第320話:観測者たちと、闇の世界樹の噂
異変の報せを受けて各地を巡っていた闇の商人とイリスが、緊張の面持ちで戻ってきた。
テーブルに広げられたのは、各都市のギルドで多発しているという、奇妙な事件の記録である。
「レベルってのは、生まれてから積み上げるもんっす。下がるなんて話、聞いたことがないっすよ」
闇の商人が額の汗を拭いながら、声を潜めた。
各地で「自分のレベルとスキルを失った」と訴える冒険者が続出している。ある日突然、長年積み上げてきた剣術Lv7が消えていた。魔法が使えなくなった。そう訴える者が、ここ数ヶ月で数十人。
逆の現象もあった。
適性すらなかったはずの者が、一夜にして不自然な強さを手に入れる。だがその力は制御が効かず、多くは自らの体を壊して倒れた。
「……ですが、実際に起きています」
イリスが淡々と事実を肯定する。
シリルが青ざめた顔で書類をめくった。
「レベルは、この世界の根幹です。それが揺らぐということは……」
言葉が続かなかった。
人は生まれ、年を重ね、ポイントを得てスキルを選ぶ。それは呼吸と同じくらい当たり前の摂理だ。その摂理が、外から書き換えられている。
「一件や二件なら、呪いや事故で片付けられます。しかし、この規模は……」
シリルの声が震えていた。研究者である彼だからこそ、この現象の異常さが誰よりも理解できるのだ。
◇ ◇ ◇
事態の真相を探るため、ヘンドリックたちは地下牢へ足を運んだ。
かつてのダークエルフ襲撃で捕らえた生き残りから、改めて証言を引き出すためである。
鉄格子の向こうで、ダークエルフは疲れ切った様子で語り始めた。
光の世界樹の対極に位置し、あらゆる魔力を吸い上げるという「闇の世界樹」の存在。それは伝承ではなく、実在するのだと。
「我らに闇の世界樹の場所を教え、鍵を求めたのは……別の者だ」
「誰だ」
「それは……」
その黒幕が誰なのか、特徴を探ろうと質問を重ねる。だが、ダークエルフは突如として頭を抱え、苦悶の表情を浮かべた。
「思い出せん……! 確かに、会ったはずなのに……!」
彼の記憶は、まるで何者かの手によって精密に霧をかけられたかのように、不自然な空白を見せていた。
顔も、声も、名前も。ただ「誰かがいた」という事実だけが残っている。
「……記憶に細工をされていますね」
エリーゼが眉をひそめた。精霊魔法に長けた彼女ですら、その術式の痕跡を辿れない。
「わたくしの知る限り、記憶を消す魔法は存在します。ですが、これは違いますわ」
「どう違う」
「消えているのではなく……『そこだけ、なかったこと』になっているのです。まるで、記録から削り取られたように」
ヘンドリックの脳裏に、削ぎ落とされた研究記録の主導者名が浮かんだ。
◇ ◇ ◇
「……閣下。ご覧ください」
執務室に戻ったシリルが、震える手で古びた書類の束を広げた。
魔術師ギルドの最深部、封印された書庫から発見された研究記録である。
そこに記されていたのは、この世界の根幹そのものを疑う、禁忌の実験データだった。
題目は、二つ。
『レベルとは何か』
『なぜ人はレベルを持つのか』
研究の主導者名の欄は、綺麗に削ぎ落とされている。
「この研究、私が生まれる前から続いています。……いえ、記録を遡ると、少なくとも二百年前から」
「二百年」
ヘンドリックが低く呟いた。
気の遠くなるような年月、世界の理そのものを観測し、操作しようと試み続ける者がいる。
先の黒幕は、魔術師ギルドの最高幹部であり、国王の顧問だった。あれほどの大物が――末端だったというのか。
ヘンドリックは拳を握りしめた。
『……黒幕は、末端だったのか』
背後にある巨大な陰謀の輪郭が、静かに姿を現し始めていた。




