そうに言うと、ジャンは足早に階段を降りて行ってしまった。
残されたタスクはその背を見送りながらつぶやく。
「……なんてことだ……」
◇
————大きな紙袋を3つ抱えて帰ってきたジャンが眼にしたものは、バスローブ姿の謎の女性が濡れた髪をタスクにワシャワシャと拭かれている姿であった。
「ハハッ! なんか洗われた大型犬みてえだな!」
「ウー……ッ!」
ジャンの姿に気付いた謎の女性はまさしく犬のように歯を剥き出しにして唸り声を上げた。
「オイオイ、まーだ怒ってんのかよ。アニキ、言ってやってくれよ。俺は敵じゃねえって」
「大丈夫だ。この男は欲深くて軽薄だが、悪い人間ではない……と思う」
「……なんのフォローにもなってねえよ」
タスクの言葉が通じたのか謎の女性はプイッとジャンから視線を逸らした。その様子にジャンは苦笑いを浮かべてテーブルに買い物袋を置いた。
「しっかし、あれだけ嫌がってたワリにちゃんとネエちゃんをキレイキレイ出来たじゃねえの」
「……俺じゃない」
「は?」
「……宿の女中に無理を言ってやってもらった」
「ジョチュウ? ホテルの女スタッフに頼んだのかよ? 口ベタなアンタがよく説明できたな」
「大したことはない。昨日手に入れた『晄石』を渡したら、何も訊かれずにしてくれた」
タスクの返事にジャンの表情が一変する。
「はあ⁉︎ 昨日の『紫晄石』をくれてやったのかよ⁉︎ たかが風呂の世話をしたくれえで⁉︎」
「ああ」
「……信じらんねえ……‼︎ チップの気前が良すぎんだろ……」
「すまん。必要ならまた俺が手に入れてやる」
タスクが素直に謝罪すると、ジャンはやれやれという風に首を振った。
「……もういいよ。そんじゃあ、その女スタッフを呼んでくれ。必要以上に払ったチップの分は働いてもらわねえとな」
◇ ◇
「————おお。サイズ感、ピッタリじゃん! さすがジャン様のセンスだな!」
「……ああ、よく似合っている……!」
ホテルの女性スタッフによってお召し替えをされた謎の女性の姿にタスクとジャンが感想を口にした。
動きやすそうなパンツスタイルの装いは機能的かつスタイリッシュだ。
「感謝しろよ、アニキ。女モンの下着を買う時の店員の蔑んだ眼ったら、なかったんだぜ」
「ああ、お前には本当に感謝している……!」
「いや、マジメかよ!」
深々と頭を下げたタスクにジャンがツッコんだ時、「ぐー」という音が聞こえてきた。二人が視線を向けると、指をくわえた謎の女性がジャンの買ってきた紙袋に釘付けになっていた。
「ワリィ、腹減ったよな。少し遅えけど朝メシにすっか!」
————美味しそうにマドレーヌを頬張る謎の女性の姿にタスクが眼を細めていると、コーヒーをすすったジャンがおもむろに切り出した。
「……なあ、アニキ。このネエちゃんの呼び名、どうする?」
「呼び名……」
「ああ、いつまでもネエちゃんって呼ぶのもナンだしよ。アンタが決めてくれりゃ、俺もそれに従うよ」
「…………」
じっと謎の女性の顔を見つめたタスクはいくらか逡巡した後、ようやく口を開いた。
「————では、『ミロワ』と……」
———— 第5章に続く ————




