第76話:全スキルレベル10の蹂躙と、許された迷宮
お面を装着した瞬間。ヘンドリックの体内から、1000もの莫大な魔力が代償として強制徴収された。
普通の人間なら、これだけで意識を失い廃人になる。だが、7000という異常な魔力タンクを持つヘンドリックにとって、1000の消費は七分の一に過ぎない。
その代償として【狂笑の呪面】がもたらす恩恵は、装着者の持つすべてのスキルを一時的に「レベル10」へと強制引き上げするという、まさに神をも恐れぬ禁忌の力であった。
「……行くよ」
お面の奥から響く、地鳴りのようなヘンドリックの声。普段の飄々としたおっさんの声とは、まるで別人のような重さと威圧感があった。
「【土木建築Lv10】、【土魔法Lv10】……複合発動!」
普段はレベル1の魔法を細かく組み合わせていた彼が、すべてがレベル10に跳ね上がった状態で魔法を放てばどうなるか。
ズドォォォォォォォッ!!
ヘンドリックが足を踏み鳴らした瞬間、王都地下迷宮の構造そのものが意思を持った巨大な顎へと変貌した。
通路の床、壁、天井のすべてが鋭い岩の槍となって一斉に隆起し、押し寄せていた数千の深層の魔物たちを、文字通り「迷宮ごと」ミンチにしていく。
「な……なんだこれ……」
「ボスが……迷宮そのものを操ってるんだゾ……!」
ミラがへたり込み、サンネたちが絶句する。
さらに【火魔法Lv10】と【風魔法Lv10】が混ざり合い、深層へと続く階段の奥まで、太陽の表面のような極大の熱線が一直線に焼き尽くしていく。
反撃など一切許されない、ただの蹂躙。圧倒的すぎる殲滅劇であった。
「……お、おい。あれ本当にレベル1しか持ってない便利屋のおっさんか?」
「嘘だろ……。あんなもん、人間の出せる力じゃねえぞ……」
逃げ遅れていた他の冒険者たちが、壁に張り付いて震えながら呟く。エリーゼは杖を下ろしたまま、ヘンドリックの背中に目を奪われていた。
『……あの人。本当に、どこまで底があるのかしら』
サンネも盾を構えるのを忘れ、口を半開きにしていた。ロッテはブラムの腕を思わず掴んでいた。
「……ブラム。師匠って、本当にすごいですね」
「ああ。……俺、まだまだ全然追いつけてねえな」
ブラムが静かに呟く。普段は元気な彼の声が、珍しく少し遠かった。
しかし、その規格外の出力は、魔物だけでなくダンジョンそのものにも致命的なダメージを与え始めていた。
ゴゴゴゴゴ……! と、迷宮の天井から巨大な岩盤が崩落し始め、空間全体がメシミシと悲鳴を上げる。
『……あっ、やばい』
無双状態に酔いしれていたヘンドリックの脳裏に、職人としての冷や水がぶっかけられた。
このまま迷宮を完全崩壊させてしまえば、明日の朝、国王やギルドから「王都地下迷宮の復旧工事、よろしく頼むぞヘンドリック伯爵!」と、とんでもない土木作業を丸投げされるに決まっている。
しかも自分が壊したのだから言い訳もできない。
敵を倒して自分の仕事が増えるなど、便利屋として言語道断だ。
「……チッ。今日はこれぐらいで許してやるよ!」
ヘンドリックは慌ててお面を剥ぎ取ると、崩れかけた天井を急いで【修復Lv1】と【土魔法Lv1】で補強し、謎の上から目線で言い放った。
何に向けて「許してやる」と言ったのか意味不明だったが、それを見ていた冒険者たちとヒロインたちは、またしても完全に勘違いしていた。
「あ、あの人は……自分を廃人にするかもしれない呪具を使ってまで俺たちを救い、さらに迷宮が崩落して王都に被害が出ないよう、あえて手加減をしてくださったのか……!」
「なんて力だ……! そして、なんて深い慈愛と自制心なんだ……!」
感動した冒険者の一人が、その場に膝をついて頭を下げた。周囲の冒険者たちも次々とそれに倣う。
「旦那様! 大丈夫ですか! 魔力は、お体は無事ですか!」
エリーゼたちが涙目で駆け寄ってくる。ロッテもブラムも、ヘンドリックの無事を祈って縋り付いてきた。
「大丈夫だよ。ちょっと魔力を使っただけだから」
「ちょっとじゃないですわ! あんな呪具を……! もう二度と使わないでください!」
エリーゼが珍しく声を荒げた。その目には本物の恐怖と安堵が混ざり合っている。
「ボス、もしボスが廃人になったら……あたし、どうすればいいんだゾ……っ」
ミラが目を真っ赤にしてヘンドリックの腕にしがみつく。
「……旦那様。次に同じことをしようとしたら、私が実力で止めます」
サンネが静かに、しかし有無を言わせない目でヘンドリックを見据えた。
『お前らは俺が呪具を使ったことよりも、ダンジョンの修理工事をやらされるのが嫌で止めただけだということに気づいてくれ……』
心の中で全力でツッコみながらも、口には出せないヘンドリック。
三人の重い愛と心配に包まれながら、おっさんはただ苦笑いを浮かべるしかなかった。
『違う、俺はダンジョンの修理工事をやらされるのが嫌で止めただけだ! お前ら、なんでそんなキラキラした目で俺を見るんだ! やめろ、侯爵への推薦状を書こうとするなあああ!』
すべては手遅れであった。
不気味なお面を被って大暴れし、最後にダンジョンを「許す」という謎のポーズを決めた最強の便利屋は、この一件で「王都の地下を守護する真の英雄」として、いよいよ侯爵への階段を強制的に駆け上がらされることとなるのだった。
哀れ、ヘンドリック。
今日もスローライフは、遠ざかっていく。




