第65話:返上したい爵位、そして絶望の結末
魔物が消え、霧が晴れた後の王都。
住民たちの歓喜の声が響き渡る中、ヘンドリックはその場に膝をつき、激しく打ちひしがれていた。
『……やってしまった。偶然とはいえ、俺があの魔族にぶつかって声をかけたせいで、【狂乱の魔石】を起動させてしまい、王都をこれほどの危険に晒してしまった』
自責の念に駆られるヘンドリック。
周囲では民衆が「英雄だ!」「ヘンドリック様万歳!」と歓声を上げている。だがその声が、今の彼には全く別の意味に聞こえていた。
『俺のせいで、多くの建物が壊れた。怪我人も出た。もし仲間たちが来るのが少しでも遅れていたら……いや、考えるな。今は現実を直視しろ』
ヘンドリックは立ち上がり、崩れた建物や割れた石畳を静かに見渡した。
復旧には時間がかかる。住む場所を失った人間もいるだろう。怪我人の手当てもまだ終わっていない。
しかし同時に、彼の脳内では職人顔負けの素早い打算が働いていた。
『待てよ。この大失態を理由にすれば、今度こそ爵位を返上して、面倒な貴族の義務からも、王女様との結婚からも逃げられるんじゃないか?』
己のふがいなさを理由に平民へ戻る。
完璧な計画を胸に、ヘンドリックは重い足取りで王城へと向かった。道中、民衆が口々に「ありがとうございます!」「さすがヘンドリック様!」と頭を下げてくる。
『……頼むから、俺を英雄扱いしないでくれ』
心の中で苦々しく呟きながら、ヘンドリックは謁見の間へと通された。そこには国王をはじめ、王女、そして先ほどの活躍を目の当たりにした重鎮たちが勢揃いしていた。
全員の視線が、ヘンドリックに集中する。
「ヘンドリック男爵よ。そなたの機転と魔法、実に見事であった」
国王の言葉に、居並ぶ重鎮たちが深く頷く。ヘンドリックは深々と頭を下げ、努めて神妙な顔を作った。
「……陛下。恐れながら、申し上げます」
『よし、ここだ。ここで決める』
「今回の騒動は、ひとえに私の不徳の致すところ。魔族を完全に捕らえられず、王都を壊滅の危機に追い込んでしまった責任は重大です。多くの建物が破壊され、住民にも被害が出ました。これはひとえに、私の力不足と判断の甘さが招いた結果です」
ヘンドリックはさらに深く頭を下げた。
「……私のようなふがいない男に、爵位を名乗る資格はありません。どうか、この爵位を返上させてください」
謁見の間に、一瞬の静寂が落ちた。
ヘンドリックは心の中で『よし、これで俺のスローライフが帰ってくる!』と確信していた。
だが。
「……何を、言っておるのじゃ?」
王女が信じられないものを見るような目で、一歩前に出た。その瞳には、怒りとも困惑ともつかない感情が渦巻いている。
「陛下! 彼はあまりの謙虚さゆえに、己の功績を過小評価しすぎておるのです!」
王女の声が謁見の間に響き渡る。
「そもそも、あの魔族に最初に気づいたのはヘンドリックじゃ! 気配を完全に偽装した魔族を、ただ肩が触れただけで瞬時に看破する眼。そして王都への被害を最小限に抑えながら、超巨大ゴーレムを仲間と共に撃破した判断力と指揮能力。自らの命を賭して国を救い、高度な複合魔法を用いて街への被害まで抑えながら、一切の見返りを求めず平民に戻ろうとする……」
王女は一息ついて、謁見の間全体を見渡した。
「このような高潔な英雄を手放すなど言語道断じゃ! むしろ陛下、今すぐ彼に爵位の格上げを!」
「うむ。余もそう思っておったところじゃ」
国王が深く頷いた。
「ヘンドリック男爵よ。そなたの謙虚さと忠誠心、余は深く感服した。爵位の返上など、断じて認めぬ。……むしろ、今回の功績に相応しい新たな称号を用意せねばなるまい」
「へっ……?」
ヘンドリックの顔から、さっと血の気が引いた。
重鎮たちが割れんばかりの拍手を送る。エリーゼたちヒロインも、扉の外から覗き込んで満面の笑みを浮かべている。
自由を求めて放った渾身の辞意は、皮肉にも高潔すぎる英雄の鑑として受け取られ、ヘンドリックをさらに深い地獄へと強制連行していくのであった。
『……なんで俺がこうなるんだ。完璧な計画だったはずなのに』
「そなたを子爵とする」
とどめの一言。
終わった……どうしてこうなった。
謁見の間に再び響き渡る拍手の中、最強の便利屋おっさんは、スローライフという名の夢が、またしても遠ざかっていくのを感じていた。




