第39話:愚者の暴走と、迫り来る魔の波
水の都ヘラフテンの路地裏。 ギルドを追放同然で追い出された元【神創の覇星】のリーダーは、泥水にまみれながら薄暗い壁に背をもたれて座り込んでいた。
『くそっ……! なんで俺がこんな目に遭わなきゃならないんだ! あの万年レベル1のゴミのせいで……俺の輝かしい未来が……!』
トップランカーとしての名声も、金も、取り巻きの女たちすらも、今の彼には何も残されていない。
血走った目で虚空を睨みつける男の前に、音もなくひとつの『影』が降り立った。
「……随分と、惨めな姿ですね。かつてのトップランカー殿」
「ひっ!? な、なんだお前は!」
ローブを深く被ったその人影から、ゾッとするような邪悪な気配が漂っている。人ならざる者――【魔族】である。
「私は貴方の味方ですよ。……貴方は不当な評価を受けている。あの卑怯なヘンドリックという男に、全てを奪われただけだ。そうでしょう?」
「そ、そうだ! 俺は悪くない! 俺は【レベル10】の力を持つ、選ばれた人間なんだ!」
甘言に乗せられ、身を乗り出す愚かな男。魔族の口元が三日月のように歪んだ。 魔族のローブの中から、不吉な紫色の光を放つ魔石が差し出される。
「ならば、これをお使いなさい。これは迷宮の魔物を少しだけ呼び寄せる【狂乱の魔石】。これを街の近くで砕き、現れた魔物を貴方の【レベル10】の魔法で華麗に退治するのです」
「な、なるほど……! 街の危機を俺が救えば、ギルドも住民も俺を英雄として称える。あのゴミから全てを奪い返せるってわけか!」
「ええ、その通りです。貴方こそが、この街の真の英雄になるのです」
男は狂気じみた笑みを浮かべ、魔石をひったくるように奪い取った。 彼が去った後、魔族はクックッと喉の奥で嗤う。
『愚かな人間だ。あれは『少し』どころか、迷宮の奥底に眠る全魔物を狂暴化させて引きずり出す、最悪の呪物だというのに。……さあ、見せてもらおうか。人間の街が恐怖と絶望に呑まれる様を』
――その数時間後。 ヘラフテンの街を囲む外壁のすぐ外側で、元リーダーは高らかに笑いながら【狂乱の魔石】を地面に叩きつけて砕いた。
「さあ来い、雑魚ども! この俺が全部焼き払って英雄に……」
だが、彼の言葉は最後まで続かなかった。 ズズズズズ……ッ! と、地鳴りのような音が響き渡る。
フェルウェ大迷宮の方向から現れたのは、数匹の魔物ではない。空を黒く染め上げるほどの飛行魔獣の群れと、大地を埋め尽くすほどのオークやゴブリン、果ては深層にしか生息しないはずの凶悪な巨大魔獣の軍勢だった。
「あ……え……?」
それは人為的に引き起こされた、最悪の厄災。 数万を超える魔物の大群――【スタンピード】である。
「ひ、ひぃぃぃぃっ!!」
自分一人で対処できる規模などではない。英雄気取りの愚者は、一番最初に魔物の波に飲み込まれ、悲鳴すら残せずにその姿を消した。
そして、街中に絶望の【警鐘】が鳴り響く。
カンッ! カンッ! カンッ! カンッ!
「な、なんだ!? 敵襲か!?」 「スタンピードだ! 迷宮から魔物の大群が街に向かってきているぞ!!」 「門を閉じろ! 早く冒険者を呼べ!」
――一方、ヘンドリックの石造りの工房。
三人のヒロインたちの猛烈なアプローチと、妹の無邪気な応援によって、かつてないほど甘く危険な修羅場が繰り広げられていたその時。
鳴り響く警鐘の音に、ヘンドリックはピタリと動きを止めた。 真っ赤になっていた顔から一瞬にして『照れ』が消え失せ、プロの冒険者としての鋭い眼光へと切り替わる。
「……みんな、ふざけている時間は終わりのようだ。武器を取れ」
ヘンドリックの低く冷たい声に、エリーゼたちも即座に乙女の顔から『最強のトップランカー』の顔へと戻る。
「ボス。数は?」 「……万は軽く超えている。完全に街を取り囲まれているね」
窓の外を見たブラムとロッテが、信じられないというように息を呑んだ。 防壁の向こう側は、すでに黒い魔物の津波によって完全に覆い尽くされようとしていた。
「俺はこれから、街の防壁全体に【結界Lv1】を展開して補強する。みんなは防衛隊と合流して、壁を越えようとする魔物を叩き落としてくれ。ブラムとロッテ、妹を頼む」
「はいっ!」
誰もが絶望するような圧倒的な魔物の波。 だが、【黎明の止まり木】の面々の瞳に恐れは一切ない。
最強の便利屋と仲間たちは、愛する街を守るため、迫り来る圧倒的な死の波へとその身を投じていった。




