第324話:置いていかれた者たち
主の消えたリビングに、激しい感情が渦巻いていた。
「あの馬鹿! また一人で背負いやがって!」
マジカがテーブルを拳で強く叩いた。赤くなったその目に、悔しさが滲んでいる。
サンネは俯き、唇から血が出るほど強く噛み締めながら呟いた。
「私は、盾になると言った。……信じて、もらえなかったのか」
「そうじゃないんだゾ……」
泣きそうなミラの頭を撫でながら、ルミナリアが静かに首を横に振る。
「違う。あやつは、わらわたちを巻き込みたくないのじゃ。……信頼していないのではない。守りたいのじゃ」
「それが一番腹立つんだよ!」
マジカが吼えた。
「守られるだけの女でいろってのか! アタシは魔王だぞ! 和平だってやり遂げたんだぞ!」
「……存じております」
エリーゼの声は静かだった。だが、その底には、誰よりも強い怒りが宿っていた。
「それが、旦那様の一番悪いところですわ」
◇ ◇ ◇
そこへ、ベルが進み出た。
彼女は、兄の危うさを誰よりも近くで見てきた人間だ。
「お兄ちゃんはね、守りたい人ができると、その人から離れようとするの」
全員が顔を上げる。
「水の都にいた頃も、そうだった。危ない仕事を受ける時は、絶対に私やお母さんに言わなかった。傷つけたくないから、心配させたくないから、全部一人で抱えて、勝手にボロボロになって帰ってくるの」
ベルの声が震えた。
「昔から、ずっとそうだった。……治らないの、あれ」
ベルは、涙を拭って続けた。
「でもね。私、知ってるんだ。お兄ちゃんが一人で行く時って、絶対に自分が助かるつもりでいないの。ちゃんと帰ってくる計算なんて、してないの」
その言葉に、リビングの空気が凍った。
アイシャの記憶を知る者たちが、黙って目を閉じる。
力が足りず守れなかったと思い込み、逃げ出した男。そして戻った時には、もう相手はいなかった。
あの経験が、彼の中に消えない傷を残している。
だが。
「……追いますわ」
エリーゼが顔を上げた。その瞳に、もう迷いはなかった。
「旦那様には、もう一度、はっきりと申し上げなければ。わたくしたちは、守られるだけの存在ではないと」
◇ ◇ ◇
そこからの動きは早かった。
屋敷の防衛に誰が残り、誰が最前線を追うか。瞬時に役割が割り振られていく。
シリルとベルが、敵の指定した拠点の座標を情報網から割り出す。
「北の廃鉱……ここです。ただ、周囲に相当数の監視網が」
「王家の権限で街道を封鎖するのじゃ。近衛にも動いてもらう」
ルミナリアが即座に指示を飛ばす。
アレンとセリアが世界樹の守りを固め、ベルナデッタとアルフォンスが屋敷の管理を引き受けた。
そして、闇の精霊が静かに床の影へ溶け込んだ。
「……旦那様の影は、私が追えます」
その一言に、全員が頷いた。
準備を終え、五人の妻たちが門の前に並ぶ。
朝日が、その背中を照らしていた。
出発の直前、ドライアドがエリーゼの服の裾を掴んだ。
「パパを、連れて帰ってきて」
「……ええ。必ず」
エリーゼは膝をつき、小さな精霊の目を真っ直ぐに見た。
「そして、たっぷりお説教をして差し上げますわ。嘘をついた分も含めて」
「うん。いっぱい怒って」
その言葉に、妻たちが小さく笑った。
張り詰めていた空気が、わずかに緩む。
『待っていろ、旦那様。今度は、わたくしたちが迎えに行きます』
誇りと決意を乗せ、追撃の幕が上がった。




