第74話:理不尽な八つ当たりと、すれ違う英雄像
「ふざけるなああああああっ!!」
迷宮に響き渡る、ヘンドリックの悲痛な絶叫。
彼は空間拡張の鞄から、柄の長い【ミスリル製の特注スコップ】を乱暴に引き抜いた。
「俺の! ささやかな! 休日を! 返せえええええっ!」
ヘンドリックは、目の前にいたデスクロウ・マンティスに向かって、およそ冒険者らしからぬメチャクチャなフォームで突進した。
「【身体強化Lv1】と【魔力消費軽減Lv1】を複合発動! さらに【解体Lv1】で急所を見極め、ミスリルの質量ごと叩き込む!」
身体能力が跳ね上がり、【解体Lv1】が瞬時にデスクロウ・マンティスの装甲の継ぎ目――外殻が最も薄く、一点集中で貫通できる急所を見極めた。振りかぶったスコップの平たい部分が、その一点へと吸い込まれるように叩き込まれる。
ガキィィィンッ! という、魔物を殴ったとは思えない硬質な金属音が響き渡る。
レベル1のスキルを三つ複合させただけの「スコップの素振り」だったが、7000の魔力とミスリルの質量、急所への正確な一撃、そして何より「作法指導に戻りたくない」というヘンドリックの怒りが乗った一撃は、深層の魔物の硬い外殻をあっさりと粉砕した。
「ギョェェェ……ッ!?」
マンティスは悲鳴を上げる間もなく、迷宮の壁にピンボールのように激突し、緑色の体液を撒き散らして絶命した。
「ぜぇ、ぜぇ……。ちくしょう、侯爵になんてなりたくない……俺はお茶の飲み方なんてどうでもいいんだよ……」
肩で息をしながら、スコップを杖代わりにしてうなだれるヘンドリック。完全にただの八つ当たりであった。
「……おっさん。今の、完全にキレてたよな」
ブラムが苦笑いしながら近づいてくる。
「キレてたよ。当たり前だろ」
「まあ……気持ちはわかるぜ。俺も師匠が毎日あんな顔で歩き方の練習させられてたら、キレるわ」
「でしょ。俺、冒険者なんだけどね。なんでお茶の飲み方で怒られてるんだろうね」
「……師匠、それ本当に謎だよな」
二人が揃ってため息をついた、その時だった。
「……見ろよ。あの人、深層の魔物をスコップの一撃で粉砕したぞ……!」
「それに、なんだあの悲痛な叫びは……。『俺の休日を返せ』って……まさか!」
逃げ遅れていた負傷した冒険者の一人が、ハッと息を呑んで震える声を出した。
「あの人は、せっかくの休日を返上してまで、俺たち下位の冒険者を助けに来てくれたんだ……! 俺たちが危険に晒されたことに、あんなに怒り狂ってくれているんだ!」
「なんて慈愛に満ちた人なんだ……! あんた、あんたこそ本物の英雄だ!」
冒険者たちがボロボロと感動の涙を流し始める。
『違う! 俺はただ自分の休日が潰されたことにキレただけだ!』
ヘンドリックは心の中で全力でツッコんだが、当然誰にも聞こえない。
「旦那様……! 王都の平和を脅かす魔物たちへの、激しい怒り。その高潔な精神、妻として誇りに思いますわ」
エリーゼが胸に手を当て、うっとりとした目でヘンドリックを見つめている。
「ボスの王都を想う心、本当に熱いんだゾ! あたしも一緒に怒りをぶつけるんだゾ!」
ミラが拳を握りしめ、目をキラキラさせながら前に出ようとする。
「さすがはリーダーだ! よし、俺たちもこのまま防衛線を張って、下から来る魔物を全部ここで食い止めるぞ!」
ブラムが大剣を構え直し、戦意を漲らせる。
「はい! リーダーの背中は、私たちが守ります!」
ロッテが静かに、しかし真っ直ぐな瞳でヘンドリックを見据えた。
『違う! 俺はただ自分の休日が潰されたことにキレただけだ! なんで勝手に感動して士気を上げてるんだよ!』
振り返れば、完全にやる気に満ち溢れたレベル最高峰のパーティーメンバーたち。もはや「地上に逃げてギルドに報告する」という選択肢は、彼らの辞書から完全に消え去っていた。
『しかも「妻として誇りに思う」って……エリーゼ、さっきから普通に妻ポジションで動いてるじゃないか』
ヘンドリックはここに来て、今朝ブラムに指摘されたことを改めて実感した。
エリーゼは「妻として誇りに思う」と言い、サンネは当然のようにヘンドリックの前衛を張り、ミラは群れのボスを守る獣人として本能のままに動いている。
三人とも、完全に「妻」として動いている。
しかも全員、それを疑問にすら思っていない。
『……俺が気づいていなかっただけで、三人はとっくにそのつもりで動いていたのか』
朝のブラムの言葉が、ここに来てリアルに突き刺さってくる。
哀れ、ヘンドリック。
迷宮の中でまで、既成事実が積み重なっていく。
「さあ、旦那様! あなたのその怒りの炎で、深層の魔物どもを焼き尽くしましょう! 目指すはスタンピードの完全鎮圧、そして侯爵への昇進ですわ!」
「やめてくれえええええっ!」
ヘンドリックの悲痛な叫びは、下層から押し寄せてくる無数の魔物たちの咆哮にかき消された。
ただサボりたかっただけのおっさんは、勝手に士気を最高潮に高めた仲間たちに背中を押され、絶対に侯爵になりたくないという涙ぐましい理由から、皮肉にも最速で侯爵へと登り詰めるための「スタンピード単独鎮圧」という狂気の防衛戦へと突入していくのであった。
哀れ、ヘンドリック。
三人分の夫として、今日も全力で戦わされる。




