第58話:閃きという名の逃避行
絶望のどん底で布団にくるまっていたヘンドリックだったが、ふと彼の脳裏に一筋の光明が差し込んだ。
『ちょっと待てよ。国王様は、スタンピードの黒幕を解決したら侯爵にする、と言ったんだ。……ということは、別に俺自身が解決しなくてもいいんじゃないか?』
おっさんの脳内に、久々に冴え渡る名案が浮かぶ。
自分が動くから手柄になるのだ。ギルドの精鋭たちや、王国の誇る騎士団に自分が集めた情報をすべて匿名で流して、彼らに解決してもらえばいい。
そうすれば街に平和は戻るし、俺の功績にはならない。手柄がなければ身分が侯爵に上がることもなく、王女と結婚する理由もなくなる。
『完璧だ。我ながら天才的な発想だな……っ!』
布団の中でガッツポーズをするおっさん。三十五歳の男が布団をかぶったまま一人でガッツポーズをしている光景は、客観的に見るとかなり残念だが、本人は至って真剣だった。
『よし! このまま上手く身分を返上するか、うやむやにして、俺は平民の便利屋に戻るんだ!』
そうと決まれば行動は早い。
ヒロインたちが「今日の旦那様の朝食は何にしようか」と話し合いながら厨房へ向かったわずかな隙を突き、ヘンドリックはベッドから音もなく抜け出した。手早く平民の外套を羽織り、顔の半分を隠す幅広の帽子を目深に被る。
『悪いなみんな。俺は俺のスローライフのために、全力を尽くさせてもらうよ』
魔力操作を極限まで精密に制御し、【気配遮断Lv1】を発動。さらに【闇魔法Lv1】を微量に混ぜ合わせ、自身の影を周囲の暗がりに同化させる。完璧な隠密状態だ。
ヘンドリックは屋根を飛ぶような目立つ真似はしない。彼は息を潜め、迎賓館の裏口から抜け出すと、まずは人通りの少ない薄暗い路地裏を音もなく進んだ。
その後、あえて朝の市場の準備で賑わい始めた表通りへと出る。過剰な隠密はかえって達人の目を引く。彼は【気配遮断Lv1】を弱め、ただの少し猫背な通りすがりの平民のおっさんを完璧に演じきり、人混みの中に完全に溶け込んだ。
屋台の間をすり抜け、荷馬車の陰に身を潜め、賑やかな人波に乗る。長年のダンジョン生活で培った生存本能が、ここにきて「侯爵位からの逃走」というまったく別の用途で全力稼働していた。
『……さて。ギルドに着いたら受付に匿名の情報書を渡す。書き方は帰りに屋台で羊皮紙を買って、誰にも似ない変体文字で書けばいい。筆跡鑑定されても問題ない』
緻密な計画を練りながら颯爽と歩くヘンドリック。その足取りは、久々に心が軽くなったような弾みがあった。
スローライフという名の自由を取り戻すために、最強の便利屋は今日も全力で「逃げる」のであった。




