第103話 至愛
深呼吸をしたタスクは胸の前で掌を合わせて眼を閉じた。
「……行くぞ————『神降ろし』……‼︎」
「————ッ⁉︎」
精神を集中させたタスクが印を結ぶと、テルースは自らの神体が引っ張られる感覚を覚えた。
(……意識が……、私の意識が失われていく……⁉︎ これが、人間の力だと言うのですか……⁉︎)
タスクの『神降ろし』に抵抗しようと歯を食いしばった瞬間、テルースの歯がポロポロと数本抜け落ちた。
【————ミロワ……! 何をしているのです……! 『母』を守りなさい……、その者を、討つのです……‼︎】
必死の形相で耐えながらテルースは『娘』へと思念を送ったが、タスクの背後に立つミロワは薙刀を振り上げたまま微動だにしない。
【……駄目……です、母様……。先ほどから身体が言うことを、聞きません……ッ!】
【なん、ですって……⁉︎】
【……まるで……、私の中にいる何者かが、邪魔をしている……ように……ッ】
【…………ッ‼︎】
その返答から瞬時にミロワを見切ったテルースは必死に己を取り込もうとするタスクへと視線を戻した。
その額には今にもはち切れそうな血管が幾重にも刻まれ、両眼は真っ赤に血走り、鼻からは鮮血が絶え間なく伝っていた。
「自分でも分かっているでしょう……。これ以上、続ければ……私の意識を取り込む前に、あなた自身の肉体と精神が保ち、ませんよ……⁉︎」
「……言った、はずだ……! たとえ……俺の肉体が持ち堪えられなくとも、俺の意識を必ずお前のものと同調させて見せる……ッ‼︎」
「…………‼︎」
タスクの決死の覚悟をまざまざと見せつけられたテルースは一瞬怯んだ様子を見せたが、すぐに覚悟を決めたように落ち着きを取り戻した。
「……いいでしょう。人間がそれほどの覚悟を見せるのならば、この私も『地母神』としての矜持を持って耐えてみせましょう……‼︎」
言葉の終わりと共にテルースが両腕を広げると、強烈な思念が怒涛のようにタスクに流れ込む。
(————これは……、テルースの……『地球』の記憶……⁉︎)
地球の誕生からこれまでの歴史が砕かれた鏡の破片のようにタスクの脳裏に映し出された。
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積み重ねられた何十億年もの情報を処理することが出来ず、タスクは顔中の孔から鮮血を噴き出しその場に崩れ落ちた。
倒れ伏して動かないタスクにテルースは高次元な存在に似つかわしくない、まるで自らが忌み嫌う人間のような笑みを浮かべた。
「……ふ、ふふふ……、多大な消耗は強いられましたが、ここまでですね……!」
満足げに微笑むテルースの残っていた歯と豊かだった白髪は無残にも抜け落ち、全身に刻まれたシワはより深いものへと変わっていた。
「存分に誇りなさい。この『地母神』をここまで追い詰めたことを……‼︎」
「————あなたが……、『鏡人』を産み出した、のは……『人間』を愛していた、からだ……ッ」
「————⁉︎」
その言葉を耳にしたテルースの白濁した瞳が大きく見開かれた。タスクはゆらりと身体を起こして続ける。
「……誰よりも『人間』を愛し、信じていた……からこそ、裏切られ絶望してなお……あなたは、『人間』の形を写し取る『鏡人』を我が子として……産み出した……!」
「…………愚かなことを……。人間風情に何が分かると言うのです」
「分かるさ……。あなたが感じてきた怒り、絶望、苦痛、悲しみ、そして……愛情が断片となって、俺の中に流れ込んできた……」
「…………ッ」
秘めていた本心を指摘され黙り込んだテルースだったが、やがて閉ざしていた口をゆっくりと開いた。
「————だから、なんだと言うのです……! 私が愛し期待を寄せていた『我が子』は道を逸れてしまった。この上は、母として責任を取らねばなりません……‼︎」
「道を逸れたと言うのならば……、戻ればいい……回り道をしてもいい。まだ、やり直せるはずだ……!」
「……もう、遅いのです……」
「遅くなど、ない……! たとえ時間は掛かっても————」
「————もう遅いッ‼︎」
絶叫したテルースが右腕を伸ばすと、途轍もない圧迫感がタスクの全身を包み込んだ。
「……ぐっ……、ああ……ッ‼︎」
「これ以上、戯言を口に出来ないようにこれで終わらせてあげましょう……‼︎」
向けられたテルースの指が締まるほどにタスクは苦悶の表情を浮かべ、全身から鮮血が絞り出された。
「————ッ」
ついに拳が握られると思われた瞬間、突如テルースの動きが止まり、タスクは耐え難い苦痛から解放された。
テルースの視線は己ではなく背後に向いている。
「…………?」
不思議に思ったタスクが振り返ると、赤く染まった視界にシュウを抱えて佇むミロワの姿が映った。
「……ミロ、ワ……⁉︎」
「ごめんね、シュウ。もう、遊んであげられなくて……」
「ピッピ、ピッピ……ッ!」
悲しげに鳴くシュウを優しく下ろしたミロワは、眉根を寄せるタスクへ慈愛に満ちた顔を向けた。
「あなたは本当に頑張ったわ。ここからは私に任せて……!」
「……何を、言っている……⁉︎」
信じたくないといった表情で首を振るタスクにミロワは困ったように微笑んだ。
「きっと、ミロワの中の鏡花があなたを守りたがっているのね」
「駄目だ……、やめろ……ッ! 俺はもう、守られるばかりの少年ではない……ッ!」
「もうこれしか方法がないの……。分かって頂戴……」
「どうして……ッ! どうして、俺に守らせてくれない……ッ‼︎」
ミロワは悲しみに打ちひしがれるタスクの元へ歩み寄り、その身体を愛おしむように抱き締めた。
「……ごめんね、佑……。でも、私はあなたの姉だから……!」
「……姉……、上……ッ‼︎」
「これからはリンファがあなたを支えてくれるわ。幸せになってね、佑……‼︎」
「お、俺は————……」
それ以上口にさせず優しくタスクの意識を奪ったミロワは、動揺している様子の『母』へ向き直った。
「……先ほど邪魔をしていたのはあなただったのですね……」
「ええ。今の私は鏡花が表に出ている状態です。あなたの支配は及びません」
「……どうするつもりです……⁉︎」
「————決まっているでしょう」
ミロワ————鏡花は自らの胸に手を置いて高らかに答える。
「意識は人間でも、この肉体は『地母神』に産み出された、『地母神』に最も近しい器です」
「…………‼︎」
「これより他に『地母神』と結び付き易い存在はいないでしょう」
「……よ、止すのです……!」
狼狽するテルースの言葉に耳を貸さず、鏡花は印を結ぶ。
「————参ります。『神降ろし』……‼︎」




