第321話:ヘンドリックという異常
夜の静寂が屋敷を包む中。
暖炉の前で、エリーゼがずっと胸の奥に抱いていた疑問を、静かに口にした。
「旦那様。……なぜ、旦那様だけがレベル1を三十五個も取れたのですか」
ヘンドリックが顔を上げる。
「どういう意味だ」
「言葉の通りですわ」
この世界の人間は、年齢の数だけスキルポイントを得る。そして誰もが、それを強力な上位スキルへ集中させる。剣術Lv10を目指し、火魔法Lv10を極める。それがこの世界の常識であり、最も効率の良い生き方だ。
レベル1を三十五個。そんな構成を選ぶ者は、誰一人としていない。
「……成り行きだ。生きるために必要なものを、片っ端から取っただけだ」
「では、なぜ旦那様のレベル1だけが、他人のレベル1と違うのですか」
その問いに、ヘンドリックは言葉を詰まらせた。
普通のレベル1は、威力が固定される。回復魔法Lv1は、かすり傷しか治せない。火魔法Lv1は、焚き火をつけるのがせいぜいだ。
だが、ヘンドリックのレベル1は違う。組み合わせることで限界を突破し、高位魔法すら凌駕する。
なぜか。
彼自身、考えたことがなかった。ただ「そういうものだ」と思って生きてきた。
「……分からんな」
「わたくしも、分かりません。……ですが、気になるのです」
エリーゼは暖炉の炎を見つめた。
「わたくしは長く生きてまいりました。多くの冒険者を見てきましたし、伝説と呼ばれる者たちも幾人か知っております。……ですが、旦那様のような方は、一人も」
「褒めてるのか、それは」
「事実を申し上げているだけですわ」
彼女は真っ直ぐにヘンドリックを見た。
「旦那様は、この世界の理から外れておられる。……そんな気がしてならないのです」
◇ ◇ ◇
翌日。
シリルが世界樹の研究データとヘンドリックの魔力波長を照合し、震える声で一つの仮説を提示した。
「閣下のスキルは、通常のスキルとは根本的に異なる可能性があります」
「根拠は」
「魔力波長の構造です。通常、スキルは魔力に『型』を与えます。Lv1の型、Lv10の型。その型が威力の上限を決める」
シリルは資料を指し示した。
「しかし閣下の魔力には……その型が、ありません」
室内の空気が凍りついた。
「型がない魔力に、Lv1のスキルを通す。すると、どうなるか。……型に縛られないまま、スキルだけが発動する」
「つまり、どういうことですの」
エリーゼの問いに、シリルは唾を飲み込んで答えた。
「まるで……閣下だけが、レベルという枠の外にいるようです」
人が生まれながらに縛られる、レベルの理。
そのシステムそのものから、この男だけが外れている。
誰も、何も言えなかった。
◇ ◇ ◇
その沈黙を破って、闇の商人が転がり込むように駆け込んできた。
「た、大変っす! 決定的な情報が……!」
彼が命懸けで掴んできた情報は、すべての線を繋ぐものだった。
各地で起きているレベル変動の現象は、敵による「理の書き換え」のための人体実験であること。
そして――彼らが探し求めている最大の「鍵」。
「敵が探してるのは……『レベルの枠の外にいる人間』っす」
しん、と静まり返った。
リビングにいる全員の視線が、一斉にヘンドリックへ向けられる。
世界樹が怯えていた理由。屋敷が観測されていた理由。すべてが、繋がった。
『……そういうことか』
自分そのものが、敵の目的の中心だった。
ヘンドリックは静かに天井を見上げ、そして――誰にも気づかれないよう、小さく息を吐いた。
この屋敷にいる限り、皆が巻き込まれる。
その事実だけが、重く胸に沈んでいった。
「旦那様」
エリーゼの声が、彼を引き戻した。
「今、良くないことを考えておられませんか」
「……何のことだ」
「わたくしには分かります。旦那様が、そういう顔をなさる時は、決まって」
ヘンドリックは答えなかった。
ただ、窓の外の世界樹を、静かに見上げていた。




