第310話:帰還・ただいまとおかえり
魔族領での長い戦いを終え、ヘンドリック、マジカ、ルミナリアの三人は、ようやく王都へと帰還した。
見慣れた公爵邸の門をくぐると、そこには留守を守っていた面々が、総出で待ち構えていた。
「ただいま」
ヘンドリックの、いつも通りの短い声。
その一言に、待ちわびていた全員の、明るい声が一斉に重なった。
「「「おかえりなさいませ、旦那様!」」」
「パパ――!!」
真っ先に、世界樹の枝から飛び降りてきた小さなドライアドが、ヘンドリックの胸へと勢いよく飛び込んだ。
「もう、遅いの! ドライアド、ずっと待ってたんだから!」
「悪かったな」
ヘンドリックは、面倒くさそうにしながらも、その小さな体を、しっかりと両腕で受け止めた。
その隣では、マジカが大きく伸びをしていた。
「あー、疲れた。……ただいま。腹減ったな。よし、飯作るぞ」
そう言って、彼女は当たり前のように、厨房へとエプロンを取りに向かう。
その背中を見て、ヘンドリックは、ふと思う。
かつて、冷たい魔族領の玉座にいたはずの彼女が、今では真っ先に、この屋敷の厨房へ向かう。もう、彼女にとっての帰る場所は、あの荒野ではなく――この、賑やかで温かい屋敷なのだと。
「ヘンドリック様。おかえりなさいませ」
アレンが、少し照れくさそうに歩み寄り、一冊の分厚い羊皮紙の束を差し出した。
「留守中の、この屋敷の記録です。……その、平和な日常の、記録を」
「そうか。……ありがとう。後で、ゆっくり読ませてもらう」
ヘンドリックがそれを受け取ると、アレンとセリアは、嬉しそうに顔を見合わせた。
「旦那様……ご無事で、何よりですわ」
エリーゼが、静かに歩み寄る。その瞳には、うっすらと涙が滲んでいた。
「……失礼しました」
彼女は、扇子でそっと目元を隠す。ヘンドリックは、何も言わず、ただ小さく頷いた。
◇ ◇ ◇
その日の夜。
公爵邸のダイニングには、いつも通り、いや、いつも以上に豪華な夕食が並べられた。
賊を撃退した武勇伝を、今度こそ本人に聞いてほしくて得意げに語るサンネ。父の活躍を聞いて「お父さん、かっこよかったんだゾ! 今度、拳で語り合うんだゾ!」と目を輝かせるミラ。マジカの手料理を、ほっぺたを膨らませて頬張る、幸せそうなドライアド。
シリルとベルも、ギルドの仕事を終えて駆けつけていた。ベルが「お兄ちゃん、おかえり。無事でよかった」と微笑み、その隣でシリルが「閣下、和平交渉の経費精算は……」と言いかけて、ベルに「今日はやめましょう」とやんわり止められている。
長らく空席だった上座に、ようやく、その主が戻ってきた。
埋まった一つの席が、屋敷全体を、こんなにも温かくする。
ヘンドリックは、騒がしくも愛おしい家族たちの姿を眺めながら、手元のグラスを、そっと傾けた。
『……スローライフは、まだ遠いな』
和平の橋渡し、組織の残党、山積みの領地経営。やることは、数えればきりがない。理想の隠居生活は、相変わらず、地平線の彼方だ。
だが。
不器用な男は、眩しそうに目を細めて、内心でそっと呟いた。
『……帰る場所があるってのは、悪くない』
窓の外では、すっかり元気を取り戻した世界樹の枝葉が、帰ってきた主たちを祝福するように、穏やかな夜風に、いつまでも優しく揺れていた。
こうして、長い和平編は、静かに幕を閉じた。
だが、ヘンドリックと、その愉快な家族たちの物語は――まだ、始まったばかりである。




