第84話:涙の無双と、変貌した気配
「うおおおおおおおおっ!」
ヘンドリックの悲痛な雄叫びが、学舎の正門前に響き渡った。
三十五年間背負い続けてきたトラウマの正体が、たった今、完全な一人相撲だったと判明したばかりだ。
その事実が脳内でグルグルと渦を巻き、ヘンドリックの目からは大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちていた。
しかし足は止まらない。
彼は【オリハルコンの剣】を無造作に振り回しながら、狂乱の魔物たちの群れへと単騎で突っ込んでいく。
「【身体強化Lv1】! 【風魔法Lv1】と【土魔法Lv1】の複合発動! 全部ぶち込む!」
凄まじい魔力の奔流。レベル1のスキルを複合させただけなのに、ヘンドリックが剣を一振りするたびに、数十匹の魔物が文字通りチリとなって消し飛んでいく。
『俺の……俺の三十五年間を返せええええっ! なんであいつ(アイシャ)は魔族で、ピンピンしてて、他の男と幸せそうにしてるんだよおおおっ!』
ヘンドリックの目からは、三十五年分のやり場のない悲哀と、完全なる一人相撲だったトラウマへの虚無感から、大粒の涙がボロボロとこぼれ落ち続けていた。
だが、その涙ながらに鬼神の如く魔物を斬り伏せる姿は、周囲の者たちの目に全く別の光景として映っていた。
「見ろ……ヘンドリック殿が、涙を流しておられる……!」
「愛する妹君と、学舎の子供たちを守るために……あそこまで身を削って、怒りと悲しみを露わにして戦ってくださっているんだ!」
ルークとアイシャが感極まった声を上げる。
「旦那様……! あれが、旦那様の本気の姿……!」
「なんて気高く、美しい愛なんだゾ! アタシたちも続くんだゾ!」
エリーゼが珍しく声を詰まらせ、ミラが目を輝かせて拳を握りしめた。サンネも静かに剣を構え直し、ブラムとロッテも最高潮の士気で魔物の群れへと飛び込んでいく。
『違う! ただの三十五年分の虚無への八つ当たりで泣いてるだけだ! 感動するな! むしろ引いてくれ!』
心の中で全力でツッコみながらも、声にならないヘンドリック。
そんな一方的な殲滅戦が数分続いた後。
魔物の群れの後方、学舎の時計塔の上に立つ一人の男の気配を、ヘンドリックの【索敵Lv1】が捉えた。
『この澱んだ気配……間違いない。この間、大通りで猛スピードの馬車を走らせて俺たちを轢き殺そうとした、あの御者だ!』
「ブラム、こっちは任せた!」
「了解! 師匠、気をつけろよ!」
ヘンドリックは【土魔法Lv1】で足場を瞬時に積み上げ、一息に時計塔の屋根へと跳躍した。
着地と同時に剣を突きつける。
高価なローブを身に纏い、手には【狂乱の魔石】を握りしめている男。その気配は完全に澱みきっており、最初に見かけた御者とは別人のようにも見えた。しかし、ヘンドリックの【鑑定Lv1】が確かに捉えていた。この波動は知っている。
「そこまでだ。……お前。気配が変わり果ててわからなかったが」
ヘンドリックは相手の顔を正面から見てピタリと動きを止めた。
「あの最悪だったパーティーにいた、もう一人のメンバーじゃないか。……名前は、失念したけどね」
「ふははは! さすがは『英雄』ヘンドリックだな。裏社会の瘴気に染まりきった私の気配を追ってきて、顔を見るなり私だと気づくとは!」
闇商人の正体である元メンバーの男は、芝居がかった手つきでフードを後ろへ跳ね除けた。
その顔には、かつてパーティーにいた頃の面影がわずかに残っているが、目の奥には完全に理性の光が失われ、どす黒い瘴気に染まった狂気だけが宿っていた。
『こいつ……本当に終わってるな』
ヘンドリックは静かに剣を構え直した。
涙はもう止まっていた。
泣いても三十五年は返ってこない。今は目の前の問題を片付けるだけだ。
「降参するなら今のうちだよ。俺は今、情緒がメチャクチャだから、手加減できる自信があんまりないけどね」
「ほざくな! 俺には闇商人様の力がある! お前など……!」
男が狂乱の魔石を掲げた瞬間、ヘンドリックは既に動いていた。




