第32話:低すぎる腰と、隠された真実
元【神創の覇星】の面々が涙と鼻水にまみれて逃げ去り、酒場にようやく平和が戻った直後のこと。
騒ぎを収めたギルドマスターは、そのまま踵を返して奥の執務室へ戻る……かと思いきや、信じられない行動に出た。
筋骨隆々で、泣く子も黙る歴戦の冒険者であるはずのギルドマスターが、万年【レベル1】のヘンドリックの前に歩み寄り、深々と、それも直角に腰を折って頭を下げたのだ。
「ヘンドリック殿……。いつも若手に対するご指導、誠に感謝いたします」
「えっ……? あ、いや、ギルドマスター、急にどうしたんだい? 顔を上げてくれ」
周囲の冒険者たちも、ギルドの最高責任者が【レベル1】のおっさんに最敬礼している異常な光景にざわめき始める。だが、ギルドマスターは止まらない。
「とんでもない。一部の例外を除き、貴方のご指導を受けた若手は皆、立派なトップランカーに成長しております。……そして何より、貴方の【ソロでの貢献】には、ギルドとして感謝に堪えません。本当に、いつもこの街を支えていただき……」
『ちょ、ちょっと待ってくれ! それは言っちゃダメだ!』
ヘンドリックの顔から一気に血の気が引いた。
慌ててギルドマスターの言葉を遮ろうとするが、時すでに遅し。背後に控えていたエリーゼの長い耳がピクンと動き、サンネやミラも不思議そうに首を傾げた。
「……ソロでの貢献? どういうことかしら。ヘンドリックは休日、一人で素材の採掘に行っているだけのはずだけれど」
エリーゼの鋭い追及に、ギルドマスターが「おや?」という顔でヘンドリックを見る。
「なんだ、仲間にも話していなかったのですか? ヘンドリック殿の【個人貢献度】は、非公開設定にしておりますが……実はこの水の都ヘラフテンにおいて、ぶっちぎりのナンバーワンなのですよ」
「「「…………え?」」」
酒場全体が、文字通り水を打ったように静まり返った。
冒険者ギルドにおける【個人貢献度】とは、討伐、素材提供、そして街のインフラ整備などの総合的な功績を示す絶対的な指標である。
「な、ナンバーワンって……あの【竜殺し】のパーティーや、他のトップランカーたちよりも上ってことですか!?」
ブラムが目を丸くして叫ぶと、ギルドマスターは当然のように頷いた。
「ええ。ヘンドリック殿は休日のたびに、【採掘 Lv1】で深層の極大レアメタルを一人で大量に納品し、【土木建築 Lv1】でこの街の防壁や水路の修繕を無償で行い、さらに【採取 Lv1】で集めた通常の品質の薬草を、【錬金術 Lv1】でポーションに精製して市場に安く卸してくださっている」
「ポーション、ですか……?」
エリーゼが首を傾げると、ギルドマスターは熱を込めて続けた。
「最高品質の素材を使ったポーションは値段が高すぎて庶民には手が出ませんが、ヘンドリック殿のポーションは安定した品質で、誰でも手軽に買えるうえに、効果は倍の値段のポーションと同等なのです……! これまで高価な薬を買えずに命を落としていた多くの住民や駆け出し冒険者が、彼に救われました。そもそも討伐のみに特化した他の冒険者たちとは、街への貢献の次元が違うのです」
『あああ……! 俺の隠密スローライフ計画が、完全に終わった……っ!』
ヘンドリックは両手で顔を覆い、その場にしゃがみ込みたくなった。
彼が自分の功績を非公開にしていたのは、面倒な指名依頼や権力者からの勧誘を避けるためだ。「地味で無害な便利屋のおっさん」という隠れ蓑が、今、ギルドマスターの無自覚な感謝によって完全に剥ぎ取られてしまった。
周囲の冒険者たちは『おいマジかよ……』『あの街壁を直してたの、おっさんだったのか……』と畏敬の念を込めてヒソヒソと囁き合っている。
そして何より、ヘンドリックの背後からのプレッシャーが、先ほどの殺気とは全く違うベクトルで跳ね上がっていた。
「……ヘンドリック。あなた、そこまでこの街を……」
振り返ると、サンネが頬を赤らめ、尊敬と熱情の入り混じった瞳で彼を見つめていた。
「すごいんだゾ! やっぱりボスは、この街で一番強くてすごいオスだったんだゾ!」
ミラが興奮した様子で尻尾をちぎれんばかりに振り、ヘンドリックの腕にまたしても豊かな胸部装甲を押し付けてくる。
「私としたことが、あなたの本当の偉大さをまだ測りきれていなかったなんて……。ふふっ、本当に、どこまで私を惚れさせれば気が済むのかしら」
エリーゼに至っては、もう隠す気すらない極上の微笑みと共に、彼にすり寄ってきている。華奢でスレンダーな彼女が密着してくるこの状況は、ヘンドリックの性癖にとって致命的な一撃であった。
「い、いや! 違うんだ! 俺はただ自分の好きなように採掘や錬金術をしていただけで……!」
最強の便利屋であり、ランキング一位のリーダーであり、さらに街の【個人貢献度】ナンバーワンという絶対的な称号まで暴かれてしまったヘンドリック。
おっさんの「静かで平穏なソロ生活」は、愛する仲間たちと街全体の尊敬の眼差しによって、二度と帰らぬ幻となってしまったのである。




