第325話:理を研究する者
荒涼とした山中。
朽ちた廃鉱の隠し通路を抜け、ヘンドリックが単身で辿り着いたのは、地下深くに築かれた広大な研究施設だった。
無数の導力管が壁面を這い、淡い光を放っている。
通路の両脇には、巨大なシリンダーが並んでいた。その中に浮かぶのは、人のレベルを調整した数々の実験の痕跡。
記録板に刻まれた文字を、ヘンドリックは無言で読んだ。
『被験体一四七号。剣術Lv6を強制剥奪。三日後に死亡』
『被験体一五二号。火魔法Lv1をLv8へ強制引き上げ。魔力回路が焼却、死亡』
『被験体一六〇号。スキル欄の完全消去に成功。以後、自我の消失を確認』
番号は、四桁に達していた。
『……これが、こいつらのやってきたことか』
ヘンドリックの拳が、静かに震えた。
◇ ◇ ◇
最深部。
巨大な研究台の前で、一人の男が待っていた。
老いた学者風のその男からは、殺気も敵意も感じられない。あるのは、純粋なまでの探求の光だけだった。
「よく来てくれた。……君に会いたかった、ヘンドリック君」
男は本当に嬉しそうに、目を細めた。
「私は君を、二十年以上前から観測していたよ。スラムに、レベル1ばかりを集める妙な子供がいると聞いてね」
「……そんな前からか」
「ああ。だが、まさかここまで育つとは思わなかった。実に興味深い」
ヘンドリックは、動かなかった。
この男が首魁だ。それは間違いない。だが、目の前にいるのは、ただの好奇心に満ちた老学者にしか見えなかった。
◇ ◇ ◇
「私は、数百年、研究を続けてきた」
首魁は静かに語り始めた。
なぜ人はレベルを持つのか。誰がその枠を設定したのか。生まれた瞬間に適性が決まり、人生の限界が定められる。それは誰が決めたことなのか。
「世界樹と、闇の世界樹。この二本の柱が、理を維持している。私はそれを突き止めた」
そして、彼の視線がヘンドリックを射抜いた。
「そして君だ。君は、枠の外にいる。……君は、この世界の仕組みのほころびだ」
「ほころび、か」
「悪い意味ではない。むしろ希望だよ」
首魁の瞳が、熱を帯びた。
「私は、この理不尽な理を書き換えたい」
生まれた瞬間に、剣の才を持つ者と持たない者が分かれる。魔法の適性がない者は、どれだけ努力しても魔法使いにはなれない。
それは公平か。
「誰もが自由に力を選べる世界。生まれで人生が決まらない世界。……それを創りたいのだ」
その理想自体は、決して悪ではなかった。
むしろ、スラムに生まれ、選択肢のない人生を歩んできたヘンドリックにこそ、その痛みは分かるはずだった。
だが。
「その理想のために、あの記録板の四桁の番号を作ったのか」
「……犠牲なくして、変革はない」
あっさりと、首魁は言った。
「君の存在を解析すれば、理は書き換えられる。人類全体の未来のためだ。君一人の犠牲は、安いだろう?」
純粋な善意と、純粋な狂気。その二つが、同じ顔をして立っていた。
『……厄介だな。こいつは、悪人じゃない』
だからこそ、最も厄介だった。
悪意で動く者は、利で崩せる。恐怖でも止められる。
だが、善意で動く者は――決して、止まらない。
「さて。……立ち話も何だ。始めようか、ヘンドリック君」
首魁が指を鳴らすと、施設の壁面が低い駆動音を立てて動き始めた。
無数の術式が床に浮かび上がり、青白い光が空間を満たしていく。
ヘンドリックは静かに構えを取った。
『……ここで、片をつける』
誰も巻き込まないために、一人で来た。
その選択が正しかったのかどうか、彼はまだ知らない。




