第86話:知らぬはヘンドリック一人〜女子会編〜
番外編:知らぬはヘンドリック一人~女子会編~
ヘンドリックが白目を剥いて気絶した直後。
近衛兵たちがおっさんを担架で運び去り、王女が「では後ほど叙爵の準備を進めるぞ!」と颯爽と去っていった後。
学舎の正門前には、エリーゼ、サンネ、ミラの三人と、ルークに寄り添うアイシャが残されていた。
民衆の歓声も少しずつ遠ざかり、夕暮れの静けさが戻ってくる。
「……少しだけ、いいかしら」
先に声をかけてきたのは、アイシャだった。
三人が身構える中、アイシャはルークに「少し待っていて」と目で合図し、静かに三人の前に歩み寄った。
「敵意はないわ。……ただ、あなたたちに伝えておきたいことがあって」
エリーゼが扇子を閉じ、静かに促した。
「……聞きますわ」
アイシャは少しだけ遠くを見るような目をして、口を開いた。
「あなたたちが羨ましいわ。……実は私も、昔は本気だったの」
三人の間に、ぴんと張り詰めた空気が流れた。
「あの人が私のパーティーにいた頃。私、本気であの人のことが好きだったの。でも彼は冒険者として活動している間はパーティーメンバーと恋仲にならないって、頑なに決めていて……」
「……それは、今も変わっていませんわね」
エリーゼが苦笑いしながら呟く。
「でしょうね。……ダンジョンの罠で脚を怪我した時、人間なら数ヶ月は歩けないような重傷だったわ。あの頃のあの人の回復魔法も、今ほど優秀じゃなかったし、魔力量も今とは比べ物にならなかったから、十分に治してあげられなくて、ずっと自分を責めていたのよ」
「……それで、去ったんですか」
サンネが静かに問い返す。
「ええ。1週間、毎日献身的に看病してくれたわ。……私が魔族だから1週間あれば十分だったけれど、あの人はそれを知らなかった。私が歩けるようになった朝、もうそこにいなかった。皆が引き留めたけれど……あの人は聞かなかったって」
「……」
「1週間、ベッドの上で動けない間に、気持ちが確信に変わったのよ。動けるようになったら伝えようって、ずっと思っていたのに」
ミラが小さく「……切ないんだゾ」と呟いた。
アイシャは小さく笑った。
「あの人らしいでしょう? 不器用すぎて笑えるわ。……今はルークがいるから、もう過去のことよ。でも、あなたたちには伝えておきたかったの」
「……何を、ですか?」
サンネが静かに問い返す。
「あの人は、好きな人ができるたびに、同じことをするわ。責任を感じて、一人で抱え込んで、逃げていく。……だから、逃がさないで。あなたたちなら、きっとできるから」
三人が静かに顔を見合わせた。
「……絶対に、逃がしませんわ」
エリーゼが静かに、しかし力強く答えた。
「逃がさん。俺が……私が剣にかけて誓う」
サンネが珍しく噛みながらも、真剣な目で言い切った。
「ボスはどこにも行かせないんだゾ。あたしが全力で追いかけるんだゾ」
ミラが拳を握りしめた。
アイシャは三人の顔を見渡し、満足そうに微笑んだ。
「……よかった。あなたたちなら、大丈夫ね」
彼女は踵を返し、待っていたルークの元へと歩いていく。
「アイシャ、話せたか?」
「ええ。……やっと、すっきりしたわ」
ルークがアイシャの肩をそっと抱く。二人は夕暮れの王都の雑踏へと、静かに消えていった。
残された三人は、しばらく黙って立っていた。
「……知らなかったですわ。あの人に、そんな過去があったなんて」
エリーゼが静かに呟く。
「ずっと一人で背負ってたんだな」
サンネが遠くを見ながら言った。
「……ボスのバカ」
ミラが涙目になりながら、ぽつりと呟いた。
三人の間に、柔らかい沈黙が落ちた。
そして。
「……逃がさないわよ、ヘンドリック」
エリーゼが誰にも聞こえないほど小さな声で、夕暮れの空に向かって呟いた。
それは誓いだった。
アイシャから受け取った、静かで確かな誓いだった。
知らぬはヘンドリック一人。
今日も最強の便利屋おっさんは、自分をめぐる女子会の内容を知らないまま、担架の上で白目を剥いて運ばれていくのであった。




