第17話:忘却の砂山を越えて
第17話:忘却の砂山を越えて
黄金のピラミッドが完全に沈黙し、かつて「クニオ」だった無機質な門番の彫像だけが残された玉座の間。ヒカリは床に転がった【黄金の瞳】を、まるで見世物小屋の安いガラス玉でも見るような冷徹な視線で拾い上げた。
「なによこれ。こんな目玉の形した金細工ひとつのために…コストパフォーマンスが悪すぎるのよ、このクソゲーは。せめてもっと、こう……アタシの美意識を刺激するようなダイヤモンドでも落としなさいよ」
扇子をバサリと閉じ、ヒカリはあえて大声で悪態をついた。そうでもしなければ、自分の頭の奥底で、何かが音を立てて消滅したあの不気味な空白感に押しつぶされそうだったからだ。
「ヒカリ様ぁ……、なんだか私、さっきから頭の中でワンワンって、すごく可愛い音が聞こえてた気がするんですけど……それが何色のワンワンだったか、どうしても思い出せないんです……。ワンワン、シロ、クロ、チャイロ……あれ? ワンワンって、どうやって歩くんでしたっけ?」
ハルカが自分の両手を犬のパペットのように丸めながら、虚空に向かって小刻みに首を傾げている。その瞳からは、かつてテレビ画面の向こうで人々を煙に巻いたあの圧倒的な「予測不能の輝き」が、確実に薄れ始めていた。代わりに、彼女の挙動は「首を傾げる(30度)」「手を動かす」という決まったモーションの繰り返しへと収束しつつある。
「ハルカ、それ以上そのおバカな頭を回すんじゃないわよ。これ以上中身がすっからかんになったら、ただの『歩く拡声器』になっちゃうじゃない。ほら、行くわよ。こんな成金趣味の墓場、一秒でも早くおさらばするわ」
「……了解。……これより、ダンジョンからの離脱シークエンスに移行します。……障害物は、全て排除する。……カチカチガード」
ダグラスの声は、もはや完全にスマートスピーカーのそれだった。彼はただ、自動追従する優秀な「盾持ち」のように、ヒカリの後ろを等間隔で歩き始めた。
一行は、ピラミッドの出口を目指して大階段を下りていく。すれ違う等身大のイケメン彫像たち。その中の一体に、ヒカリはふと目を留めた。老いることもなく、完璧な骨格を維持したまま静止している灰色のオブジェクト。
「……フン。確かに顔立ちは合格点だけどね、やっぱりダメよ。アタシが愛でたいのはね、その綺麗な顔が、アタシの悪口を聞いて一瞬だけ嫌そうに歪む、その『生きたノイズ』なのよ。ただそこに飾ってあるだけのテクスチャなんて、博物館のレプリカと一緒。宝の持ち腐れ、ここに極まれりだわ」
吐き捨てるようにそう言うと、ヒカリは一度も振り返ることなく、ピラミッドの重い石扉を押し開けた。
――眩いばかりの、いや、不自然なほど彩度の高すぎる青空と、黄金の砂漠が視界に飛び込んでくる。ゲームのバグが修正されたかのように、世界は美しく、そして徹底的に冷酷だった。
一行は、命からがら[砂漠の宿場町ザハラ]へと帰り着いた。
昼間の酷暑が嘘のように冷え込み始めた夜の宿場町。中央のオアシスでは、住民たちが焚き火を囲んでベリーダンスを踊っている。だが、その踊り子たちのステップは全員が寸分の狂いもなく完全にシンクロしており、話しかけても「夜の砂漠は冷え込みますね。旅人さん、温まっていってください」という同じダイアログしか返さない。
宿屋の片隅で、ヒカリは目の前に出された地元のスープを、スプーンで執拗にかき混ぜていた。
「なによこれ。具材の野菜が全部綺麗な立方体にカットされてて、手作り感が1ミリもないじゃない。これじゃあ、工場で大量生産されたレトルト食品を電子レンジでチンされた気分よ」
「ヒカリ様、それ、さっき宿屋のおばちゃんが『心を込めて作った』って言ってた、オカズナニカナーンのスープですよ! ほら、飲むと体力がピピピーッて回復するやつです!」
ハルカがスプーンを口に運びながら、嬉しそうに言う。彼女の頭上には、いまだに【NPCまで あと 22日】という赤いデジタル数字が、警告灯のように点滅しているというのに。
「……ハルカ、あんたねぇ。その『ピピピーッ』って擬音、前はもっと独創的だった気がするんだけど。今のあんた、なんだかシステムの説明書を音読してるみたいで、全然面白くないわよ」
「えっ? そうですか? 私はいつでも新鮮なハルカですよ? ほら、右を向いても左を向いても、私は私です! 1、2、3、はい、私は私!」
ハルカは立ち上がり、完璧に左右対称のステップを踏んでみせた。それは、かつての彼女なら絶対にやらなかった「予定調和な動き」だった。完全にルーチン化の第1段階に足を突っ込んでいる。
ヒカリは、スープを飲むのをやめて、ガラリと開いたステータスウィンドウを睨みつけた。
【PARTY STATUS】
ヒカリ: Lv.20 / NPC化まで あと 51日 [状態:脳内メモリの不具合に激怒中]
ハルカ: Lv.18 / NPC化まで あと 22日 [状態:ワンワンの概念がゲシュタルト崩壊中]
ダグラス: Lv.19 / NPC化まで あと 5日 [状態:システム最適化(ほぼ完了)]
「あと51日。アタシの人間としての『賞味期限』が、いよいよ2ヶ月を切ったわけね。笑わせないでよ。アタシがこの泥団子みたいな見た目で、どれだけ現実世界でバケモノ扱いされて、這いつくばって生きてきたと思ってるのよ。それをこんな、彩度だけ無駄に高いクソゲーの背景にされてたまるもんですか」
ヒカリは、テーブルをバンと叩いた。
「ダグラス、あんたはどうなのよ。あと5日ですって。何か言い残したことはないわけ? 故郷の母親の顔とか、あの無駄に分厚いステーキの味とか、思い出す努力くらいしなさいよ!」
ダグラスは、彫像のように直立したまま、ただ無機質な瞳をヒカリに向けた。
「……問題ありません。過去の記憶領域の95%は、戦闘効率化のために解放されました。現在、私の思考は最適化されています。……魔王を討伐する。それ以外のノイズは、全て不要です。……次の目的地への、最短ルートを提案します」
「……あぁ、そう。やっぱりあんたも、あの『やれやれパスタ男』の真似事をするわけね。どいつもこいつも、アタシを置いてきぼりにして、綺麗な人形になりやがって。大嫌いよ、マニュアル通りの男なんて」
ヒカリは、フイと顔を背けた。言葉の鋭さとは裏腹に、その手のひらは、かつてサエキがNPC化したあの[鉱山都市バラム]の酒場で感じた、圧倒的な孤独感に震えていた。仲間が「人間」から「背景」に変わる。そのたびに、世界から生々しい「音」が消え、無機質な静寂だけが広がっていく。
「で、その『最短ルート』ってのはどこなのよ」
ヒカリが訊くと、ダグラスの瞳の奥で青い光が点滅した。
「……ここから北へ150キロ。[雪の村スノーラ]です。現在、大陸の北半分は、魔王軍幹部『凍結の魔女アイスラ』の結界により、永久凍土と化しています。彼女が持つ【氷解の魔法瓶】を入手せねば、これより先の北上は物理的に不可能です」
「雪の村スノーラねぇ……。年中雪が降ってる極寒の村ってわけ。アタシのこの繊細な肌が、乾燥でカサカサになっちゃうじゃないの。ただでさえ、この世界の空気はデータ臭くて乾燥してるっていうのに」
「雪! 雪ですよ、ヒカリ様! 私、雪って大好きです! 白くて、冷たくて、上から降ってくるやつ! ほら、頭に当たると、冷たーい!ってなるやつです!」
ハルカが嬉しそうに手を広げるが、その動きはやはり、どこかプログラムされたNPCの「喜びのモーション」に酷似していた。
ヒカリは、宿屋の窓から外を見上げた。砂漠の夜空には、不自然なほどきれいに並んだ星たちが、システムの配置通りに明滅している。
「いいわ。スノーラでもどこでも行ってやろうじゃないの。その『凍結の魔女』だか何だか知らないけど、アタシたちの自意識をこれ以上凍らせようってんなら、アタシのこの特大の劇薬(悪口)で、その永久凍土ごとドロドロに溶かしてあげるわ」
ヒカリは、バッグから【黄金の瞳】を取り出し、それを「道具袋」のアイコンに向けて放り投げた。
瞬間、物理法則を完全に無視して、金細工の目玉が空間の裂け目に「シュッ」と吸い込まれ、テキストログへと変換される。
【インベントリ:黄金の瞳×1 を格納しました】
「なによこれ。本当に重さも手触りもないなんて、本当に安物の電子データになった気分だわ。……でもね、システム。あんたがアタシたちをどれだけ効率的に管理しようとしても、アタシは最後まで『ノイズ』であり続けてやるわよ」
ヒカリは、扇子で自分の顔を優雅に仰ぎながら、不敵に笑った。その乱暴な言葉遣いの裏には、この過酷なデスゲームのなかで、まだ「人間」として呼吸している仲間たちを、自分の毒舌という名の「鎧」で守り抜くという、執念にも似た慈愛が宿っていた。
翌朝。
砂漠の宿場町ザハラを、快速馬車「グラン・ワゴン」が出発する。
目指すは、すべてが凍りついた忘却の世界、雪の村スノーラ。
ヒカリたちの自意識を削り取るカウントダウンは、凍てつく大地の向こうでも、休むことなく刻まれ続けていく。
【自意識モニター】
ヒカリ: NPCまで あと 51日(安定。だがスープの味にうるさくなった)
ハルカ: NPCまで あと 22日(軽度の摩耗。語彙のシステム上書きが進行中)
ダグラス: NPCまで あと 5日(臨界。ほぼすべての会話が定型文へ移行)




