↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神のいる世界で、僕らは何を願う  作者: 東雲杏
第一章「神の器」
4/8

第4話

朝。

サクヤは、ゆっくりと目を開けた。

視界に入ったのは、見慣れない景色(けしき)だった。

木々(きぎ)、青白い空、揺れる葉の隙間(すきま)から差し込む陽光(ようこう)


「……」


しばらく、それを眺める。

昨日まで、自分の世界には天井(てんじょう)があった。


屋敷の天井、自室の天井。

いつも決まった場所で目を覚ましていた。

けれど今は違う。


サクヤは身体を起こした。


「起きたかい?」


声がした。

少し離れた場所で、エリアスが()き火を(かこ)んでいる。


「……おはよう」


「おはよう。よく眠れた?」


「分からない」


「まあ、昨日は色々あったからね」


エリアスは鍋をかき混ぜながら笑う。


「身体の具合は?」


「お腹が少し痛い」


「無理はしない方がいい。傷はかなり(ふさ)がっているけど、完全に治ったわけじゃない」


「分かった」


サクヤは自分の腹部(ふくぶ)へ手を当てる。


まだ痛みはある。

だが、昨夜(さくや)に比べれば(はる)かに軽い。

ふと、自分の服へ視線を落とす。


白いシャツ、動きやすいズボン。

(かざ)り気のない簡素(かんそ)旅装(りょそう)


昨日、屋敷を出る前にエリアスが用意してくれたものだった。


「その服、窮屈(きゅうくつ)じゃないかい?」


「平気」


少し間を置いて、サクヤは付け加えた。


「……用意してくれて、ありがとう」


エリアスの手が、鍋の上で止まった。


「どういたしまして」


いつもの軽い調子だったが、笑みは少しだけ(やわ)らかかった。

そしてエリアスは鍋の中身を器へ移し、またサクヤへ声をかける。


「朝食だよ」


「ありがとう」


サクヤは器を受け取る。

スープとパン。

何の変哲(へんてつ)もない朝食だった。

サクヤはスプーンを手に取り、静かに食べ始める。


「……」


「どうした?」


「美味しい」


「それはよかった」


エリアスも自分の分を食べ始める。

しばらく、二人の間に会話はなかった。

気まずい沈黙(ちんもく)ではなかった。

焚き火のはぜる音と、森のざわめきが、その間を埋めていた。


やがて食事を終える。


エリアスが荷物をまとめ始めた。


「さて、街へ行こう」


「街?」


「ああ。この近くに小さな街がある」


「何をするの?」


「食料を買う。それから旅に必要なものを(そろ)える」


「分かった」


「君の服も、何着か買おう」


サクヤは自分の服を見る。


「これでは駄目?」


「駄目じゃないよ」


エリアスは苦笑(くしょう)する。


「ただ、ずっと同じ服というわけにもいかないだろう?」


「……そういうもの?」


「そういうものだよ」


「分かった」


サクヤは素直に(うなづ)いた

それに、エリアスは少し意外そうな顔をした。


「何?」


「いや。もっと反発(はんぱつ)するかと思ってね」


「必要なら買えばいい」


合理的(ごうりてき)だね」


「そう?」


エリアスはその言葉を肯定して、荷物を背負(せお)い直した。


「でも、分からないことがあったら聞いてくれていいからね」


「分からないことは、もう聞いている」


「そうだったね」


エリアスは小さく笑った。


「じゃあ、これからも遠慮(えんりょ)なくどうぞ」


サクヤは一瞬だけ彼を見た。


「……分かった」


二人は森を出て、街道(がいどう)を歩く。

しばらくすると、遠くに街が見えてきた。


「……」


サクヤは足を止めた。


「どうした?」


「あれが街?」


「ああ」


エリアスも足を止め、サクヤの隣に並んだ。


街。

言葉としては知っている、商人(しょうにん)がいることも、店があることも、宿があることも。人々が金を使って生活していることも。


けれど――


実際に見るのは初めてだった。


「……人が多い」


「これでも小さな街だよ」


「そう」


サクヤは静かに街を眺める、人々が行き()っている。

馬車が走っている、店先(みせさき)には様々な商品が並べられている。


知識として知っていた世界が、初めて目の前に現れたような感覚だった。


「行こうか」


「ええ」


サクヤは歩き出した。

エリアスは、彼女の歩幅(ほはば)に合わせて速度を落とす。

サクヤはそれに気づいたが、何も言わなかった。


街へ入ると、エリアスは慣れた様子で歩いていく。

サクヤはその隣を歩いた。

周囲を見回しているものの、挙動(きょどう)不自然(ふしぜん)なわけではない。

ただ、一つ一つを観察している。


「あれは?」


「パン屋」


「あれは?」


「薬屋」


「あれは?」


「武器屋」


「……あれは?」


「八回目だよ」


「そう」


「気になるのかい?」


「知らないものだから」


「なるほど」


エリアスは笑った。


「君は、本当に外の世界を知らないんだね」


「ええ」


「でも、言葉や知識は知ってる」


「屋敷に本があったから」


「本は読めたんだ?」


「簡単なものなら」


「じゃあ、聖書(せいしょ)も?」


「読める」


「意味も分かる?」


サクヤは少し考えた。


「簡単な言葉なら」


「例えば?」


信仰(しんこう)。自由。精神。魂」


「なるほど」


「でも、難しい言葉は分からない」


「難しい言葉?」


サクヤは少し考え、昨日まで何度も聞かされていた言葉を口にする。

「『(きよ)き心をもつ者は(さいわ)いなり、神はその内に宿り(たも)う』」


「……」


「読める。でも、どういう意味なのかは分からない」


エリアスはすぐには答えなかった。

サクヤの言葉を、軽く流してはいけない気がした。


「言葉そのものは分かっても、言い回しが(むずか)しいってことか」


「そう」


「君のところでは、そういう言葉を教えてもらわなかったのか?」


「覚えるだけだった」


「……そうか」


エリアスの声から、先ほどまでの軽さが少し消えた。

サクヤは彼の横顔を見る。


「怒っているの?」


「怒ってはいないよ」


「悲しい?」


エリアスは歩みを(ゆる)めた。


「……少しだけ」


「どうして?」


「君が、分からないまま覚えさせられていたことに」


サクヤは黙った、そんなふうに考えたことはなかった。

覚えろと言われたから覚えた。

読めと言われたから読んだ。

それが普通だった。


「でも、今は聞ける」


エリアスがこちらを見る。


「分からないことは、私に聞けばいい」


「あなたも分からないことがあるでしょう」


「もちろんあるさ」


「それでも?」


「それでもだよ」


エリアスは少し笑った。


「二人で考えれば、ひとりで考えるよりはマシだろう?」


サクヤはしばらく彼を見つめた。


「……分かった」


短い返事だった。

けれど、先ほどよりもわずかに声が(やわ)らかかった。

やがて、一軒の店の前でエリアスが足を止める。


「ここで服を見よう」


「分かった」


店へ入る、色々な服が並んでいる。

サクヤはそれらを眺めた。


「好きなものを選んでいいよ」


「……」


サクヤは並べられている服を見る。

黒、白、灰色、赤……

様々な色がある。


「……どれがいい?」


「君が着たいもの」


「……」


サクヤは黙った。

その質問は、思っていたより難しかった。

今まで服は、自分で選んでいない。

用意されたものを着ていた。

それがサクヤにとっての普通だった。


「……分からない」


「そっか」


エリアスは()かさなかった。

ただ、サクヤが見ている服を一緒に(なが)めている。


「じゃあ、ゆっくり選べばいい」


「待たせる」


「構わないよ」


「他にすることは?」


「君の服を選ぶことより大事なことは、今のところないね」


サクヤはエリアスを見る。

冗談なのか、本気なのか分からない。

けれど、急かすつもりがないことだけは分かった。


「……そう」


サクヤは再び服を見る。

そして、一着を手に取った。


「これ」


「黒か」


「……これがいい」


「分かった」


エリアスは微笑(ほほえ)んだ。


「じゃあ、それにしよう」


サクヤは服を見つめる。

初めて、自分で選んだ服だった。

それだけのことなのに――


少しだけ、不思議な気分だった。


「エリアス」


「ん?」


「旅というのは、こういうことなの?」


「こういうこと?」


「自分で選ぶこと」


エリアスは少しだけ目を細めた。


「……そうだね」


「そう」


「ただ、全部ひとりで決めなくてもいい」


サクヤは顔を上げた。


「どういう意味?」


「誰かに相談してもいいし、助けてもらってもいい。自分で選ぶっていうのは、ひとりで何もかも背負うことじゃないから」


「……」


サクヤは服を抱えたまま、黙って考えた。


「あなたに聞いても?」


「もちろん」


「何を選ぶか迷った時も?」


「もちろん」


「何度でも?」


エリアスは少し驚いたように目を(まばた)かせた。

それから、(おだ)やかに笑った。


「何度でも」


サクヤは彼の返事を聞いて、ほんの少しだけ目を()せた。


「……分かった」


サクヤは服を(かか)えてそして、店の外を見た。

そこには、知らない世界が広がっている。

教団の中では、何も選べなかった。

けれど今は違う。


何を着るか、どこへ行くか、何を食べるか。

これからは、自分で決める。


分からない時は、エリアスに聞けばいい。

そう思えることが、以前とは違っていた。

それが旅なのかどうかは、まだ分からない。


それでも。


サクヤは少しだけ――


この世界を知ってみたいと思った。


「行こう」


エリアスが言う。


「ええ」


サクヤは店を出る。

数歩進んだところで、彼女は足を止めた。


「エリアス」


「ん?」


「……ありがとう」


エリアスは振り返った。


「服のこと?」


「それも」


「それも?」


サクヤは少し考えた。


「分からないことを、聞いていいと言ったこと」


エリアスは一瞬、言葉を失った。

やがて、いつものように笑う。


「どういたしまして」


今度の声は、朝よりもさらに柔らかかった。

二人は並んで歩き出した。


少女は初めて、自分で選んだ服を抱えて歩いていた。

その歩みはまだ小さい。


けれど確かに――


彼女自身のものだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。