第307話:解けた呪縛と、反撃の狼煙
再び、魔族領の広場。
暗殺の失敗を悟った残党たちは、もはや取り繕うことをやめ、開き直ったように凶悪な武器を構えた。そして、周囲の過激派の魔族たちを、声高に威圧し始めた。
「何をしている! 人間への憎しみを忘れたのか!」
残党のリーダー格が、血走った目で叫ぶ。
「我らに従え! あの人間の犬に成り下がった、裏切り者の魔王を討ち取るのだ!」
かつてなら、その号令一つで、過激派たちは怒りに任せて武器を取っただろう。
だが――今は、違った。
過激派の魔族たちは、誰一人として動かなかった。
マジカの、不器用だが嘘のない演説。そして先の襲撃の際、獣人族長が身を挺して同胞を守ろうとした、あの圧倒的な背中。それらを目の当たりにした彼らの心は、すでに、仕組まれた憎しみの呪縛から解き放たれ始めていたのだ。
重い沈黙が、広場を支配する。
残党のリーダー格が、焦りを滲ませて、なおも叫ぶ。
「き、貴様ら! 人間に故郷を焼かれた恨みを忘れたのか! 家族を、仲間を殺された、あの日の怒りを!」
だが、その言葉は、もはや誰の心にも火をつけなかった。むしろ、その必死な様子が、かえって彼らの疑念を深めていく。
なぜ、この男はこれほど必死に、憎しみを煽ろうとするのか。まるで、憎しみが消えては困るかのように。
その静寂を破って、群衆の中から、一人の若い魔族が、ゆっくりと立ち上がった。
かつてヘンドリックの水鏡によって、自らの村を焼いたのが人間ではなく、人間に偽装した何者かの仕業だったと知らされた、あの青年である。
「……お前たちだったのか」
青年の声は、静かだった。だが、その奥には、腹の底から湧き上がる激しい怒りが滲んでいた。
「俺たちに嘘の憎しみを植え付けて、同胞同士で殺し合わせようとしていたのは……ずっと、俺たちを騙していたのは……お前たちか!」
青年が、怒りに震える手で、残党へと武器を向けた。
それが、堰を切る一滴となった。
過激派も、穏健派も、もはや関係なかった。広場に集まった魔族全体が、これまで互いに向けていた敵意を捨て、その矛先を、たった一つの共通の敵――残党へと、一斉に向けたのだ。
「よ、よせ! 貴様ら、正気か!?」
完全に包囲され、孤立した残党たちが、初めて恐怖に顔を引きつらせる。
仕組まれた憎しみの呪縛が、完全に解けた瞬間だった。
その光景を見届け、マジカが静かに一歩、前に出た。
「見ての通りだ。お前たちの時代は、終わった」
彼女は残党を見据え、力強く宣言する。
「そして――ここから先は、アタシたち魔族の問題だ。人間の手は借りない。アタシたち自身の手で、このケジメをつける」
そう言って、マジカは肩越しに振り返った。
そこに立つ、小柄で猫背な男へと。
「……とは言ったが。手伝ってくれるか、ヘンドリック」
「仕方ないな」
ヘンドリックは、やれやれと小さく息を吐いた。だが、その口元には、確かに微かな笑みが浮かんでいた。
「最後まで付き合ってやる。……お前が、腹をくくったんだからな」
その言葉に、マジカの尖った耳が、ほんの少しだけ赤くなった。だが、今はそれを誤魔化す余裕もない。彼女はぐっと前を向き直す。
「上等だ。……野郎ども! アタシに続け! 今日で、この馬鹿げた憎しみの連鎖を終わらせるぞ!」
マジカの号令に、魔族たちが雄叫びで応える。かつて敵味方に分かれていた者たちが、今は一つの声となって、地を揺るがした。
魔族が一つにまとまり、そこに規格外の便利屋が加わる。
長きにわたる憎しみの連鎖を断ち切る、反撃の狼煙が、今、高々と上がった。




