第332話:長老の記憶
エルフの里への移動は、いつも通り地中を進む巨大なワーム頼みだった。
「キュウッ」
愛嬌のある鳴き声を上げるこの生き物は、すさまじいにおいの暴力さえ除けば、非常に優秀な移動手段である。転移魔法を持たないヘンドリックにとって、長距離の移動には欠かせない相棒と言えた。
今回の同行者は、ヘンドリックとエリーゼ。それに里の出身であるセリアと、彼女を護衛するアレン。さらに万が一に備え、サンネも加わっている。
緑深きエルフの里へ到着した一行は、真っ直ぐに大長老エルディスの住まう家へと向かった。
◇ ◇ ◇
セリアの祖父でもあるエルディスは、突然の訪問にも穏やかな笑みを浮かべて一行を迎え入れた。
だが。
ヘンドリックが『千二百年前の大いなる災い』について口にした瞬間、その顔から表情がすっと消え失せた。
「……その言葉を、どこで」
深く刻まれた皺の奥で、老いた目が鋭く光る。普段の温厚な長老の姿は、そこにはなかった。
「王家の古い記録だ。だが、肝心な部分が抜け落ちていた。エルフの口伝になら、何か残っているんじゃないかと思ってな」
ヘンドリックがそう告げると、エルディスは長く、重い息を吐き出した。
「……わしとて、千二百年前の災いを直接知っておるわけではない。エルフは長く生きるが、それでも世代はとうに交代しておる」
エルディスはゆっくりと目を伏せ、ぽつりぽつりと語り始めた。
「じゃが、エルフには文字を持たぬ時代から、長老のみに受け継がれてきた二つの古い教えがある」
一つは、『世界樹を守れ』。
そしてもう一つは、『力を高く積むな。長く続く力を選べ』。
「なぜ世界樹を守るのか。なぜ力を分散させるのか。……その理由は、とうの昔に失われておる。ただ、我らはその教えを絶対のものとして、Lv5前後の技能を複数持つ構成を選んできたのじゃ」
理由なき使命。
だが、その教えの意図なら、今のヘンドリックには想像がついた。
「……世界樹を守り続けるための、長期防衛の最適解、か」
その言葉に、エルディスが目を見開く。
「おそらく、当時のエルフに求められたのは、敵を一撃で倒すような大火力じゃない。何日も、あるいは何ヶ月も、結界を張り続け、負傷者を回復し続けることだった」
Lv10の魔法は絶大な威力を持つ。だが、魔力消費が激しすぎる。
息継ぎなしで走り続けるようなもので、長期の防衛戦にはまったく向いていない。
だから当時のエルフは、燃費と威力のバランスが取れたLv5という「長く続く力」を選んだのだ。
「誰かが決めた絶対の正解なんかじゃなかった。ただ、エルフに与えられた役割を果たすために、当時はそれが必要だっただけだ」
◇ ◇ ◇
その事実を前に、エリーゼが微かに肩を震わせた。
彼女は長い間、エルフの伝統として、その力の在り方を信じて生きてきた。
だが、自分が信じてきたものは、絶対の真理などではなく、遠い昔の戦術の名残に過ぎなかった。
「……わたくしは」
エリーゼが、震える両手で顔を覆う。
「わたくしは、自分で選んだつもりで……ただ、理由も知らぬまま、先人の足跡をなぞって歩いていただけでございましたのね」
誇り高きハイエルフの王族である彼女にとって、それは自身の根幹を揺るがすほどの衝撃だったに違いない。
自分の意志で選び取ったはずの生き方が、実は与えられた型でしかなかった。
「それは違うぞ、エリーゼ」
ヘンドリックは、彼女の細い肩に手を置いた。
「道を残したのは、先人かもしれん。だが」
彼は静かに続けた。
「その技能を鍛え上げたのはお前だ。枯れた世界樹を探して、途方もない旅を続けたのもお前だ。誰にも頼らず、裏切られながら、それでも諦めなかった。……ここまで辿り着いたのは、間違いなくお前自身の力と意志だろう」
過去の正解に乗っかっただけではない。
彼女は自分の足で歩き、結果を出した。その事実は、誰にも否定させない。
「型を渡されたことと、その型で何を成したかは、別の話だ」
「……旦那様」
エリーゼは顔を上げ、潤んだ瞳でヘンドリックを見た。
静かに目元を拭うと、彼女は深く頭を下げる。
「……失礼しました。お見苦しいところを」
完全に立ち直ったわけではないだろう。だが、その顔にはいつもの気高い光が、少しだけ戻っていた。
サンネが安心したように、エリーゼの背中をそっと撫でる。
セリアもまた、祖父の口から語られる歴史の重みに言葉を失い、隣に立つアレンの袖をぎゅっと握りしめていた。アレンは何も言わず、ただ静かに頷いて、彼女を守るように立っている。
◇ ◇ ◇
その様子を見つめていたエルディスが、重い腰を上げた。
「……ヘンドリック殿。お主の言葉を聞いて、わしは決めたぞ」
長老の顔には、迷いを振り切ったような、悲壮な覚悟が浮かんでいた。
「わしらエルフが、千二百年以上もの間、罪悪感とともに隠し続けてきたものがある。お主らには、それを見せねばなるまい」
「……罪悪感?」
セリアが、戸惑ったように祖父を見る。
エルディスは孫娘の問いには答えず、家の一番奥へと歩いていった。
そこにあったのは、長老だけが開くことを許されてきた、古い石室の扉である。
「そこに封じられているのは、告白文じゃ」
重い石の扉が、低い音を立てて開く。
埃っぽい空気とともに、冷たい過去の気配が流れ出してきた。
「我らが隠してきた……ダークエルフの、真実じゃ」
その言葉に、全員の息が止まった。




