第337話:二つに分かれた守護者
地下牢の空気は、地上よりも一段と冷え込んでいた。
ヘンドリックは、捕らえられているダークエルフの男の牢の前に立っていた。
だが、今回は尋問ではない。
背後には、エリーゼ、大長老エルディス、セリア、そして護衛のアレンが控えている。
互いの歴史を、突き合わせるための場だった。
「……何の真似だ」
牢の中のダークエルフが、警戒心を露わにして睨みつけてくる。
エルディスが、静かに一歩前へ出た。
その手には、千二百年前の長老が遺した告白文の写しが握られている。
「これは、我らエルフが長きにわたり隠し続けてきた、大罪の記録じゃ」
老いた長老の声が、石壁に反響した。
「……お主たちの祖先は、裏切り者ではなかった。世界樹と我らを守るため、自ら闇を引き受けた英雄だった」
「……っ」
「里の民には、わしの口から公表する。千二百年、遅すぎた話じゃがな」
ダークエルフの男は、驚きに目を見開いた後、ギリッと奥歯を噛みしめた。
「……知っていたさ」
男は、吐き捨てるように言う。
「我らには、そう伝わっていた。我らの祖は、守ったのだ。世界樹を、同胞を。……だが、異形となった我らは恐れられ、光の下から追放された!」
千二百年。
彼らの中には、厄災の真の正体すら伝わっていなかった。
ただ、「理不尽に裏切られた」という深い恨みだけが、血とともに受け継がれてきたのだ。
◇ ◇ ◇
「……わたくしたちが、愚かでした」
エリーゼが、鉄格子の前へ進み出た。
そして、暗い牢の中の男に向かって、深く頭を下げる。
長い銀髪が、冷たい石の床に触れた。
「今を生きるわたくしが、千二百年前の罪を償えるとは思いません。許していただけるとも思っておりません」
誇り高きハイエルフの王族が、囚人に向かって頭を垂れている。
「ただ、わたくしたちが誤っていたこと、あなた方を裏切り者と呼んだこと……それだけは、もう隠したくはございません」
男は沈黙した。
憎むべきハイエルフの王族が、大長老とともに自分へ頭を下げている。その事実が、彼の中で燃え盛っていた復讐心を、わずかに狂わせた。
「……今更だ」
男が、絞り出すように言う。
「今更、そんなことを言われても」
「ああ、今更だ」
ヘンドリックが、静かに口を開いた。
「過去は消えない。お前たちが襲撃で犯した罪も、これで帳消しになるわけじゃない」
男が睨みつけてくる。だが、ヘンドリックは怯まなかった。
「……だが、事実を同じ場所に並べることはできる。それだけでも、千二百年ぶりだろう」
◇ ◇ ◇
ヘンドリックは、世界樹の記憶で見た光景を思い返していた。
黒く染まった根ごと切り離される瞬間。自ら闇に沈んでいったエルフたちの、あの顔を。
「お前たちの祖先が、光の世界樹から切り離された時の記憶を見た」
「……なんだと」
「あいつらは、恨み言なんか叫んじゃいなかった。誰も絶望していなかった」
男が、弾かれたように顔を上げる。
「声は聞こえなかった。だが、あの顔は覚えてる」
ヘンドリックは、静かに続けた。
「あいつらは、お前たちと同じ顔をしてた。……ただ必死に、守り抜こうとしてただけだ」
鉄格子を握る男の手が、わなわなと震えた。
それは和解ではない。
これまでの血塗られた歴史が、一言で覆るはずもない。
それでも、ようやく両者は、同じ事実を見て話し始めたのだ。
◇ ◇ ◇
長い沈黙の後。
男は、まるで自分の中の何かに敗北したかのように、重い口を開いた。
「……我らの一部が、光の世界樹へ接触しようとしたのには、理由がある」
「理由?」
「近年、闇の世界樹の様子がおかしい」
男は、ぽつりぽつりと語り始めた。
「……脈動が、強くなっているのだ」
「脈動、だと?」
ヘンドリックの眉が、ぴくりと動いた。
「ああ。根元から響く音が、以前より短い間隔で鳴るようになった。調査へ向かった我々の部隊も、誰一人として戻っていない」
闇の世界樹は、彼らにとって呪いの原因であると同時に、切り離された祖先たちと苦難の歴史を象徴する、唯一の故郷でもある。
その故郷の異変への焦り。それが、今回の光の世界樹への襲撃の一因だったのだ。
ヘンドリックの脳裏に、つい先ほど聞いたばかりの音が蘇る。
ドクン。
世界樹の記憶の最深部。塗りつぶされた闇の向こう側から聞こえた、心臓の鼓動のような、低い音。
あれと、闇の世界樹の脈動が一致しているとしたら。
「……時期は。いつから脈動が強くなった」
「……数年前だ。それから、年々、間隔が短くなっている」
ヘンドリックとエリーゼの視線が交差した。
首魁が本格的に暗躍を始め、各地で人のレベルが歪められ、魔物が活性化し始めた時期と、ぴたりと符合する。
あの老学者は、理を書き換えようとしていた。世界樹と闇の世界樹という、二本の柱に触れながら。
もし、その干渉が――
「おい」
ヘンドリックが鋭く問う。
「その脈動、心臓の音みたいに聞こえるか」
男が、ゆっくりと顔を上げた。その表情から、血の気が引いていく。
「……なぜ、それを」
答えは返さなかった。
捕虜の男が、うわ言のように低い声で告げる。
「闇の世界樹が……目覚めようとしている」
地下牢の冷気が、さらに一段、温度を下げたような気がした。
『……いや、違う』
ヘンドリックは、心の中で静かに訂正した。
『目覚めようとしてるのは、樹じゃない』
『その中で眠ってる、何かだ』




