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レベル1を35個持ったおっさん、有能すぎて美女三人に包囲される〜レベル10大火力至上主義の世界で裏方が最強だった〜  作者: よっしぃ@書籍化


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第90話:獣人の宴と、最強の教育係(マダム)

「ガッハッハッハ! さあ飲め! 食え! 今日は俺たちの新しいボス、ヘンドリックの就任祝いだァ!!」

 族長の号令とともに、侯爵邸の中庭は一瞬にして「野営地」と化した。

 どこからともなく運び込まれた巨大な酒樽の蓋が叩き割られ、焚き火の上では丸ごとの魔猪オークが豪快に炙られている。獣人たちが肉を素手で引きちぎり、樽から直接酒を呷る、まさに野生の宴であった。

「旦那様! アタシが一番いいお肉を焼いてきたんだゾ!」

「あ、ああ……ありがとう、ミラ」

 ヘンドリックは差し出された骨付き肉を受け取りながら、遠い目をしていた。

 綺麗に整えられていた侯爵邸の庭が、完全に蛮族の集落になっている。近隣の貴族からクレームが来ないか、胃がキリキリと痛んだ。

 族長の妻は「あらあら、可愛らしいお庭ですこと」と微笑みながら、それでも周囲の獣人たちが暴れすぎないよう、さりげなく目を光らせている。ミラが母親似の穏やかな笑顔を持っているのは、どうやらこちらの血筋らしい。

「おいボス! なんだそのちまちました食い方は! 男ならもっと豪快に……」

 族長が巨大な酒樽を片手に持ち上げ、ヘンドリックの背中を叩こうとした、その時だった。

 ピシャァァァンッ!!

 乾いた、しかし異様に響き渡る破裂音が中庭に鳴り響いた。見れば、族長の丸太のような腕を、一本の扇子が打ち据えていた。

「……あら。獣人族の長ともあろうお方が、少々はしたなくありませんこと?」

 そこに立っていたのは、公爵の妹にしてヘンドリックの教育係、カトリーヌであった。

 物理的なダメージなど皆無のはずだ。しかし、族長はその一撃を受けた瞬間、ピタリと動きを止めた。

「ああん? なんだアンタ、ただの婆さんじゃねえか。俺たちは今、ボスの祝いを……」

「ここはヘンドリック侯爵の邸宅。そしてあなたは、侯爵の尊き客人。ならば、その身分にふさわしい『品格』を示していただかなくては、主であるヘンドリック様の顔に泥を塗ることになりますわよ?」

 カトリーヌは扇子で口元を隠し、優雅に微笑んだ。

 魔力も、闘気も一切感じない。ただの華奢な老婦人だ。

 だが、獣人族の頂点に立つ族長の【野生の勘】が、警鐘をガンガンと鳴らし始めた。

『な、なんだこの女は……!?』

 族長の額から、タラリと冷や汗が流れる。刃を向けられているわけでもないのに、一切の隙がない。彼女が纏っているのは、圧倒的なまでの「格」と「規律」。数十年かけて王都の社交界という魔境を生き抜いてきた、本物の強者のオーラだった。

『こいつ……俺より強い。間違いなく強い。俺が本気で殴りかかっても、あの扇子一本で受け流されて逆に叩きのめされる気がする……!』

 獣人族の本能が、全力で「逃げろ」と叫んでいた。

「さあ、まずはその樽を置きなさい。お酒はグラスに注いで、香りを楽しみながらいただくものです。……ロバート、グラスを」

「はい、カトリーヌ」

 夫のロバートが、静かにワイングラスを差し出す。

 族長はゴクリと唾を飲み込み、まるで借りてきた猫のように大人しく酒樽を地面に置いた。

「そうです。背筋を伸ばし、脇を締めて。……違う! 小指は立てない!」

「ヒッ!? す、すまねぇ……いや、申し訳ございませんッ!」

 ピシャッ! ピシャッ! と扇子で指導されるたび、二メートル超えの筋肉ダルマがビクッと肩を震わせる。

『こ、この女……! 強い!! 俺の拳など届く前に、その眼力だけで俺の心臓を止める気だ! まさか王都の貴族とは、これほど恐ろしい生き物だったとは……!』

 完全にカトリーヌの「圧」に屈した族長は、震える太い指で小さなワイングラスを上品につまみ、背筋をピンと伸ばして「お、おほほ、素晴らしいヴィンテージですな」と顔を引きつらせながらワインを嗜み始めた。

「……親父が、あんなに大人しくなったんだゾ……」

「さすがはカトリーヌ先生ですわ。あれが王都を束ねる貴婦人の力……」

 ヒロインたちが感嘆の声を漏らす中、ミラの母親がヘンドリックの隣に静かに歩み寄ってきた。

「ヘンドリック様。主人があのように大人しくなったのを見るのは、私も初めてですわ。……ミラをよろしくお願いしますね」

「あ、はい……え、ちょっと待ってくれませんか」

「娘のことが心配でしたが、こんなに立派な方が傍にいてくださるなら安心です」

「あの、まだ俺はミラと結婚するとか……」

「ミラはあなたのことが大好きですから。……幸せにしてあげてくださいね」

「お母さんまで!?」

 族長夫妻に両側から既成事実を積み重ねられながら、ヘンドリックは助けを求めて周囲を見渡した。

 エリーゼが扇子で口元を隠してそっぽを向いている。サンネが「旦那様、よかったですね」と目を細めている。ブラムが「おっさん、完全に詰んでるな」と遠い目をしている。

 ただ一人、カトリーヌだけが族長の指導の手を止めず、こちらに視線だけを向けて静かに微笑んだ。

 その笑顔の意味は「これもすべて、侯爵としての人生ですわよ」という無言のメッセージに読めた。

「……なあ、カトリーヌ先生」

「なんですか、ヘンドリック様」

「俺、本当にスローライフは無理そうですか?」

 カトリーヌは扇子をゆっくりと閉じ、少しだけ表情を和らげた。

「……さあ、どうでしょう。でも一つだけ申し上げますわ」

「なんですか」

「あなたの周りにいる方々は皆、あなたのことが好きでここにいるのですわよ。それは、スローライフよりも価値のあることだと、私は思いますけれど」

 ヘンドリックは黙った。

 中庭では、カトリーヌ先生による【獣人族のための深夜のテーブルマナー講座スパルタ】が幕を開けていた。

 族長が扇子で叩かれるたびにビクビクしている。ミラの母親がにこにこと見守っている。ヒロインたちが笑いを堪えながら紅茶を飲んでいる。ブラムとロッテが仲睦まじく隣に座っている。

 最強の便利屋おっさんは、逃げ場のない侯爵ライフの現実を前に、ただただ出された骨付き肉を上品に(ナイフとフォークで)切り分けながら、カトリーヌの言葉の意味を、静かに噛みしめていた。

『……まあ、悪くない夜じゃないか』

 心の中でそっと呟いた言葉は、誰にも聞こえなかった。

 でもそれで、よかった。

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