第56話:一滴の霊薬と、職人の審美眼
王都の迎賓館。その一室で、エリーゼは鏡の前に立ち、絶望の淵に立たされていた。
彼女の手元には、王女から渡された古代の秘薬。これを飲めばワンカップ分、確実に成長するという触れ込みだったのだが。
「……変わっていないわ。昨日より、ほんの少し……肌のハリが増したような気はするけれど、見た目は一ミリも変わっていないわ」
エルフの誇り高い胸元は、今日も今日とて清々しいほどの平原であった。
ワンカップという言葉に期待し、ヘンドリックを驚かせようとした自分の浅はかさが恥ずかしくなる。同時に、王女に騙されたのではないかという疑念と、やはり自分では彼を満足させられないのではないかという不安が、彼女の心に重くのしかかった。
気がつくと、エリーゼはヘンドリックの部屋の扉を叩いていた。
「ヘンドリック、起きているかしら。……少し、真剣な相談があるの」
部屋に入ったエリーゼは、珍しく消え入りそうな声で、ヘンドリックに全てを打ち明けた。王女から薬を貰ったこと。それを飲んだこと。そして、結果が芳しくなかったこと。
「ねえ、ヘンドリック。一言、本当のことを言って。……私、やっぱり少しは、大きくなった方が、いいのかしら? その方が、あなたは喜ぶの?」
夜の静寂の中、エリーゼは今にも泣きそうな瞳で彼を見上げた。
それに対し、ヘンドリックは驚くほど真剣な顔で、彼女の目を見つめ返した。
「……エリーゼ。君に一つ、大切なことを伝えなければならない」
ヘンドリックは職人の顔になり、一歩前に出た。
「あの古代の魔道具を直した時、俺は確信したんだ。完璧な機能美というのは、大きさや派手さで決まるものじゃない。全てのパーツが最適なバランスで組み合わさっていることこそが、真の美しさなんだ」
ヘンドリックは魔力操作を起動させ、鑑定スキルの精度を極限まで引き上げたような鋭い視線で、エリーゼの全身、そして彼女の現在のプロポーションを静かに見つめた。
「君の今の姿は、俺から見れば奇跡的なバランスの結晶だ。そのスレンダーなライン、無駄な肉を一切削ぎ落としたしなやかな機能性。これ以上増えても、減っても、今の君が持つ唯一無二の魅力が崩れてしまう。ワンカップ上がる? そんなものは、完成された芸術品に余計な装飾を足そうとする暴挙でしかない」
ヘンドリックの言葉には、お世辞や甘い誘惑など微塵もなかった。
彼はただ、一人の便利屋(職人)として、自分が心から美しいと思うものへの、嘘偽りない賛辞を並べていた。
「俺は、今のままの君が一番好きだ。いや、今のままでなければならないんだ。君が自分の体に悩む必要なんて、どこにもない。……俺の目と腕を信じてくれ」
あまりにも真面目すぎる、そして熱すぎる告白。
エリーゼは自分の不安が、彼の「あまりにも偏った、しかし深い愛」によって一瞬で溶かされていくのを感じた。
「……馬鹿。あなたって人は、本当に、どうしようもないくらいの馬鹿なんだから」
エリーゼの瞳から、大粒の涙が溢れ出した。
悲しいからではない。彼のあまりにも不器用で真っ直ぐな想いが、嬉しくて、愛しくて、たまらなくなったのだ。
彼女は我慢できず、ヘンドリックの胸に勢いよく飛び込んだ。
華奢な体で、彼の逞しい体を精一杯抱きしめる。
「だったら、このままでいさせて。……あなたが、この形がいいと言ってくれるなら、私は一生、このままでいいわ」
「え、エリーゼ!? ちょっと待て、密着しすぎだ! 理性が、理性が消滅する……っ!」
「ダメ。……今日は絶対に、離してあげないわ」
エリーゼは彼の胸に顔を埋め、幸せな涙を流しながら、かつてないほど強く彼を抱きしめ続けた。
背後から忍び寄っていたサンネとミラの嫉妬に満ちた気配も、今の二人には届かない。
最強の便利屋の夜は、職人のこだわりが生んだ最高のデレ展開によって、またしても彼の理性を臨界点へと追い込んでいくのであった。
一方、その頃。
「お兄ちゃん、もう降参して、みんなで幸せになればいいのにね」
王城の侍女見習い(期間限定・今後も不定期で)として廊下を通ったヘンドリックの妹が、扉の向こうから聞こえる兄の悲鳴とも歓喜ともつかない声を聞いて、楽しそうにクスクスと笑っていた。




