第329話:帰還と、たっぷりのお説教
ワームでの長旅を終え、公爵邸の門をくぐったヘンドリックたちを待っていたのは、歓迎の宴ではなかった。
玄関ホールには、冷気を放つようなメイド長ベルナデッタを筆頭に、有能な家令アルフォンス、王家から出向中の妹ベル、そして新生・魔術師ギルド長のシリルが、見事な一列横隊で待ち構えていた。
「お帰りなさいませ。お話がございます」
無表情のベルナデッタが放ったその一言で、ヘンドリックは問答無用でリビングの中央へと連行された。
誰に強制されたわけでもないが、小柄で猫背気味の身体は、自然と正座の姿勢に収まっていた。長旅の汚れを落とす間もなく、ただならぬ空気が肌を刺す。
「置き手紙一枚でいなくなるなんて、ありえないからね!」
口火を切ったのはベルだった。
普段はフレンドリーな妹も、今日ばかりは腰に手を当てて本気で怒っている。兄が一人で抱え込む性質であることを誰よりも知っているからこそ、その瞳には心配の色が濃く滲んでいた。
「しかも『少し出てくる』って何!? 書き置きの内容が近所の買い物と同じなんだけど!」
「……いや、その」
「実際は死地に単身乗り込んでたでしょ!」
それに続くように、アルフォンスが眼鏡を押し上げながら、分厚い書類の束をドンとテーブルに置いた。
「領主不在の間に滞った決裁書類の山です。閣下が何も言わずに姿を消したことで、領地運営にどれほどの実害が出たか。順を追って三時間ほどかけてご説明いたしましょう」
「……いや、悪かった。俺が全面的に悪い」
「捜索にかかった人員と予算のことも、忘れないでいただきたいですね!」
シリルが眉間を押さえながら声を張り上げた。普段は冷徹な彼が、珍しく感情を剥き出しにしている。
「ギルドの総力を挙げて行方を追ったんですよ!? これにどれだけの予算が!!」
いつもの叫びだった。だが、彼はそこで一度言葉を切り、俯いた。
「……いえ。予算だけではありません。私たちは、本気で心配したのです」
後半、少しだけ声を詰まらせたシリルに、ヘンドリックはもう反論する気を完全に失っていた。
首魁との戦いを終えて疲労困憊ではあったが、黙っていなくなった自分が百パーセント悪い。ひたすら頭を下げるしかなかった。
「……本当に、悪かった」
◇ ◇ ◇
みっちりと絞られた後、ヘンドリックは屋敷の庭へと向かった。
見上げるほど巨大な世界樹の幹に顔を向けるようにして、小さな背中がそこにあった。世界樹の化身であるドライアドだ。
足音で気づいているはずなのに、振り返ろうとはしない。
「……パパ、嘘つき」
ポツリとこぼれた声には、深い悲しみが滲んでいた。
出発の前夜、彼女は確かに尋ねたのだ。どこにも行かない、と。そしてヘンドリックは、行かないと答えた。
あれは、嘘だった。
「怖い目に遭わせたくなかったんだ。……だが、黙っていなくなったのは俺が悪い。すまなかった」
ヘンドリックは下手な言い訳をせず、ただ素直に非を認めた。
しばらくの沈黙の後、ドライアドはゆっくりと振り返り、ぽろぽろと大粒の涙をこぼしながら、その胸に飛び込んできた。
「もう、しないで。私、一人になるの嫌なの」
小さな体を、強く抱きしめ返す。
公爵という立場であれ、危険から完全に手を引くとは言えない。だが、次からは違うやり方ができるはずだ。
「ああ。もう二度と、何も言わずにいなくなったりはしない。約束する」
「本当?」
「本当だ」
その言葉に、ドライアドは涙で顔を濡らしながら、何度も何度も強く頷いた。
◇ ◇ ◇
夜。
自室に戻り、ようやく一息ついたところへ、エリーゼが静かに隣へ座ってきた。
怒鳴られるより、この静けさの方が堪える。彼女はいつも冷静でヘンドリックの選択を尊重してくれるが、今回は相当な負担をかけたに違いない。
「皆様から、充分に叱られましたでしょう?」
エリーゼは微笑もうとした。だが、その声は微かに震えていた。
長く美しい銀糸の髪が揺れ、透き通るような肌の目元に、キラリと光るものが浮かぶ。
「……失礼しました」
彼女はそっと目元を押さえ、感情を隠すように一度伏し目がちになった後、ヘンドリックの手を真っ直ぐに取った。
「次にお一人で背負おうとなさった時は、わたくしが追いかけます。何度でも、どこへでも」
その手に、わずかに力がこもる。
「……ですから、せめて追いかけるための行き先くらいは、お教えくださいませ」
真剣な瞳が、真っ直ぐに見据えていた。
長い時を生きる彼女が、ただの人間であるこの身に、これほどの情を向けてくれている。これ以上、一人で勝手に背負うのは傲慢というものだろう。
「……分かった。次からは必ず言う」
軽く受け流すことは、許されなかった。ヘンドリックは彼女の瞳を見つめ返し、しっかりと約束を交わした。
「よろしい」
エリーゼが、ようやく本当に微笑んだ。
「では、明日からは書類の山ですわね。アルフォンスが三時間の説明を楽しみにしておられましたわ」
「……それは、勘弁してほしいんだが」
◇ ◇ ◇
ようやく戻った平穏な夜の静寂の中。
ヘンドリックはベッドに横たわりながら、天井を見つめていた。
『なぜ、君のような存在が生まれたのか』
首魁が最後に残した問いが、頭の片隅から離れない。
自分が特別に選ばれた存在ではないことなど、自分自身が一番よく知っている。
発想さえあれば、誰にでもできたことなのだ。レベル1を大量に取るという、少し考えれば分かるはずの選択肢。ただ、誰もそれをやらなかっただけで。
『あいつが本当に疑うべきだったのは、俺じゃない』
寝返りを打ち、闇を見つめる。
『この世界の常識の方だったんじゃないか』
レベル10を目指すのが当たり前という常識。一つの力を極めることこそが至高とされる世界。
それは一体、いつから、どうやって生まれたのか。
本当に、ただの自然発生的な価値観なのだろうか。
ヘンドリックは薄暗い闇の中で、まだ姿の見えない何かの気配を探るように、静かに目を細めた。




