第334話:守るための、もう一つの道
石室から出た後も、重い沈黙が一行を包んでいた。
千二百年前のエルフたちが直面した、絶望的な二択。
防衛を維持するだけの力か、自らを犠牲にして得た闇の力か。当時の長老が残した告白文は、彼らにそれ以外の道がなかったことを物語っていた。
だが、ヘンドリックにはどうしても確かめたいことがあった。
「……エルディス殿。少し、里の訓練場を貸してもらえないか」
唐突な申し出に、沈痛な面持ちだった長老は怪訝そうに眉を寄せたが、無言で頷いた。
◇ ◇ ◇
エルフの里の訓練場には、有事に備えて多数の木偶が並べられていた。
ヘンドリックは、護衛としてついてきた若いエルフたちを数人、呼び集めた。
「お前たちが持っている技能の中で、実戦では役に立たないと思っている低レベル技能を教えてくれ」
彼らは顔を見合わせながらも、正直に答えた。
「土魔法Lv1を持っていますが……地面に小さな窪みを作るくらいしかできません」
「私は水魔法Lv1を。ですが、地面をぬかるませる程度です」
「植物操作Lv1で、足元の蔓を少し伸ばせます」
「風魔法Lv1で、砂や落ち葉を巻き上げるくらいなら」
「結界術Lv1を持っていますが、すぐに割れるような小さな壁しか作れません」
どれも、単独では木偶一体すら倒せない、いわゆるハズレ技能だ。高レベルの魔法を重んじるエルフの戦士からすれば、取るに足らない力だろう。
「十分だ」
ヘンドリックは、少し猫背気味の姿勢のまま、木偶の群れを指差した。
「今から、あそこに並んでいる数十体の木偶を、厄災の眷属の群れだと想定する」
若いエルフたちがざわめく。数十体を、この面子で。しかも大魔法なしで。
「大魔法は使うな。俺が合図を出した場所に、合図を出した順番通りに、そのLv1技能を使ってくれ。それだけでいい」
半信半疑のまま、それでも大長老の手前、彼らは素直に配置についた。
◇ ◇ ◇
「行くぞ。……まず、結界術」
指定したポイントに、小さな結界の壁が斜めに発生する。
強度は弱い。押せば割れる。だが、木偶たちの進路を物理的に限定し、一箇所へ誘導するには十分だった。
「次、土魔法と水魔法」
誘導された先の地面に窪みができ、そこへ水が注がれ、ぬかるみへと変わる。
「植物操作」
ぬかるみに足を取られ、密集した木偶たちの足元に、蔓が絡みついた。
数十体の木偶が、次々とバランスを崩し、折り重なるように倒れていく。
「風魔法」
そこへ巻き上げられた砂ぼこりが、木偶たちの視界を完全に奪うように覆い被さった。
結果として、一箇所に固められ、転倒し、身動きが取れなくなった木偶の山ができあがった。
「……嘘、だろ」
若いエルフの一人が、唖然として呟く。
「これで終わりだ。……全員、普通の弓で射抜け」
その指示に従い、エルフたちが弓を引く。
魔力すらこもっていない通常の矢が、身動きの取れない木偶たちへ次々と突き刺さり、あっという間に「眷属の群れ」は沈黙した。
ヘンドリック自身の膨大な魔力量は、一切使っていない。
単独では無力な低レベル技能を、複数人で連携させ、手数の多さで物量を制圧した。それだけである。
◇ ◇ ◇
訓練場は、水を打ったような静けさに包まれていた。
信じられないものを見たという顔のエルフたちの中で、エリーゼが静かに歩み出てくる。
「……旦那様。もし、これが当時にあれば」
彼女の声は、微かに震えていた。
「あの方々は……闇に堕ちずに、済んだのでしょうか」
その問いに、ヘンドリックは首を横に振った。
「分からん」
はっきりと、そう答える。
「あの絶望的な状況で、こんな悠長な戦術を試す時間があったのか。そもそも、本物の厄災の眷属相手に、これだけで足りたのかも分からん」
彼は、千二百年前の彼らを裁くつもりはなかった。
安全な場所から、答えを知った後で、あの時こうすればよかったと言うのは容易い。だが、それは戦場に立った者への侮辱でしかない。
「だから、昔の連中が間違っていたとは言えない。あいつらは、あの時の最善を尽くして、お前たちを守ったんだ」
その言葉に、エリーゼはふっと息を吐き、静かに目を閉じた。
少しだけ、彼女の背負っていたものが軽くなったように見えた。
「だがな」
ヘンドリックは、長老エルディスへ向き直る。
「俺たちまで、その二択を引き継ぐ必要はない」
訓練場の若いエルフたちが、はっと顔を上げた。
「次に同じような危機が来た時、『Lv10か、闇か』の二択で考える必要はないんだ。……道は、探せば増える」
過去の正解に縛られるな。
先人たちの犠牲を無駄にしないためにも、新しい可能性を作らなければならない。
エルディスは、深く、深く頭を下げた。
過去を否定せず、未来のための新しい道を示した男に対して、長老としての最大限の敬意を払ったのだ。
「……礼を言う、ヘンドリック殿。わしは今日、千二百年ぶりに、少しだけ息がしやすくなった気がする」
◇ ◇ ◇
第三の道が存在することは、これで証明できた。
低レベル技能の連携は、決して非常識な妄想ではない。
だが、根本的な謎は残されたままだ。
屋敷へ戻り、報告を終えた夜。
『……そもそも、大厄災ってのは、どれほどの存在だったんだ』
ヘンドリックは考え込んでいた。
なぜ、本体へ攻撃を届かせるために、そこまでLv10の大火力が必要だったのか。告白文の劣化が激しく、肝心の厄災の正体については何も分からなかった。
その隣で、報告を聞いていたマジカがふと口を開いた。
「……アタシら魔族の側にも、何か残ってるかもしれないぞ」
その言葉に、全員の視線が集まる。
「千二百年前の人間やエルフが、これだけ巻き込まれてたんだ。魔族だって無関係じゃなかったはずだろ?」
マジカは腕を組み、真剣な顔で続けた。
「ミラの親父……かつての魔王なら、何か知ってるかもしれねぇ」
「お父さんに聞くんだゾ?」
ミラが尻尾をぴんと立てる。
「そうだな。……次は、魔族領だ」
ヘンドリックは静かに頷いた。




