第54話:階級の階段と、絶望の特命
国宝の古代魔道具の修復を終え、ヘンドリックはひっそりと安堵の息をついていた。
『よし……これで俺の役目は終わりだ。あとはお城の人たちに後処理を任せて、こっそり帰ればいい。目立たず、騒がず、穏やかに……』
だが、ヘンドリックのささやかな安堵は、先ほどの公爵の余計な一言によって一瞬で粉砕された。
「陛下。偉業ならば、たった今達成したではありませんか。数世紀にわたる難題であった、王都の結界を支える国宝の古代魔道具の完全修復。これだけでも、歴史に名を残す特大の功績ですぞ」
『……公爵、余計なことを言わないでくれ』
「おお! そうであったな! ではヘンドリック殿、そなたの功績を称え、今この瞬間からそなたの爵位を『男爵』へと引き上げよう!」
国王の軽いノリで、ヘンドリックの身分がまた一つ上がってしまった。
『ええええええ!? なんで!? 世襲騎士爵から男爵への昇爵って、普通は何世代もかけて血の滲むような努力と財力を注ぎ込んでやるもんじゃないの!? 数秒で直しただけで男爵!?』
周囲の貴族たちが「おおっ」と感嘆の声を上げる。ヘンドリックだけが「いや待って待って待って」と心の中で全力でブレーキを踏んでいた。
そもそも今日は夜会に出席するだけのつもりだった。まさか国宝の修復を頼まれるとは思っていなかったし、それがここまで大事になるとも思っていなかった。
『俺はただ、目の前に壊れた魔道具があったから直しただけで……』
「しかし、男爵ではまだ姫の婿には足りぬな。……では、こういうのはどうだ」
国王は玉座から身を乗り出し、ヘンドリックに向かってニヤリと笑った。その笑顔は国王らしい威厳に満ちていたが、ヘンドリックの目には「絶対に碌なことを言わない顔」にしか見えなかった。
「ヘンドリック男爵。そなたに王家直属の特命を与える。今回のフェルウェ大迷宮のスタンピード、その根本的な原因となった『不吉な魔石』をばら撒いている黒幕を突き止め、この国の脅威を完全に取り除け」
謁見の間の空気が、一気に張り詰める。
居並ぶ貴族たちの表情が引き締まった。スタンピードの黒幕。それはこの国が長年頭を抱えてきた最大の懸案事項だった。優秀な冒険者も、王国騎士団の精鋭も、その糸口すら掴めずにいた問題だ。
「それを見事成し遂げた暁には、そなたを救国の英雄として『侯爵』へと叙爵し、喜んで姫を嫁がせようではないか!」
それを聞いたヘンドリックは、絨毯の上に両膝をついて崩れ落ちた。
『……待て。黒幕を倒して国を救えば、侯爵になって王女と結婚させられる。逆に倒さなければ、またスタンピードが起きて俺の街や工房が魔物に滅ぼされる。どっちに転んでも俺の人生がデッドエンドじゃないか! なんで俺だけこんな無理ゲーを強いられてるんだよ!』
『しかも「喜んで姫を嫁がせよう」って、国王陛下は全然嬉しくなさそうな顔してるし! むしろ渡したくなさそうな目してるし! この父君は娘を手放したくないだけじゃないのか!?』
頭を抱えて床に手をついているヘンドリックの後ろで、重い沈黙が続いた。
誰か助けてくれ。
ヘンドリックが涙目で振り返ると、そこには極上のドレスに身を包んだエリーゼ、サンネ、ミラの三人が、凄まじい殺気を放って立っていた。
「……お断りしますわ、国王陛下」
「ええ。私たちの旦那様を、権力で奪おうなんて横暴すぎますわ」
「ボスの隣は、私たちだけのものなんだゾ!」
トップランカー三人が、王女の前に立ちはだかる。
ヘンドリックは歓喜した。
『おおお、みんな……! 頼む、俺をこの狂った王族たちの無茶振りから守ってくれ! 俺はただの便利屋に戻りたいんだ!』
だが、王女は三人の凄まじいプレッシャーを浴びても全く怯むことなく、むしろ愉快そうに微笑みを浮かべて彼女たちに歩み寄った。
そして、ヘンドリックには聞こえないような小声で、悪魔の取引を持ちかけるのであった。
三人の顔色が、順番に変わっていく。
エリーゼが目を細め、サンネが眉をひそめ、ミラが耳をピクリと動かす。
それぞれの表情に、葛藤の色が浮かんだ。
『……なんで俺の味方がみんな、王女殿下の顔を見て黙り込んでるんだ』
膝をついたまま振り返るヘンドリックには、何も聞こえない。何も見えない。
ただ、嫌な予感だけが、じわじわと全身に広がっていった。
哀れ、ヘンドリック。
スローライフへの道は、今この瞬間にも、着実に塞がれつつあった。




