第308話:魔王の拳と、便利屋の流儀
完全に包囲され、逃げ場を失った残党たち。
だが、追い詰められた獣は、時に最も危険な牙を剥く。
「こうなれば……もろとも、消し飛ばしてやる!」
残党のリーダー格が、血走った目で懐から取り出したのは、禍々しい光を放つ、歪な形の魔道具だった。
人間の禁忌の技術と、魔族の膨大な魔力。その二つを、無理やり悪魔合体させた代物。発動すれば、この広場に集う魔族もろとも、一帯を灰燼に帰すほどの、規格外の破壊力を秘めた禁呪の結晶だった。
「馬鹿な、それは同胞ごと……!」
「黙れ! 貴様らのような裏切り者は、皆、ここで死ぬのだ!」
魔道具に禁呪の光が集束し、膨れ上がっていく。その圧倒的な魔力の奔流に、広場の魔族たちが一瞬、恐怖に凍りついた。
場が、混乱に陥りかけた――その時。
彼らの前には、あまりにも頼もしすぎる壁が、静かに立ちはだかっていた。
「……朝っぱらから、物騒なものを持ち出すな。空気が悪くなる」
ヘンドリックが、心底面倒くさそうに、指を鳴らした。
発動したのは、詠唱すらないLv1の複合魔法。
膨れ上がっていたはずの禁呪の魔力は、絶対的な空間圧殺と、清浄なる浄化の魔法によって、爆発する寸前で押し潰され、優しく解きほぐされ――そして、塵一つ残さず、無へと還った。
「な、馬鹿な……っ!? 我らの、最高傑作が……!」
「よそ見している暇が、あるのか?」
驚愕に固まる残党たちの側面から、猛然と突っ込む巨大な影があった。
「がはは! ワシもおるのを忘れるなよ、ヒヨッコども!」
獣人族長だった。今回ばかりは、じゃんけんではない。相手が本気で同胞を殺そうとした以上、これはガチの戦いだと、彼はとうに見極めていた。
かつて魔王として君臨した男の、極め抜かれた拳と蹴りが、唸りを上げる。残党たちの構えていた武器は、玩具のように粉砕され、その体は次々と宙を舞い、大地へと沈められていった。
武力の要が、あっという間に打ち砕かれる。
そして。
崩れ落ちる残党の首魁の前に、真っ直ぐに踏み込んだ者がいた。
マジカだった。
「アタシは、逃げない」
彼女の全身から、魔王としての真の力が、静かに、しかし圧倒的に解放されていく。
「もう二度と……アタシの仲間を、利用させねぇ!」
それは、破壊の力ではなかった。すべてを包み込み、抑え込み、その動きを完全に封じる、強大な拘束の魔力の波。
首魁の体が、見えない鎖に絡め取られたように硬直し、そして、力なく地に膝をついた。
血は、一滴も流れなかった。
殺さず、無力化する。かつてヘンドリックが過激派に見せた、あの『殺さない流儀』を、マジカは確かに受け継いでいた。それは、力に溺れず、憎しみの連鎖を新たに生まない、彼女なりの、王としての選択だった。
もし首魁を殺せば、それはまた新たな憎しみの種になる。誰かが復讐を誓い、また同じことが繰り返される。その連鎖を、ここで断ち切るのだと――マジカは、その拳に、確かな覚悟を込めていた。
やがて、土煙が晴れる。
残党たちは、一人残らず完全に制圧されていた。
長きにわたり魔族領を蝕み、同胞に牙を剥かせてきた憎しみの根が――ついに、断ち切られた瞬間だった。
広場を、静寂が包む。
そして次の瞬間、誰からともなく上がった歓声が、割れんばかりに魔族領の空へと響き渡った。
その中心で、マジカは肩で息をしながら、静かに立ち尽くしていた。
その背中は、もう誰の目にも、立派な魔王のものだった。




