第80話:すれ違う思惑と、闇商人からの招待状
『こいつ……俺が呪具の反動で動けないことを知ってて、わざとからかいに来やがったな! しかも妹と一緒に来るとは……!』
「ええ、少しお疲れが出たようで。でも意識はハッキリしていますし、私たちがつきっきりでお世話をしておりますから、すぐに良くなりますわ」
エリーゼが微笑みながら答えると、ルークは「それは重畳」と深く頷いた。
彼はティーカップを静かにソーサーに戻し、ベッドの脇へとゆっくり近づいてきた。動けないヘンドリックの耳元へ顔を寄せ、エリーゼたちには聞こえないほどの小さな声で囁く。
「あの迷宮での狂気的な殲滅劇、しかと拝見しましたよ。……まさか、あれほどの力を持つあなたが、こんな無防備な姿になるとは。本当に、人生とは何が起こるかわかりませんね」
その言葉には、嘲りとも敬意とも取れる不思議な温度があった。
『くそっ……殺すなら殺せ! だが妹と妻たちには指一本触れさせねえぞ!』
ヘンドリックがギリッと奥歯を噛み締めた、その時だった。
ルークはヘンドリックの枕元に、小さく折りたたまれた一枚の羊皮紙をスッと滑り込ませたのだ。
誰にも気づかれない、流れるように自然な動作だった。
「では、私はこれで。伯爵様、どうぞお大事になさってください。妹君のことは、今後も私が王都で責任を持って見守らせていただきますので」
「まあ、もう行かれるのですか? 今度また、旦那様が動けるようになったら是非いらしてくださいね!」
「ルークさん、また来てくれるんだゾ! 次はボスが動けるようになってから来てほしいんだゾ!」
ヒロインたちが笑顔で手を振る中、魔族の男は恭しく一礼し、妹に「また学校で」と優しく微笑みかけてから、堂々と正面玄関から帰っていった。
その背中は、まるで最初から何も起きていなかったかのように、穏やかで余裕に満ちていた。
嵐が去った後の寝室。
妹も「お兄ちゃん、早く元気になってね!」と涙を拭いながら帰路につき、部屋には再びヒロインたちとヘンドリックだけが残された。
しばらくの沈黙の後、サンネがシーツを直そうとして、枕元の羊皮紙に気づいた。
「本当に親切で紳士的な方でしたわね。……あら? 旦那様、枕元に何かお手紙のようなものが」
「妹君の恩人からのお見舞いのお手紙でしょうか? 旦那様は読めませんから、私が代読いたしますね」
サンネが羊皮紙を開き、そこに書かれた内容を読み上げ始めた瞬間。彼女の顔からスッと笑みが消え、騎士としての険しい表情へと変わった。
「……『不器用な英雄殿へ。私は君の敵ではない。あの日、私が狂乱の魔石を持っていたのも、迷宮にいたのも、すべては愚かなスタンピードを引き起こそうとする輩から、この王都を守り、止めるためだった』……!?」
『……は?』
ヘンドリックの思考が停止した。
スタンピードを引き起こした張本人だと思っていたあの魔族が、実はそれを「止めようとしていた」側だった?
「続きがあります! 『君が魔物の大群をすべてミンチにしてくれたおかげで、私の手間は省けた。だが、根本的な問題は何も解決していない。……王都の裏で暗躍し、狂乱の魔石をばら撒いている真の黒幕、【闇商人】に気をつけろ。いずれまた、君の力が必要になる時が来るだろう』……と」
サンネが羊皮紙を持つ手を、わずかに震わせながら読み上げた。
手紙を読み終えたサンネとエリーゼたちが、息を呑んで顔を見合わせた。
「……旦那様」
エリーゼが静かに、しかし真剣な目でヘンドリックを見つめた。
「あなた、このルークという男の正体に、最初から気づいていたのですね?」
「え?」とヘンドリックが心の中で間抜けな声を出す。
「だからこそ、妹君を預けている彼を刺激しないよう、あえて動けないふりをして……いや、彼の『自分は敵ではない』という真意を見抜き、無言で彼を泳がせたのですね!」
「なんという深い洞察力と胆力なんだゾ! ボスはベッドの上で寝たきりの状態でも、すでに王都の裏でうごめく真の黒幕【闇商人】との知略戦を始めていたんだゾ!」
「ああ、ヘンドリック……。一見するとすべてを私たちに委ねているようで、その頭脳は休むことなく王国を守るためにフル回転しているのですね。なんて頼もしい……」
サンネが目を潤ませながら呟く。
『違うううううっ! 俺はただ呪いで動けなくて、ガチでビビり散らかしてただけだ! なんで手紙一通で、俺が安楽椅子探偵みたいな超絶頭脳派キャラに仕立て上げられてるんだよおおおおっ!』
ヘンドリックの目が激しく動き回る。
しかしヒロインたちは「旦那様、目が動いている。きっと『その通りだ、皆に任せる』とおっしゃっているのですわ」とさらに的外れな解釈をした。
魔族の正体。妹との関係。そして謎の【闇商人】。
一気に増えた謎と不穏な空気を前に、ヒロインたちは「動けない旦那様に代わり、私たちが闇商人を突き止めます!」と勝手に決意を固め、静かに闘志を燃やし始める。
「旦那様、ご安心くださいませ。あなたが動けない間は、私たちが必ず王都を守ります」
エリーゼが静かに、しかし力強く言い切った。
サンネが剣の柄に手を添え、ミラが爪を研ぐように拳を握りしめた。
全員の目に、本物の決意が宿っていた。
『……お前ら、本当にいい仲間だな』
ヘンドリックは心の中で、素直にそう思った。
ビビり散らかしていたことは、永遠に秘密にするつもりだったが。
最強の便利屋の「動けない一週間」は、彼の意図とは全く無関係なところで、さらなる国家規模の陰謀劇へと強制的に巻き込まれていくのであった。
哀れ、ヘンドリック。
動けないのに、どんどん話が大きくなっていく。




