第303話:なりたて魔王の覚悟
魔族領の冷たい夜風が、砦の屋上を吹き抜けていく。
マジカは一人、手すりに寄りかかって暗い荒野を見つめていた。
黒幕によって仕組まれた偽りの憎しみ。それに踊らされ、同胞同士で血を流そうとしている過激派と穏健派の魔族たち。
『アタシに、あいつらを止める資格なんてあるのか?』
魔王を名乗ってはいるが、自分は人間社会の温かいご飯の味を知ってしまっただけの、ただの元幹部に過ぎない。そんな迷いが、彼女の心を重く沈ませていた。
あの若い魔族の、絶望に打ちひしがれた顔が、頭から離れない。憎しみを植え付けられ、同胞に牙を剥くよう仕向けられた者たち。彼らを救いたい。だが、そのための言葉を、自分は持っているのか。
思えば、魔王の座を継いだのも成り行きだった。前の魔王が倒れ、たまたま近くにいた自分に、その重すぎる冠が転がり込んできただけ。魔王としての心得も、統治の作法も、何一つ教わってはいない。
「……こんなところで何をしている」
背後から、静かな声がかけられた。ヘンドリックだった。
「ヘンドリック……」
マジカは振り返らずに、ぽつりとこぼした。
「なあ、アタシは……偽物の魔王なんだ。あいつらの憎しみの深さを知っても、どう言葉をかければいいのか分からない。アタシなんかが上に立って、誰も納得しないんじゃないかって……」
珍しく弱音を吐くマジカの背中に、ヘンドリックは淡々と問いかけた。
「魔王の資格って、何だ」
「……分からない。だから困ってるんだろ」
「なら、俺が教えてやる」
ヘンドリックはマジカの隣に並び、同じように荒野を見つめた。
「お前は、同胞を殺したくないと言った。人間とも魔族とも、一緒に美味い飯を食えると言った。……それで十分だろう」
「……え?」
「圧倒的な恐怖と力で頂点に立つのが魔王の条件だというなら、確かにお前は向いていない。だが、迷いながらでも皆の先頭に立ち、手を取り合って守り抜くのが魔王の役割だというなら」
ヘンドリックは、マジカの目を真っ直ぐに見据えた。
「お前はもう、立派な魔王だ」
その不器用で、けれど絶対的な信頼を込めた言葉に、マジカの胸の奥が熱く締め付けられた。
夜風に吹かれた彼女の尖った耳が、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。
「……お前、たまにズルいこと言うよな」
マジカは照れ隠しのように顔を背け、乱暴に涙を拭った。
しかし、その顔に先ほどまでの迷いはなかった。
「アタシは逃げない。過激派も穏健派も、全員を集めて話をする。アタシ自身の言葉で、真実をぶちまけてやる」
なりたて魔王の目に、確かな覚悟の火が灯っていた。




