魔力循環
シグルドはクロードと別れ、城から自らの塔へと転移した。
執務室に戻ると、即座にエカテリーナとラファエル、そしてそれぞれのパートナーを塔へと招いた。
表向きは「家族」でのささやかな「食事会」として。
(表立って家族として過ごしたことなど、ない、が)
侍従に伝令を指示したあと、短く自嘲した。
塔に残る執事と侍従らに指示を出し、食卓の並びを指定する。
二脚向かい合っていた椅子を動かし、新たに四つ運ばせた。
綾香の愛用していた、ひとまわり小さな桜色の椅子は、シグルドが自ら隣へと動かした。
「それくらいお手伝いできますよ?」
隣で綾香が慌てたように言う。
「能力を使い切ったら消えるような脆弱な存在なのだから、何もせず座っておけ」
「えぇ……」
綾香は物言いたげな顔をしていたが、諦めたように桜色の椅子へと腰を下ろす。
シグルドはこちらを見ている綾香に視線をやると、一度だけ軽く頭を撫でた。
(まるで忠実な子犬だな)
綾香がふと顔をあげ、窓を見た。
やはり自分と同じように、魔力の流れを感じているらしい。
シグルドは綾香の感覚の鋭さに口角をあげた。
そして、聞こえてくる蹄の音。
近づく軽快な馬車の音と、届く二種類の魔力。
「来たか」
シグルドは「すぐ戻る」と綾香に伝え、弟妹を迎えるために下へと降りた。
最初に姿を見せたのは実妹のエカテリーナだった。
後ろにはエカテリーナの「道具」である市橋が立っている。
エカテリーナは扇子で口元を隠し、市橋と何かを話していた。
あの日に比べ、確実に近づいた距離。
シグルドは市橋が妹を見つめるその瞳が柔らかいことに気づく。
エカテリーナもまた、警戒している様子がない。
(珍しいことだな、お互いに)
二人を侍従に任せ、シグルドはそのまま待った。
彼らの後姿を見送りながら、そっと口元を緩めた。
続いて到着したのは異母弟のラファエルと、その「道具」である茜。
久しぶりにその姿を間近で見たが、雰囲気が明らかに変化していることに瞠目した。
異母弟は、人との関わりを拒絶し、目立たぬよう百年以上を塔で静かに過ごしていた。
見目の良いシグルドの弟ながら、長年城にいても、浮いた噂の一つも聞かない。
そんな男が、馬車を降りるときに、茜に向かい手を差し出している。
年齢を考えれば当然ではあるが、まさかそんな気遣いをこの目で見ることになるとは。
(あの王の予想が外れたな)
正しい情報さえ共有すれば、二人が道具を壊す確率は減るだろう。
(俺は一度壊しかけたからな)
シグルドは心を決めていた。
自分の経験で得た知識、その全てを伝えることを。
+ + +
「お帰りなさい、シグルドさん」
綾香が自分の姿に気づいて椅子から立ち上がる。
シグルドはそれを手で制した。
「みな、揃ったか」
シグルドは先に着席している弟妹たちに声をかけた。
エカテリーナの隣には市橋が、ラファエルの隣には茜が座る。
シグルドも、自らの席へと進む。
隣に並ぶ桜色の椅子から、綾香が自分を見上げている。
まるで小動物のようだと思い、その頬に軽く触れ、指を離す。
エカテリーナが驚愕したような表情で、自分の動きを目で追っていることに気づいてはいたが、シグルドはあえて言葉にしなかった。
ーーあれ。
その小さな呟きが、シグルドの耳に届く。
エカテリーナの隣に座る市橋が、シグルドに訊いた。
「……今、なんか自然に綾香の頬に触れてなーー」
市橋が言い終わる前に、エカテリーナに「馬に蹴られるわよ!」と叱られ、扇子で無遠慮に叩かれている。
(勘が良すぎるのか、俺に隠す気が無いからか)
ラファエルはビシバシと叩かれ続ける市橋の姿を見て眉根を寄せる。
シグルドも市橋を見て同じような貌になる。
(確かに、叩かれながら笑っている理由は気にはなるな……)
茜はこの状況に戸惑っている様子だが、久しぶりに会う綾香に小さく手を振っている。
エカテリーナは、ひとしきり叩いて気が済んだのか、すました顔でこちらを見つめていた。
その視線を受け、シグルドは口を開く。
「昨夜、綾香は消えかけた。我々でいうところの魔力の枯渇のような状態だった」
その場に沈黙が落ちる。
空気を破ったのは小さな質問だった。
「はいっ! 横山さんは、どうやって回復できたんですか?」
何故か茜は背筋をピンと伸ばして挙手をし、真面目な表情でシグルドに訊く。
同郷の市橋は「学校かよ」と笑っているが、こんな風に手を上げねばならない学校というものがなんなのかは分からなかった。
(情報共有は正確にせねばな)
シグルドは、全員を見て話しはじめる。
綾香は頬を紅潮させ一人俯いていたが、敢えて気にするのをやめた。
「俺は、お前たちを、我々魔族と同じようなものだと考えていた」
見た目も似ているしな、と市橋と茜を見る。
「俺たちの魔力は適度な休息をとるか、枯渇寸前であっても他者から吸い取れば回復する。お前たちの原理もそのように受け止めていた」
ちら、と隣に座る綾香へと視線を落とす。
「規則正しい睡眠をとり、休息にも配慮したーーつもりだった。しかし、お前たちの能力は有限だった」
非可逆性のものだった。
強すぎる力は、使い方を誤れば壊れる
それを失念していた……。
……綾香は魔力を使い切った。
「その結果、消滅を覚悟した綾香が俺に愛を告白をし、頬に拙い口付けをしたのだ」
綾香はいたたまれなかったのか、顔を覆って机に突っ伏した。
市橋の口元はピクピクと震えている。
茜も「おぉー!」と言いながら手を叩いていた。
エカテリーナは真っ赤な顔をしながら自分と綾香を見比べている。
「別れを覚悟したのに頬だったのか?」
義弟であるラファエルが僅かに首を傾げて訊く。
「それが最後だと覚悟するならば、頬より唇にした方が印象に残ると思うのだが」と。
その質問は当然だと思った。
自分でも最後に頬など選ばない。
「まぁ、そこは拙さから鑑みて綾香自身の経験不足が考えられる」
そう言うと市橋は手を叩いて大笑いをした。
腹を抱えて、目は涙を滲ませている。
呼吸困難になりそうなほど笑っているのに、そう簡単には止められそうにないので放っておく事にした。
綾香は「あぁぁー……」などと情けない声をあげているが、情報共有に本人の感情は必要ないので、こちらもそのままにしておく。
「話を戻すと、頬への口付けにより互いの魔力が循環した感覚があった。奪われた感覚はない。減っていないのに綾香は補えた……多少綾香自身の上限が減った気はするが」
そして、静かな声で続けた。
「頬への接触で回復したから、効率を考え口付けにした。予測は当たっていたがな」
「わ、わぁー……」
なぜか茜が真っ赤な顔をして拍手している。
綾香は耳まで真っ赤にしているのに、沈黙し、顔を伏せたまま上体を起こす気は無いらしい。
「……つまり、俺たちを補えるのは魔力循環で、ご主人様とキスをしろって事か!」
笑い過ぎたのか、市橋は涙目でエカテリーナに顔を向ける。
エカテリーナは「ひ、必要なら前向きに検討するわよ!」と宣言している。が、強がりを言っているのが丸わかりだ。
(妹はあぁ見えて真面目過ぎる性格だからな)
「頬よりも唇、だな」
義弟は隣の茜を見つめて真面目な顔で頷いている。
茜は綾香のように真っ赤になっている。
とりあえず、必要な情報共有は出来たように思えた。
シグルドはパン、と手を叩きこの場を纏めた。
「各自、道具の状態の確認をするように。綾香の例を考えると、どうやら不調を隠す上に、自己犠牲の精神が強い。我々に忠実なのは良い事なのかもしれないが、不用意に壊したいわけではないからな」
今まで弟妹と交流などしてこなかった。
それでも、下賜された道具のおかげで良い影響が出ているように感じ、シグルドは微かに口元を緩めた。
「さて、食事にしよう」
シグルドは控えていた執事に合図を送った。
食事が次々と運ばれ、卓を埋め尽くす。
茜は量に驚いたのか「わぁ」と短い声を上げた。
ラファエルは茜を見て目元を緩めている。
(ずいぶん、穏やかになったものだな)
エカテリーナを見ると、こちらは珍しく戸惑っているようだ。
いつも飄々としている妹が眉間に皺をよせる姿など、初めてかもしれない。
ーー当然か。シグルドは口角を微かに上げる。
王宮での晩餐会でもあるまいし、いちいち順番や速度を考えていられるか。
煩わしい。
シグルドは思う。
だが、妹は世の女性を率いてきた女だ。
一度に全て並べられたら、何から食べればよいか戸惑うのも当然か。
市橋は、そんなエカテリーナを笑う。
シグルドは、卓上に並んだ皿の一つから、赤い実を一粒手に取った。
食前の挨拶も関係ない。
赤い実を綾香の口へと放り込んだ。
「……甘酸っぱい」
綾香の顔は不服そうだ。
「……機嫌を直して顔を上げろ、お前の好きな実だろう?」
「機嫌が悪いんじゃないんです、恥ずかしいんですぅ……」
口をもぐもぐと動かしながらも、その顔は耳まで赤い。その様子を新しく思いながら、果物に興味を示す市橋と茜にも順番に赤い実を差し出した。
「お前たちの世界の果物に似ているのだそうだ」
食べるがいい。
そう言ってシグルドも一粒口へと運んだ。
耳が痛くなるような酸味。
「やはり、酸味が……強い」
シグルドは顔をしかめた。
眉間には強い皺が刻まれた。
市橋は片眉をあげながら、一粒口に放り込む。
茜もゆっくりと齧りついた。
「甘酸っぱい」
「甘酸っぱいですよ?」
二人の声はほぼ同時だった。
隣の綾香と同じ反応に、シグルドは苦笑した。
市橋はなぜか笑いながら赤い実をいくつもシグルドの皿に乗せてきた。
仕方がないのでシグルドは一粒ずつ咀嚼した。
身体がぶるりと震えるような酸味しか感じられなかった。
エカテリーナも食べさせられたのか、市橋を扇子で叩いていた。
(あの妹がーー)
シグルドはくくっと声を押し殺して笑う。
ラファエルも茜に渡されたものを静かに食べている。
「まずくはない」
そう言いながら、僅かに視線を伏せた。
シグルドからは、ほぼ噛まずに飲み込んだことが喉の動きで見えていた。
シグルドは、綾香に視線を向けた。
綾香はその視線に気づいたのか、こちらを向いてそっと微笑んだ。
綾香にとっては同郷の二人と。
そしてシグルドにとっては初めて家族として弟妹と過ごす、穏やかな時間だった。
みなが帰宅した後、執務室で一息ついていた。
下唇を突き出した綾香がそろそろと近寄ってくる。
「シグルドさん、あそこまで詳しく言わなくても……」
ささやかな抗議らしい。
「必要な情報だった」
シグルドは綾香の手を掴み、引き寄せた。
肌の白い綾香の身体が赤くなり、強張る。
「お前が恥じる必要はない。どうやら俺はこの循環を気に入っているらしい」
自分の胸に顔を埋める綾香という日本人に対する感情が変化している、そう思った。




