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変わらないでいられるように

シグルドさんの屋敷を出てから、ラファエルさんは何かを真剣に考えているようだった。


かく言う私も、その横顔……というより唇を意識して見てしまう。


シグルドさんは、私たちの能力に代償があること。

それでも回復する方法があることまでも詳しく説明してくれた。


(横山さんとシグルドさんが、キス……)


二人のそう言う場面を直接見たわけではない。

それなのに、想像しただけで頬が熱をもつ。

高校二年の私にとって、それはまだ少し遠いもののような感じがした。



ラファエルさんは、あれからずっと馬車の外を見つめている。

だからこそ、その横顔をのんびり見つめる事ができた。


シグルドさんと、エカテリーナさん。

そしてラファエルさんも、みんな似ていた。

黒い瞳と長い黒髪、そして、なんとなく性格も。

兄姉だからなのか、それとも魔族だからこうなのか。


横山さんが消えかけた聞いた時、正直なところとても不安になった。

この世界にたった三人しか残っていない、特別な存在。

元々ギルドの仲間だったし、オフ会で何度も交流した。

一人でも欠けてしまったらと思うと、怖くて仕方ない。


私は震えそうになる自分の身体を抱きしめた。



それでも、シグルドさんが説明している隣で真っ赤になっている横山さんは、とても可愛く思えた。

いつも冷静で、穏やかで、どこか大きな会社のお嬢様なのだというのは本人から訊いていた。


(横山さん、大胆なところもあったんだなぁ)


あのシグルドさんの頬にキス。

考えてもうまく想像ができないシチュエーション。


だからこそ。


最期って思った横山さんにとって、そうしたくなるくらいシグルドさんとの時間が特別だったんだよね、きっと。


(私とラファエルさんの時間、か……)


私は手のひらに視線を落とした。


「お前たちの能力は有限」

そう話したシグルドさんの言葉を思い出す。


有限なのは最初から、なんとなくわかっていた。

輪郭がブレるあの感覚。


(でも、口付けで回復するなんて)


物語の王子様とお姫様みたい。

そんな事を考えたせいか、つい口元が緩んだ。



ふと、視線を感じて顔を上げる。

こちらを見つめるラファエルさんの視線とぶつかる。


私が口を開くよりも早く、ラファエルさんの顔が近づいた。

動く馬車の中で、揺れる事なく立ち上がったラファエルさんの顔が、私の頬に触れる。


「……は、え?」


頬にあたる、ふにっとした感触。

そこからぶわりと何かが流れ込んでくる。


この熱量に、多分ラファエルさんも気付いている。


ネレイナと手を繋いで実験した循環よりも、ラファエルさんの唇から頬へと伝わる魔力が確実に多いことを。



「……今のは、く、くちづ……接吻? いや、キキキキスですかね」


私が尋ねると、ラファエルさんはゆっくり唇を離し、手で自分の顎に触れながら座った。

何事もなく窓から外を眺める、その耳だけが赤かった。


「……ラファエルさんも、経験少ないんですか?」


私は思わずラファエルさんに訊いた。


ラファエルさんは窓から視線を動かさないが、眉間にきゅっと皺が寄る。


「……だとしたら?」


短い言葉で聞き返される。

これは多分。


「私も初めてなんです、触れたのは頬なのに、なんだか心臓壊れそうです」


私は胸をグッと掴んだ。

心臓の音がばくばくと激しい。


ラファエルさんも自分の胸に手を当て「同じだな」と口角を上げて笑う。



私たちが消えないために必要な行為。

だとしても。


(一番最初に頬に触れたのがラファエルさんで良かった)



そう思った。

どうやら私は、ラファエルさんの道具になれた事が嫌ではないんだな、と思った。


まだこれが恋なのかはわからない。

ただ、この触れ合いがくすぐったかった。




+ + +



食事会が終わり、塔へと向かう真紅の馬車。

その中で、市橋は自分の口元を隠して肩を振るわせていた。


エカテリーナが、扇子で顔を隠している。

二人きりしかいないこの空間で。


(意識してんのが丸わかりなんだよな)


このお姫様はーー揶揄いたくなる気持ちをグッと抑えるが、あまりの可愛らしさに口元は緩みっぱなしだ。


市橋には大学四年生という年相応の経験はある。

なんなら普通にモテたから、相場より少し多いかもしれない。


それでも、ここまで初々しい相手はいなかった。



「……お前の能力の代償はなんなの? 私は、お前の剣が欠けていくものだと思っていた」


エカテリーナは開いた扇子から目から上だけ出して市橋に尋ねた。


確かに、力を使うほどに剣は欠けていく。

しかし。


「……剣は、俺の身体を投影している。そう言ったら分かるか?」


市橋の言葉に、エカテリーナは顔色を変えた。

扇子を置き、市橋の身体に触れる。

ひとしきり触れると、眉根を寄せて首をこてんと傾けた。


「どこも欠けて無いわね」


「目に見える部分はな。……見るか?」

その言葉に、躊躇いもなく頷いた。



その真っ直ぐな視線に、思わず喉がこくりと鳴った。

市橋は上着のボタンをひとつずつ外していく。


そして、四つ目を外して開いて見せた。

左胸が灰色に石化し、亀裂が入っている。

亀裂からは、赤黒い光が漏れていた。


それを見たエカテリーナの顔が曇る。

白い指先が、恐るおそる市橋の胸に触れた。


「……痛みは、あったの?」


エカテリーナは沈痛な面持ちで訊く。

その表情が、今までで一番綺麗だと思った。


そして、つい悪戯心が湧き上がる。


「魔力循環」


ぽつりと呟けば、エカテリーナの顔は瞬時に染まる。


(……煽りすぎたか?)


市橋は僅かばかり反省した。

好きな相手を揶揄うのは、流石に行動が幼すぎる。

「冗談だ」と言う前に、エカテリーナは動いた。


「ーー不敬だわ、瞳くらい閉じなさい」


その声は僅かにうわずる。


「持ち主として、世話くらいできるんだから」


誰に対しての言い訳なのか。

市橋は緩む口元に力を入れ、目を閉じた。




「……」



「…………」



「………………」


いつまで待っても何もない。

そっと目を開けると、真っ赤な顔のエカテリーナが目を閉じ、息を止めて固まっていた。


多分、勢いでするには経験が足らなかったのだろう。


市橋は思わず「ふひ」と笑い声を溢した。


その声に驚いたエカテリーナが羞恥心で怒り出すより先に、その開いた唇を自分の唇で塞いだ。


開かれた唇のおかげで、多分彼女が考えていた以上の魔力循環ができたように思う。


柔らかな唇を思う存分堪能し、ゆっくりと唇を離す。

やり過ぎたかとエカテリーナ見ると、首まで真っ赤になってくたりと肩に顔を埋める。


開いたままの服から覗く肌は、もう石化していなかった。

その事よりも、腕の中に収まるエカテリーナへの愛しさを市橋は自覚した。



そして、少し冷静になったエカテリーナに「不敬すぎるわ!」と叩かれた。


「でも治っただろ?」


そう言ってわざと服をはだけて見せる。

エカテリーナはひたすらぽかぽかと叩き続けた。

扇子ではなく、珍しく拳で。

痛くはないが、その行動が可愛過ぎて抱きしめたくなった。


(それは次にするか)


市橋は理性で耐える事にした。

これが二人の、初めての魔力循環だった。

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