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レベル1を35個持ったおっさん、有能すぎて美女三人に包囲される〜レベル10大火力至上主義の世界で裏方が最強だった〜  作者: よっしぃ@書籍化


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第88話:スパルタ教育の果てと、獣人の族長襲来

 侯爵邸での生活が始まって数日。

 ヘンドリックは、意外な事実に気がついていた。

 公爵の妹・カトリーヌによる「侯爵としての教養・マナー講座」は、これまでの生活の中で一番『平和』だったのだ。

「ヘンドリック様、ティーカップの持ち方が少し違いますわ。肩の力を抜いて、自然な優雅さを意識してくださいな」

「あ、はい。こうですか?」

 そこには、「早く私を妻に!」「旦那様のお子を!」と迫ってくるヒロインたちの重い愛もなければ、「さあ、国のために働け!」と無茶振りをしてくる王女の圧力もない。ただ純粋に、貴族としての知識と作法を叩き込まれるだけの時間。カトリーヌとロバート夫妻は、本当に「教育」以外の余計な感情を一切持ち込んでこなかった。

『……あれ? これ、もしかして悪くないんじゃないか?』

 ヘンドリックの脳内に、悪魔の囁きが響いた。

『俺がわざと物覚えの悪い生徒を演じて、この教育期間をダラダラと引き延ばせば……あの重い愛や面倒な仕事から逃げて、安全な教室内でちんたらスローライフを送れるのでは!?』

 我ながら完璧な作戦だ。

 ヘンドリックは内心でガッツポーズをし、わざとぎこちない手つきでカップを置き、ため息をついてみせた。

「いやあ、平民上がりの俺には、やっぱり貴族の作法は難しすぎますね。これ、覚えるのに何年もかかりそうだなぁー……」

 チラリとカトリーヌの反応を窺う。

 その瞬間だった。

 ゾワァァァァッ……!!

 背後から、首筋に氷を押し当てられたかのような、凄まじい殺気が放たれた。恐る恐る振り返ると、カトリーヌが背後に立ち、扇子で口元を隠しながら「完璧な貴婦人の笑み」を浮かべていた。しかし、その目は全く笑っていない。

「……あら、ヘンドリック様? もしかして、わざと覚えの悪いフリをして、私の授業を引き延ばそうなどという『中途半端な小細工』を企ててはいらっしゃいませんわよね?」

「ヒッ!?」

「公爵家から派遣されたこの私を、ただの時間稼ぎに利用しようなどという甘い考え……まさか、お持ちではありませんわよね?」

 その背後には、笑顔のまま無言で木刀を構える夫・ロバートの姿もあった。彼らは教育のプロフェッショナルだ。レベル1の便利屋ごときの浅知恵など、一瞬で見透かされていたのである。

「そ、そんなわけないじゃないですか! 俺は真面目に……!」

「よろしい。ならば、あなたのその『腐った根性』から貴族の器へと叩き直すため、本日からカリキュラムを【特級スパルタ仕様】に変更いたしますわ。覚悟なさい」

「アバーッ!?」

 それから数週間。

 ヘンドリックは、文字通り地獄を見た。

 朝は夜明け前に叩き起こされ、食事の作法から始まり、歩行、会話、手紙の書き方、他家への挨拶の角度、さらには歴史から外交術に至るまで、息をするように貴族の振る舞いができるようになるまで徹底的にしごき抜かれた。

 わずかでも気を抜けばロバートの木刀が飛んでくる。小細工を弄しようとすればカトリーヌの扇子が飛んでくる。睡眠時間すら削られ、ヘンドリックの目の下には見事なクマが形成されていった。

 ヒロインたちが「旦那様、無理しないでください!」と心配する声も、「教育中は余計な口出し無用ですわよ」というカトリーヌの一言で完全に封じられた。

 エリーゼが「さすがにやりすぎでは……」と眉を顰めると、カトリーヌはにっこりと微笑んで「あなたたちが旦那様の逃げ場を作るから、いつまでも根性が育たないのですわよ?」と返した。

 エリーゼが黙った。サンネも黙った。ミラも尻尾を垂れて黙った。

 カトリーヌに口で勝てる者は、この屋敷には一人もいなかった。

 そして現在。

「……ふむ。まあ、とりあえず『形』にはなりましたわね。及第点です」

 応接室のソファに、背筋をピンと伸ばし、一糸乱れぬ完璧な所作で紅茶を嗍むヘンドリックの姿があった。

【身体強化Lv1】による身体能力の底上げと、二十年以上の職人経験で培われた「細かい作業への集中力」が変な方向に噛み合った結果、彼の所作はわずか数週間で、他国の王族と謁見しても恥じないレベルにまで仕上がっていたのである。

「ありがとうございます、カトリーヌ先生……」

 ヘンドリックが(心労で)少しげっそりとした顔で優雅に微笑んだ、その時だった。

「ボスーーッ!! 大変なんだゾ!!」

 バンッ! と勢いよく応接室の扉が開き、獣人のミラが血相を変えて飛び込んできた。

「ミラ、室内では静かに入ってくれるかな。……して、どうしたんだ?」

 ヘンドリックが完璧な貴族のトーンで尋ねると、ミラは手に持っていた手紙をバサバサと振り回した。

「親父が! アタシの親父が、この王都に来るって連絡が来たんだゾ!」

「親父……? ミラのお父さんか」

「そうだゾ! アタシの親父は、獣人族を束ねる『族長』なんだゾ! アタシがボスっていう『強くて群れを任せられるオス(番)』を見つけたって手紙を出したら、挨拶に行くって返事が来たんだゾ!」

 ピシッ、と。

 ヘンドリックの手の中で、高級なティーカップにヒビが入った。

「え……族長? 挨拶って……獣人の風習とか挨拶の作法なんて、俺はまったく知らないぞ!?」

「獣人の挨拶は簡単だゾ! 拳と拳で語り合って、どっちが群れのボスにふさわしいか【決闘】で決めるだけなんだゾ!」

「野蛮すぎるだろ!! カトリーヌ先生、獣人族との外交マニュアルは!?」

 ヘンドリックが助けを求めて振り返ると、カトリーヌは扇子でパタパタと仰ぎながら、優雅に微笑んでいた。

「あら、異種族の習わしについては私の管轄外ですわ。侯爵としての『初めての外交任務』、ご立派に務め上げてきなさいな。応援しておりますわよ」

「そんなああっ!」

 貴族の作法を完璧に叩き込まれた直後にやってきた、筋肉と本能で語り合う「獣人の族長(義父候補)」という対極の存在。

 カトリーヌは扇子で口元を隠しながら、楽しそうに目を細めた。

「ふふ。ヘンドリック様、人生というものは面白いですわね。どれだけ作法を学んでも、次は全く別の試練が待っている。……でも、あなたならきっと大丈夫ですわよ」

「……本当ですか」

「ええ。ただし」

 カトリーヌが扇子をパシッと閉じた。

「族長の前でも、背筋だけは伸ばしていなさいな。それだけは譲れませんわよ」

 スローライフなど夢のまた夢。休む間もなく、おっさん侯爵の新たな胃痛の種が王都へと迫っていた。

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