第55話:王女の徹底調査と、悪魔の切り札
「私たちの旦那様を、権力で奪おうなんて横暴すぎますわ」
エリーゼたちが王女の前に立ちはだかり、火花を散らす。その後ろで、ヘンドリックは冷や汗を流しながら、ある致命的な事実に気が付いてしまっていた。
『……ちょっと待て。こいつら、いつの間に俺の嫁ポジションに完全定着してるんだ?』
領主の館での宣言以降、彼女たちは一切の照れを捨て、「妻」として振る舞うことに何の疑問も持たなくなっていた。自分は一言も結婚するとは言っていないのに、外堀どころか内堀まで完全に埋め立てられている。
だが、ヘンドリックがその事実に震えている間に、王女は不敵な笑みを浮かべて三人の前に進み出た。
「エルフのエリーゼ、騎士のサンネ、そして獣人のミラ。そなたらの実力も、過去も、そして抱えている悩みも、わらわは王家直属の密偵を使って全て調べ上げているぞ」
「……なんですって?」
王女の言葉に、三人の顔色が変わる。
「まずはサンネ。そなたの実家は没落しかけている騎士の家系であったな。もしヘンドリックが侯爵となり、わらわが妻に入れば、そなたの実家を王家の力で完全に再興してやろう。さらに、そなた自身に子爵位を与え、ヘンドリックとの間に男児が産まれた暁には、その子に子爵位を確約する」
「お、お家再興……!? そして、私と彼の子が、子爵……っ!?」
サンネの騎士としての誇りと、母性本能が同時にクリティカルヒットを受けた。彼女は一瞬で教え込まれた貴族の礼を取り、「謹んでお受けいたしますわ」とあっさり寝返った。
「サンネ!? ちょっと、あなた!」
「次はミラ。そなたには、故郷の獣人族の族長と同等の権限と地位を約束しよう。もちろん、産まれてくる子も生涯安泰の貴族だ。どうだ?」
「ぞ、族長と同じ……! ボスとの子供が、偉くなるんだゾ……! やる! 私、なんだってやるんだゾ!」
ミラも尻尾をちぎれんばかりに振って王女の横に移動した。残されたのは、腕を組んで冷ややかに王女を見つめるエリーゼただ一人。
「……ふん。私をその二人と同じだと思わないで。私はエルフよ。人間の権力や地位なんて、少しも魅力を感じないわ」
「ほう? ではこれならどうだ」
王女はニヤリと悪魔のような笑みを浮かべ、懐から小さな小瓶を取り出した。
「王家の宝物庫の奥底に眠る、古代の秘薬。これを一滴飲めば、どんな平野も豊満な山脈へと成長するという伝説の……バストアップの霊薬だ」
「なっ……!?」
エリーゼの顔から、スッと血の気が引いた。エルフ特有のスレンダーな体型。サンネやミラの豊満な胸部装甲を見るたびに、彼女がどれほど自室で枕を濡らし、人知れず悩んでいたか。
(※ヘンドリック本人は、そのスレンダーな絶壁こそがどストライクの性癖なのだが、エリーゼはひそかに知っているが、やはり豊かさには憧れがある)
「くっ……! 卑怯よ……!」
エリーゼは小瓶とヘンドリックを交互に見つめ、ギリィッと歯を食いしばって激しく葛藤した。
しかし王女はさらに畳み掛けた。
「さらに、我が国が管理している世界樹の若枝へのアクセス権を、白紙で提供しよう」
その瞬間、エリーゼの表情が、今度こそ完全に崩れた。
「……世界樹の、若枝を……?」
「そうだ。エルフにとって世界樹とはなにか、わらわは知っている。里を離れ、三百九十年を一人で生きてきたそなたにとって、世界樹の若枝がどれほどの意味を持つか……密偵から報告を受けた時、わらわも胸が痛くなったほどだ」
エリーゼの細い指先が、微かに震えた。長い沈黙が落ちる。
サンネとミラは、エリーゼのそんな表情を見たことがなかった。いつも完璧に感情を制御しているエルフの副リーダーが、今だけは、三百九十年分の何かを抱えているように見えた。
「……卑怯ですわね、王女殿下」
「国のためならば、卑怯も辞さん。それが王族の務めだ」
もう一度の長い沈黙の後、エリーゼはゆっくりと目を閉じ、そして開いた。
「……わかりましたわ。黒幕の討伐、必ずや成し遂げてみせます」
「よろしい!」
そして王女が踵を返しかけた、その時だった。
「……王女殿下。一つだけ」
エリーゼが静かに口を開いた。
「先ほどの小瓶ですが」
「……ほう?」
「念のため、預かっておきますわ。研究目的で」
エリーゼは完璧な貴婦人の微笑みを崩さないまま、そっと小瓶を受け取った。王女はニヤリと笑い、何も言わなかった。
三人のヒロイン、完全陥落。
王女は高らかに笑い、最後に真っ白な灰になりかけているヘンドリックの元へと歩み寄った。
「さて、旦那様。最後にそなたの懸念も払拭しておこう。王都の学校に通っているそなたの妹だが、わらわの専属の筆頭侍女として王城に迎え入れる手はずを整えておいた。生涯の安全と、最高の結婚相手をわらわが保証しよう」
「妹の……生涯の安全……」
「そうだ。これでそなたも、心置きなく侯爵になれるな!」
王女無双。国家権力と圧倒的な情報網を駆使し、パーティー全員の急所を的確に突き刺した完璧な制圧劇。ヘンドリックが抵抗する余地など、ミクロン単位で存在しなかった。
「……わかった。やればいいんだろ、やれば! スタンピードの黒幕だろうが何だろうが、ぶっ飛ばして侯爵になってやるよ!」
ヤケクソになったおっさんの魂の叫びが、謁見の間に響き渡る。最強の便利屋は、妹の幸せと、買収されたヒロインたちの欲望に背中を蹴り飛ばされながら、侯爵への階段(という名の地獄のロード)を強制的に駆け上がらされるのであった。




