第78話:甲斐甲斐しい地獄と、乙女たちの狂喜
「ふふっ。あーん、ですわ、旦那様」
王都の伯爵邸、ヘンドリックの寝室。
天蓋付きの豪華なベッドの上で、完全に身動きが取れないヘンドリックは、天井をぼんやりと見つめることしかできなかった。
昨日まで迷宮で魔物をミンチにしていた最強の便利屋が、今は自力で指一本動かせない。人生とは何が起こるかわからないものだ。
そんなヘンドリックの顔に、王女の美しい顔が至近距離まで近づき、そのまま柔らかい唇が重なった。
『んんんっ……!?』
王女の口から、丁寧に咀嚼された温かいスープと柔らかい肉が、口移しでヘンドリックの口内へと流し込まれる。
ヘンドリックは嚥下も自力ではままならないため、王女が喉の動きに合わせて優しくさすりながら、すべてを流し込んでくれているのだ。
「ふふ。旦那様、ちゃんと飲み込めましたか?」
王女が満足そうに微笑む。ヘンドリックの目が「助けてくれ」という絶望を訴えているが、王女はそれを「照れている」と解釈しているようだった。
「まぁ、殿下はずるいですわ。次は私が食事の面倒を見ます。旦那様、私のあーんも受け取ってくださいね」
「食事の後は歯磨きと、お顔の清拭なんだゾ! ボス、あたしが綺麗にしてあげるんだゾ!」
エリーゼとミラが、頬を紅潮させながら順番待ちをしている。
一週間の完全麻痺。それはつまり、食事から着替え、入浴、そして「下の世話」に至るまで、すべてを他人に任せなければならないということだ。
『……なんで俺、こんなことになってるんだ』
昨日まではトップランカーとして迷宮を闊歩していたのに、今日は自力で食事すらできない。しかも介護しているのが四人の美女というのが、ヘンドリックの尊厳をさらに削ってくる。
ブラムやロッテが「俺たちが手伝いますよ!」と申し出てくれたのだが、四人のヒロインたちは「妻としての務めですから!」と物凄い剣幕で彼らを部屋から追い出し、完全な密室介護体制を敷いていた。
廊下の向こうでは、ブラムが「……おっさん、生きてるか?」と扉に向かって呟き、ロッテが「きっと大丈夫です」と力なく答えていた。
「さあ旦那様。お食事の後は、排泄の管の交換と、お身体の清拭です。恥ずかしがることはありませんよ。あなたのすべてを、私たちが隅々まで綺麗にして差し上げますから」
騎士であるサンネが、満面の笑みと妙な熱っぽさを帯びた瞳で、ヘンドリックのズボンに手をかける。
『やめろおおおおおおっ! 俺は三十五歳の立派な大人だぞ! 下の世話だけは、せめて専門の医者かブラムにやらせてくれええええっ!』
心の中で血の涙を流して絶叫するヘンドリック。しかし、彼の体はビクとも動かず、ただ天井を見つめたまま、ヒロインたちの手によってすべてを委ねるしかない。
「ふふっ、旦那様。こんなに無防備で……私たちが何をしても抵抗できないのですね」
エリーゼがうっとりとした目でヘンドリックを見つめ、長い指でそっと彼の頬に触れる。
「こんなに甲斐甲斐しくお世話ができるなんて、あの魔族とお面に感謝しなければなりませんわね」
「そうなんだゾ! ボスのすべてを世話できるなんて、あたし幸せなんだゾ!」
「……旦那様。日頃から私たちの世話をしてくださっているお返しを、ようやくできますね」
サンネが珍しくうっとりとした表情で呟く。
四人の乙女たちは、愛する男のすべてを自分たちの手で管理できる喜びに打ち震え、嬉々としてヘンドリックの体を磨き上げていく。
その笑顔は眩しいほどに輝いていた。全員が本当に幸せそうだった。
それがヘンドリックには、一番堪えた。
『頼む……誰か俺を助けてくれ……! もう二度と、あんなお面は被らないから……っ!』
魔族を取り逃がしたことなど、もはやどうでもよかった。
スローライフ? そんなものはもっとどうでもよかった。
今この瞬間の尊厳の問題だ。
最強の便利屋ヘンドリックは、一週間にわたって続く「愛が重すぎる乙女たちの狂喜の介護」という名の、男の尊厳を削り取る究極の地獄を、ただ白目を剥いて耐え忍ぶことしかできないのであった。
哀れ、ヘンドリック。
今日も、そして明日も、彼のすべては乙女たちの手の中にある。




