第99話:真層のピクニック
重厚な扉を抜け、一行はついに王都地下迷宮の最奥、真層へと足を踏み入れた。
そこは深層までとは空気がまるで違っていた。肌を刺すような冷気と、世界樹を枯らしている原因である濃密な瘴気が立ち込めている。
「……ひぐっ、ヘ、ヘンドリック……」
先ほどまで「絶対命令じゃ」と頬を染めていたルミナリア王女が、急にヘンドリックの袖をギュッと掴み、小刻みに震え始めた。
見れば、その美しい瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「わ、わらわ……なんだかんだで、やはり怖いのじゃ。もし急に魔物が出たらと思うと、足がすくんで……。何かあればすぐに引っ張って逃がしてほしいゆえ、その……手をつないでおいてほしいのじゃ……っ」
「えっ? あ、いや、でも歩きにくいんじゃ……」
「わらわの手を引くのは、嫌か……? ぐすっ……」
「い、嫌じゃないよ! わかった、手くらいならいくらでも繋ぐから! 泣かないで!」
女の涙、しかも最高権力者に致命的に弱いおっさんは、光の速さで陥落した。
しっかりとルミナリアの小さな手を握り、護衛するように歩き始めるヘンドリック。
『……ふふっ。チョロい。やはりこの男、涙を見せればイチコロじゃ』
当然、王女の震えも涙も完璧な演技であった。事前の買収によりヒロインたちも文句を言えないため、ルミナリアは合法的にヘンドリックの左手を独占し、意気揚々と真層を進む。
真層の魔物は確かに凶悪だったが、ヘンドリックの【索敵Lv1】による完璧なルート構築と、前衛のブラムとサンネ、遊撃のミラによる無双の立ち回りにより、一行はピクニックのようなペースで安全に進んでいった。
数時間後。
「よし、今日の探索はここまでにしよう。少し開けた安全地帯があったから、ここで野営にするよ」
ヘンドリックは真層の一角にある岩壁のくぼみに目をつけ、すぐさま【土木建築Lv1】と【土魔法Lv1】を複合発動させた。
ズゴゴゴッ、という音と共に岩壁が滑らかに削られ、あっという間に通気口付きの完璧な石造りの拠点が完成する。さらに【風魔法Lv1】と【光魔法Lv1】を混ぜた結界で入り口を完全に塞ぎ、瘴気も魔物も一切通さない絶対安全領域を作り上げた。
「相変わらず、師匠の拠点作りは頭おかしいぜ……迷宮の最奥だぞ、ここ」
ブラムが呆れ半分、感嘆半分で呟く。
「さあ、夕食にしようか。今日はルミナリア殿下が、王宮の【料理Lv10】を持つ専属シェフに作らせた特製保存食を持参してくれたんだよね」
「うむ! お湯で戻すだけで、王宮フルコースの味が楽しめるという魔法の携行食じゃ!」
ヘンドリックは【水魔法Lv1】で純水を生み出し、【火魔法Lv1】で食材の旨味が最も引き出される完璧な温度の八十五度にキープ。それを【料理Lv1】の絶妙なタイミングで保存食に注ぎ込んだ。
レベル10の料理人が作った至高の保存食が、職人のおっさんによる完璧な湯戻しによって限界突破し、石造りの部屋に極上の香りが充満する。
「はふっ! はふっ! 美味いんだゾ! 迷宮の中でこんな美味しいシチューが食べられるなんて最高なんだゾ!」
ミラが尻尾をちぎれんばかりに振ってシチューをかき込む。真層の過酷な環境など、どこ吹く風であった。
「……さて、みんなお疲れ様。寝具も出しておくよ」
食後、ヘンドリックは【空間拡張Lv1】の鞄から、ふかふかの寝具を取り出しながら、一つ咳払いをした。
「えーっと。就寝時の安全と、まあ……色々な配慮も兼ねて、今日は【土魔法Lv1】で部屋を二つに区切るよ。男子部屋と女子部屋だ。俺とブラムが右、殿下と女性陣は左の部屋で……」
よし、これで夜の貞操と睡眠の質は守られる。
ヘンドリックが完璧な防衛策を口にした瞬間、ルミナリアが「待て」と凛とした声を上げた。
「ヘンドリックよ。そなたは、この過酷な真層で、若く愛し合うブラムとロッテを離れ離れにするというのか?」
「……えっ?」
「彼らはこれから命を懸けて戦うのじゃぞ? 不安な夜くらい、寄り添って眠らせてやるのが大人の配慮というものではないか。わらわは王族として、そのような非情な部屋割りは断じて許さぬ!」
「そ、そんなこと言われたら……わかったよ。ブラムとロッテの個室を一つ作るよ」
「おっ、マジか! 悪いな、おっさん!」
「えへへ、リーダーありがとうございます」
ヘンドリックは【土木建築Lv1】で、そそくさと若者二人のための完全防音の個室を作り上げた。




